いぶし銅

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太陽のような

火元はライターだった。酔っ払った父が帰宅したあと、タバコを吸おうと着けた火がカーテンに引火した。焦った父は自身の手で消化させようとし、右手を火傷した。その後に寝ている私を起こし避難をした。私は十二歳だった。
燃え盛る家を見て、私の気持ちは晴れた。私の家庭は父子家庭であると言うだけで、特段家に不満があるわけでも、破滅願望があるわけでもなかった。ただ、自分が十二年間の中で経験した苦痛や喜びが、消防車のサイレンに掻き消される感覚が何とも言い難い幸福であった。
私はよく考える子供だった。それ故に可能性の少なさに気づいた。私はもう一度家を燃やしてみたい、もっと言えばそれは他人の家が望ましかった。何故なら私の積み重ねた人生はあの日、普段よりも酒を飲んだ父に終わらせられたから。それならまだ燃えたことない他人の家を燃やしたかった。私は十二歳。容疑者としてまず上がらない上に、ただの出来心で済ませられる最適な年齢だった。それから私は二ヶ月と十七日をかけて放火計画を立てた。
その決行日は明日。二月六日である。その日はよく乾燥しているため、日が燃え移りやすい上に、雨が降らない。そして私の中学受験の日も近く、万が一犯人と分かったとしても、中学受験のストレスやプレッシャー、いくらでも言い訳はできた。
その日私は既に所有していた軍手をはめ、父が眠りについた隙にライターを取った。車庫にあるガソリンと麻袋を取った。そしてガソリンを少し庭に捨て、二件隣の老夫婦が二人で住んでいる家まで行った。なるべく裏道を通ったため、姿は目撃されなかった。そしてその木造建築に火をつけた。私がこの家を狙ったのは、もしも犯行が見つかった際、老人の方が何かと都合がいいからだ。そして自宅から近い方が燃えている様子をよく見られること、更に木造で、築年も相当経っているように見えたため、燃えやすいと思ったからだった。ガソリンに濡れた麻袋はよく燃えた。少し経つと私は父を起こし、家が燃えていると叫んだ。車庫に戻したガソリンタンクを取り出し、中に残っていたガソリンを全て捨て、水を汲んだ。それを父に渡した。父の右手は赤かった。私はバケツを手に取り、二人で消火をした。父の声掛けと、近隣住民の通報の甲斐あって老夫婦は軽傷ですんだそうだった。私も父ももちろん取り調べを受けたが、怪しまれることはなかった。その後、夫婦の妻が認知症だったことなどを理由にあげられ、ガスコンロをつけっぱなしにしたことによる火災だと決定づけられた。

なぜ私がこんな話をしているかというと、二十七歳の今、私はまた放火をしようと思っているからだ。老夫婦の家に火をつけてから十五年、私の脳内はあの時の火の赤で埋まっていた。これは私の宿命である。私の住む郊外のアパートの一室は、今から火の海に包まれ、私と共に崩れ落ちる。私は部屋にガソリンを撒き、父と同じ銘柄を吸っていた。ライターがガソリンに引火すると、瞬く間に部屋が燈され、私は幸福に死んでいくのだと悟った。
ああ暖かい。火は暖かいよ母さん。もう二度と癌にならないで。

2/23/2026, 5:31:42 AM