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3/31/2026, 11:09:30 AM

「どうか、幸せに」

 彼はそう目の前で言って震えて、力がなさそうな手を私の頬に触れさせた。―――その瞬間、事切れたように彼は倒れた。病院送りになって、未だ生死はわかっていない。けども、おそらく……。

「……」
「……」

「ねえ、アンタ」
「……なんですか」

 重い空気、重い口。それでも口を開いたのは、彼の姉らしい人だった。

「あの、……あの、バカ愚弟の、どこが好きだった?」
「バカ愚弟、ですか」
「ええ、……えぇ。バカでしょ。アンタのこと、知ってるのよ。私。愚弟の昔を知りながら交際してくれてるって……自分を好きでいてくれてるって。幸せに笑ってたわ、あいつ」

バカ愚弟、なんて言いながら彼のことを話すその表情は、懐かしむようで、思い出すようで、とても優しい表情だった。幸せに笑ってた、か。

「母が死んで、女に溺れて。今度父が死んで、ヒモになって。一時期耐えられなくなって、自殺しようとして。両親を殺した仇がわかって、何も考えずにそいつを殺して。あんなバカでクズで愚かな男、他に探しても見つからないでしょうね」
「……そうですね。わかってます」

 彼を見つけたのは、路地裏だった。夜の、誰も通り掛からないような薄暗い路地裏を私が歩いているとき、彼と会った。彼は初対面だというのに、いきなり金がないからとご飯をたかってきたのだ。姉のところにも情けなくて帰れない、なんてどこか泣きそうな顔で言っていたことを、よく覚えている。

「それでも、救ってくれたのは彼でした」

 あのときの私は、自殺しようと思っていたのだ。誘拐犯に襲われる前、私は自分の首にナイフを当てていた。ここで死のうと、そう決めて。首を切ろうとしたその瞬間、私の首とナイフとの間に手を挟んできた彼は、こう言ったのだ。

「今からでも―――君はまだ、幸せになれる、って」

 彼と過ごす日々は、幸せになれていた。

「……あいつがまさか人を救えるなんてね」
「過去を聞いたとき、私がびっくりしましたよ」

救ってくれた人が、そんなことをしていたのかという意外性と、そして悩んだときの、やけにこっちをわかってくれるところの納得。

「どうか、幸せに……って、どう思います?」
「そうねぇ……幸せにしたいんだったらテメーで、そしてテメーもなれ、かな」

 ―――私は姉として、アンタたちに幸せになってほしいと思ってる。そう、彼女は言った。

「私も……私だけじゃなくて、彼と幸せになりたいです」
「……やっぱりだからバカ愚弟なのよ。こんだけ健気でいい女を待たせるんだから。そんなだったら、もう見限っていいわよ」
「そんなことしませんよ」

 私は彼と、幸せに。彼に、幸せにしてほしいのだから。

「幸せになれるまで。幸せになってからも。彼といます」

 これは彼が目覚める前の、もしくは死が確定する前の、春のちょっとした雑談だった。

3/30/2026, 2:49:54 PM

 趣味は琴、特技はお料理、だなんて我ながら適当な自己紹介をした。本当は琴なんておばあちゃん家にあっただけだし、料理だって特技というものではなく、あくまで自炊できる程度のこと。
 ずっとずっと、全部全部隠す。私の汚点を……いや、私という汚点そのものを。ニコニコ笑って、まるでそれが本当であるかのような。

「うふふ、それは素晴らしい趣味ですわね」

心にもないことを言って、嘘つきだ何だと言われても―――私はずっと、何気ないふりをしてる。

3/29/2026, 1:51:45 PM

「ふふ、おはよう。最近君を狙う人が多くって多くって……。でも、俺が守ってあげるからね!」

 目の前の男は、ニコニコとこっちに笑いかけた。今日もちゃんと処分したからね~、なんて言って。私の気持ちなんて知らない彼は、私の頭を撫でてきた。慈しむように、大切にするように―――でもそれは、彼の自己満足に過ぎないものだ。
 この家ごとすべて牢屋に見えるここに連れてこられてから、1年が経った。急に連れてこられて……いわゆる、誘拐というものだ。それをされて、身代金を私の親に要求するかと思いきや、鍵で私を閉じ込める以外は何もしなかった。好きなものは何でもくれるし、たくさんお願いをしたら、学校にもいかせてくれる。迎えは絶対だと言われたけれど、ほかから見て誘拐だと思う人もいない。私の親も……私を愛していないから、私が帰ってこなくてむしろ好都合なのだろう。1年も家に帰っていないというのに、そして学校には行っているというのに、私はそういった話を聞かなかった。

