いぶし銅

Open App
2/3/2026, 7:28:03 AM

勿忘草

栞の代わりに挟まっていたのは、色褪せた勿忘草だった。その花は押し花となってもなお、何より美しかった。本を読む彼女の姿は、まさに天衣無縫と言うべきか、それはそれは美しく見えた。彼女を薄目で眺めているのは、勉学に励む少年。彼は毎日、この図書館へと足を運び、勉強を口実に彼女を見ている。彼は日が暮れるまで図書館に入り浸り、閉館前に芥川を借りて、足早に出ていく。そんな平和が崩れたのは、以外にも一瞬であった。まず、彼女のルーティンとして、休館日の火曜、そしてその次の水曜は図書館を訪れない。少年はそのこともよく知っていたが、今週は違った。彼女は突然、水曜日に当館を訪れ、その次の木曜からぱたりと来館が途絶えた。少年は恐らく焦っていた。いや、恐らくというより、それは火を見るよりも明らかであった。無論、彼女がいた頃よりも勉学は疎かになり、よく泳いだ目は活字さえ追えなくなっていた。ただ私はよく知っている。彼女の行き先を。私だけはよく知っている。私は当館に図書館司書として勤めている。そして彼女の親は、自治体に勤めており、私もよく顔を合わせる。ただその親は転勤族で、ここに越してきたのも、2年ほど前のことである。その事を知らずにいた少年は、今このようにして焦っている。そして今週の水曜、ルーティン遵守の彼女が、それを破ってまで当館に来訪したのは、今週末に引っ越すためである。そのため、借りてた本を急遽返すことになったが、勿論少年は知る由もない。私は少年に近づいた。それは少年に最後通牒をするためではなく、閉館のアナウンスが聞こえていないようだったからである。少年も察しが悪い訳では無いため、彼女に会えなくなることを感じ取っていたのだろう。それからは周囲にも漏れるような音量でイヤホンをつけていた。少年に閉館を知らせると、やさぐれたかのように、不躾に荷物をまとめた。ただ、私に背を向けようとした時、先程の行いを恥じるように頭を少し下げた。私は少年のこんなところが好きだ。ふと、机に目を向けると、少年が愛用していた、勿忘草の栞があった。まだ遠くに行ってはないと思い、少年の後を追うと、泣き腫らした目で肩を揺らしていた。恋心弾けて満月の夜。文学少年ここに咲く。

2/2/2026, 7:08:25 AM

ブランコ

死んだ友人に線香をあげた。とは言っても、墓はまだ無いため、家で小規模にあげることにした。小規模ながらも、遺影を準備したくなったが、まともな写真がなかった。唯一友人が真顔で映っていたのは高校の卒業アルバムだった。煙草とスマホだけ上着に入れて、肌寒い2月を歩くことにした。見慣れた住宅街と少し前まで通っていた高校、しがみつくように脳裏によぎる友人の顔に嫌気がさした。享年32歳。会社の相談をよく受けていた。殆ど毎週来ていた居酒屋。何気にこんな夕方に入るのは初めてだった。レモンサワーと生ビールを注文し、レモンサワーを対角の席に置いた。あいつは自室で首を吊って死んだらしい。お互い辛い人生だったな、返事が来ないと分かりつつ、あいつのLINEに送った。あいつが入った会社は、残業が多く、よく深夜に電話に出たのを覚えている。それからは記憶を消すために酒を流し込んだ。7、8、それ以上は数えるのを辞めた。店を出ると千鳥足で公園に向かった。途中の橋で死にたくなった。俺は死ねなかった。あいつが死んだ時は苦しかったと思う。俺は煙草を川へ投げ捨てた。さっきまで死のうとしてたやつが、今度は長生きのために煙草を捨てている状況に、あいつは笑ってくれた気がした。公園に着くと、雨で濡れたブランコに座った。ブランコを漕ぐほどの体力も残っていなかったため、ただ座っていた。俺はまた死にたくなった。死にたくなったけど、死ねなかった。死ななかった。

