0からの
湿った発砲音。肌を焼く炎天下。汗の滲んだ地面を飛び抜け、走る。風を受け走る。歓声を背に走る。ゴールテープを切るまでが私の花形で、あとは批判とライバルと自分に打ち勝つ、そんな競技をしている。
私はインターハイで10秒19の自己新記録を出した後、ハムストリングスの断裂とそのリハビリに終われ、陸上生活から離れていた。次第にネット掲示板で私の話をする人は減り、遂には居なくなった。未来の陸上を引っ張る注目の若手は怪我に打ち負けた、どのニュースも見出しはそうだった。
ただ、私はひたむきに大学一年の頃からまた陸上を再開し、インターハイ前に出会ったコーチと二人きりで過去の自分を越えようとしている。現在タイムは11秒24。コーチからは冬の記録だから気にするな。お前はなるべくハムストリングスに負担をかけない走り方をしている。それは恐らく潜在的なものなので、そこから意識的に変える必要がある、と口酸っぱく言われた。また0からだ。でもやらなきゃいけない。
大学二年の夏、10秒42。大学三年の夏、10秒26。まだ間に合う。私は走り続けた。過去の自分に追いつかれないために。四年のインカレに全てをかけると誓った。そして迎えた大学四年の夏。タイムは三年の頃から伸び悩んでいたが、根拠の無い自身が私を包んでいた。
また0からだ。また0から。地が鳴り動くような心臓の鼓動を抑え、スタートラインにセットした。
発砲音。空を切る腕の音。歓声は途中から聞こえなくなった。心臓の鼓動。過去の自分の足音。足音がすぐそこにある。逃げろ。走れ。
俺は確か大学三年の頃、10秒22の自己新を出した。あとは四年の大会で10秒1台を出せばよかった。そうしたら優勝だった。23歳の春。新卒で入った会社はスポーツウェアやシューズを販売しており、俺はその営業として入った。営業先には高校時代の俺の記録を知っている人がいて、営業もなかなか上手くいった。未だに陸上は好きだからこういう企業についたし、別にコーチも性に合っている。今日は直帰でいいと言われた。帰っている道中、学生の頃よく遊んだ公園に小学生か中学生か、三人が走っていた。そして一人がゴールラインに立って記録を測っていた。それだけ。ただそれだけの光景が、脹脛に火をつけた。
俺は大学ぶりにシューズを出した。また0からやってやる。
2/22/2026, 3:07:18 AM