「……私を狙う、人なんて」

 いるわけないよ、とうすら笑う。

「えー!みんな狙ってるよぉ!俺が守るのも限度があるんだから、自己防衛意識はないと……!」

私の反応に、彼は首をぶんぶん横に振り、それから必死に私の手を掴んでそう言ってきた。かなり力が強めだ。本当にそう思っているのだろう。
 親に愛されなかった私は、他人と言える男に愛された。

「好きだよ」
「……」
「?ねえ」
「……私も」

私を愛す彼は、私にも同じ感情を強要してくる。けど私には、もうそんなものどうでもいい。好きも、嫌いも。全て全てわからなくなってしまった。ただ、今は。痛い思いを、したくないだけ。彼は彼の好きに肯定を返せば、私に痛みを与えない。まだ、まだマシだ。あの親は、気分が悪い時工程も否定も関係なく理不尽に痛みを与えてくるのだから。

「幸せだね~!んふふ、いずれ結婚して……ハッピーエンドまっしぐらって感じ?」
「……ハッピーエンド……」


 笑顔で幸せらしい彼は、そう言うけど。ハッピーエンドだなんて……この世にあるわけない。いつかこのつまらない平和も終わりを告げるだろう。いくらまだバレていないとはいえ、立派な誘拐ではあるのだから。大体、たとえ今終わったってハッピーエンドとは言えないだろう。もし仮に言えても……その対象は私ではなく彼だ。

「ふんふふーん。ご飯作ってくるね」

 機嫌が良さそうな彼は、鼻歌を歌いながら笑顔だ。私は笑顔になれない。彼はその人生をさっき、ハッピーエンドまっしぐらといったけど。私のハッピーエンドは、いつか手に入るの?
 今日も私は、バッドエンド。好きでもない男に抱きしめられて、今日が終わった。

3/28/2026, 11:07:15 AM

 あなたに見つめられると、どうしようもなく苦しいの。
 学校の廊下、移動教室のときにたまたまよく知る二人とすれ違った。その片方が、驚いたように私を見つめた。……やめて、やめて。苦しい。彼女から逃げるように、近くのトイレに駆け込んだ。

「っはぁ、は……ぁ」

 冷や汗がすごくて、手が震えている。焦点もあわない。息が、途切れる。勝手に涙が出てくる。
 彼女は、私の元姉だった。怒りっぽくてで、完璧主義で、それなのに……それなのに、自己犠牲をする人で。いつもいつも私を周りの人間から守ってくれた。いつもいつも怪我だらけだった。彼女は、私が頼りすぎるせいで……私が頼りなさすぎるせいで、ストレスによって倒れた。そして―――怒りっぽいのがそこに回ったのか、目が覚めたとき私に当たった。その時に医者やナースがいたから、のちに周りの人間……主に親の虐待が判明して、私達は解放された。けどその後の姉の態度がとにかく不安定で、私と姉は離れた。
 私が頼りになれば、彼女はあんなにも傷つかなかったかも知れない。私が少しでも彼女を守れれば、離れ離れになることはなかったかもしれない。私がいなければ、私を守るなんてことがなければ、彼女はストレスで倒れなかったのかもしれない。彼女が、いなければ―――私の背に、こんな傷跡がつくことも……なかったかも、しれない。私にとって彼女は助けられなかった人で、そして私を傷つけた人。

「……私はまだ、あなたと向き合えない」

 見つめられると、苦しいの。見つめないで、思い出させないで。まだ……忘れたままでいさせてほしい。あなたに、見つめられると―――傷だらけの昔を、思い出してしまう。

3/27/2026, 1:15:48 PM


「My Heart、受け取ってみない?」
「言い方が気色悪い、却下」

 いつもいつもうるさい目の前にいるであろう人物にそう言う。一日一回、毎日毎日独特な告白をしてくるのがこの人間、まあバカ、アホ、間抜け……この人間の蔑称なんて沢山出てくるけど、ここは取り敢えず今回の告白の仕方からハート野郎と呼んでおこう。
 このハート野郎は、毎日懲りずに告白してくる。僕もかなり酷い言い方をしてるつもりなのだが……まるで関係ないと言わんばかりだ。

「名前も教えてくんないくせに僕に毎日さあ……飽きないの?」
「んー?少なくとも今、飽きてるように見える?」

 ニコニコと笑う。あははと軽やかで子供っぽい可愛さがあるハート野郎は、ハート野郎は―――僕の記憶から、どんどんなくなっていく。その笑い声も、その表情も。ずっとずっと毎日、来ると思っていたのに。飽きてるように見えなかったハート野郎は、簡単に目の前から消えた。
 どこに行ったの。

「My heartでもなんでもいいから早く戻ってきてよ……」

僕を置いて、行かないでよ。せめて、お願いだから。僕の心を―――返して。

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