1/31/2026, 1:36:57 PM

旅路の果てに

鎌倉駅に入り、江ノ島を目指した。交通カードをどこに入れたか、持ってきたのか、忘れてしまったため、切符を買うことにした。ホームに入ると、通過列車と英語のアナウンスが耳に刺さり、嫌気が刺したため、とりあえずの電車に乗りこんだ。一難去ってまた一難。電車の中では、観光客の、中国か、韓国か、どちらともつかない様な言語が飛び交い、これにも嫌気が刺し、耳に蓋をするようにワイヤレスイヤホンをつけた。イヤホンからは、なんだか、古臭いようなギターの音が聞こえた。
電車のアナウンスを待つも、そもそも、目的の場所を決めていないことに気がついた。路線図を見ると、由比ヶ浜、という所が目に付いたため、そこで降りた。勿論、駅を降りてすぐ砂浜では無いため、スマートフォンのマップを頼りに歩いた。
砂浜近くのコンビニで緑茶と弁当を買った。財布には交通カードが入っていた。リュックサックに緑茶を入れようとした際、切符が2枚と、折り畳み傘、水筒、ハンドクリームの他に、紙の切れ端が入っていた。
その紙には、私は健忘症です。江ノ島を目指しています。と書かれていた。
気味が悪くなり、それを捨てようとしたが、思いとどまった。私は本当に健忘症なのかもしれない。でなければ切符は2枚もないし、訳も分からず砂浜に座っていることも無いだろう。私はただ、砂浜を走った。只管走った。私の居場所がわからなくなるまで。

1/30/2026, 11:57:49 AM

あなたに届けたい

葬式は昼頃に終わった。私は弟と昼食を済まし、特にすることもないため久しぶりに近所を歩いてみることにした。小学生の頃よく遊んでいた空き地は二階建ての一軒家になっていた。親とよく行ったコインランドリーはローソンになっていた。それに対してネガティブな感情は湧かず、むしろ思い出が誰にも邪魔されなくなったようで、誇らしかった。そう思うようにした。
母が交通事故で亡くなったと知ってからまだ数日も立っていなかった。弟は感情がまだ追いついていないようで、空虚な目でどこか、遠くの方を見つめていた。私は親族のどうともつかない雰囲気に嫌気が刺したため息抜きに外へ出た。昔、兄弟で釣りをした川に着くと、ふと母の笑顔が脳裏に過り、涙が零れた。
不器用だったあなたに届けたい。あなたが手を切りながら作った肉じゃがを、あなたが作った味の濃い味噌汁を、私は愛していました。あなたが育てた恥ずかしがり屋は、あなたに感謝を伝え忘れました。
あなたに届けたい。あなたに届けたい。

1/29/2026, 12:53:32 PM

I LOVE…

私はですね、私は、自分が、この私が、好きでいるものさえ、疑ってしまう性分にありまして、それは、読んで字のごとく、私の性にありまして、私は親から、愛を受けたものの、この世界に対する、信頼のしかたを、その重要なプロセスを、どうにも教えて貰えなかったもんでして、毎日、毎時毎分毎秒、疑って参った所存でありまして、それと私は、生まれながらにして、コミカルな立ち回りを、使ってこねばならなかったわけで、私の口から出る言葉なぞ、十二分に笑ってもらって構いませんが、私が私を疑うことも、好きなことを疑うことも、今現在、あなたのことを疑っていることも、全て真実でありまして、それに就いて、困っているだとか、緊張感のある話にするつもりはありませんが、ご理解の上、喋らせていただいたいのです。
私が田舎の町を出たとき、いや、それは遡り過ぎているので、もう少し近頃の、会社で働いていた時のこと、私は今のように、訛っていて、田舎者が節々から感じられる訳ですから、それがどうにも可笑しいらしく、同僚には笑われてきたのですが、確かその頃から、私はロックンロールを聞くのを辞めました。
それは別に、同僚のせいだとか、意思の弱い私のせいだとか、言いたいわけでもなくて、私は元来、平和主義でありますから、犯人探しが目的な訳ではなくて、私が真に言いたいのは、私がロックンロールを聞くのを辞めたのは、その曲に、私の悪いイメージが着いてしまうような気がして、私が好きだったロックンロールまで、私のようになってしまう気がして、聞くのを辞めたんです。
ただこれも、今に始まった話じゃなくて、先程も申しましたが、田舎っぺだなんだと、笑われてきましたから、好きなものは、隠すべきものだと、学んでいたもんですが、この件に関しては、ロックンロールを聞くのを辞めた時、今までの、狭い家ん中で、たっくさんジャンプして、たっくさん頭を振ってた時の自分を、否定しているような気分になりまして、それがなんだか、いや、おおきなとっかかりでは無いのですが、喉に刺さった、魚の骨みたいに、時々私を傷つけるんです。
でも、悪いなんか言いたいんじゃないんです。
一緒にジャンプして、信じてみたかったんです。

Next