マサティ

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2/8/2024, 8:27:39 AM

お題:どこにも書けないこと
『痴漢にご注意!』

昼下がり、警察署に連行されてきた男は元カレだった。
私はコーヒーを吹き出しそうになるのを堪え、うつむいた。
彼も私に気付いたのか、一瞬カッと目を見開き視線をそらした。
元カレは痴漢の容疑で取り調べを受けるらしかった。
「河森さん、調書を担当して下さい」 
「えぇ?私ですか」
よりに寄って私に白羽の矢が立つ。
「刑事課の男性が皆、出払ってるので」
先輩の女性警部が淡々とそう告げた。
仕方ないとはいえ、元カレの取り調べは流石に憂鬱だった。しかも、私達は元カレの浮気が原因で喧嘩別れしたのだった。
3年前、私は大学で少林寺拳法サークルに所属していた。
金的蹴りばかり狙うので、男性部員は皆私との立ち合いを恐れていた。
元カレもまた、同じサークルの所属だった。
私は真剣に少林寺拳法を極めたかったのに、奴は猫被りの不真面目な後輩相手に不貞を働いたのだった。
私は元カレを去勢させる勢いで金的蹴りを連続で繰り出し、結果的にサークルを追放されることになった。
後悔は無いが、私がもう一撃クリティカルな蹴りを当てていれば新たな犠牲者を出さずに済んだかもしれない。惜しいことをした。

元カレと私、先輩の女性警部が取り調べ室に入る。
調書を作成する為に、私はパソコンの電源を入れた。
元カレは蒼白な顔で、私とあくまで視線を合わせない。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
今から私は目の前の敵と対峙するのだ。
そう、あれは遠い夏の日のことだった。
私は焼け付く様な真夏のピッチャーマウンドに立っていた。
高校野球県予選大会決勝、同点で9回2アウト満塁。
親友でマネージャーのあゆみが両手を握って祈っている。
「私を甲子園に連れてって!」
私は朦朧とした意識の中で汗を拭う。 
ごめん、あゆみ。私には次の一球を投げるくらいの力しか残されていないんだ。
『決勝戦も大詰めとなってまいりました。ピッチャーマウンドは河森、バッターは元カレ。この一球で試合が決まるのか!』
実況席も大盛り上がりだ。
キャッチャーとのサインが決まる。
3年間苦楽を共にした仲間。迷うことなく私は頷く。
そして、私の青春のすべてを乗せたストレートが元カレの股間めがけて放たれた。

「河森さん、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫です。聞いてますよ」
私は妄想の海から現実に引き戻される。
大丈夫、調書はきちんと作っている。
しかし先輩の女性警部は首を傾げ、眉を潜めている。
私の脳内を見破るとは、中々勘の良い先輩である。
◯◯駅構内において、容疑者◯◯が女子高生の尻に触った疑いあり云々。
やはり、私があの時に仕留めておくべきだったか。
そう、あの過ぎ去りし遠き春の様に。
源平の戦いも佳境となり、場所は阿波ノ国屋島。
源氏が急襲をかけるも、平家一行は船で沖へと逃れていた。陸と海で対峙する両軍。
そんな折、那須与一河森は突然呼び出された。
「あそこで縛られてるのって貴女の元カレよね。せっかくだから射抜いてしまいなさい」
親友で大将でもある、源あゆみ義経が耳元で囁いた。
目を凝らすと、M字開脚にされた元カレが船の甲板に縛り付けられている。
どうやら平家が我々を挑発し、射抜けるものなら射抜いてみよと言っているらしい。
私は弓を持って目標を見定める。元カレが拡声器を手に何か叫んでいる。
「違うんだ、俺の話を聞いてくれっ!」
「違わない。私は何も間違えない」
「お願いお願いします、ちょっと待ってぇ!」
「南無八幡大菩薩、我に元カレの金玉射させたまえっ」
私の放った弓矢はズバビューンと宙を切り裂き、元カレの股間目がけて襲いかかった。

「あのですね、河森さん」
「えぇ、ちゃんと聞いてますよ」
私はちゃんと仕事をしている。調書は出来上がりつつある。
「そうじゃなくてね、彼冤罪だったそうです。今駅員さんから連絡が入りました」
はぁ、そんなわけないじゃないですか。
私は思わず叫びそうになる。
ほっとした表情の元カレを睨みつける。
私の中で書かれた架空の調書が、虚空の彼方へと吹き消された。

2/7/2024, 4:00:49 AM

お題:時計の針

Chapter 1 個性
うちで飼っている時計には3本の針が生えている。
細い針はよく動く。とても元気。
長い針はのんびり屋さん。世話がかからなくて良い。
短い針はじっと見ているが全然動かない。病気かもしれない。


Chapter 2 シンデレラタイム
僕たちは、1時間に1度だけ逢うことが許されている。
けれど、それはほんの一瞬で、あっという間に2人の時間は離れていく。
「もうこんなの嫌っ」
ある日、唐突に彼女が言った。
「そんなこと言ったって、どうしようもないよ」
「私に良い案があるの」
今晩12時になった瞬間、時計を止めてしまおうと彼女は言った。
「そんなこと出来るの?」
「やってみなくちゃ分からない」
その夜更け、12時になる瞬間を見計らって僕たちは時計の電池を引っこ抜いた。
「やれば出来るのね、私達」
「ご主人様は大丈夫かな?」
「あのね、私達は時計の為に存在するわけじゃないのよ。ましてや人間の為に動く必要なんて全く無い」
僕はそんなこと考えたことすら無かった。
それは生まれてこの方聞いた中で、最も斬新な考え方だった。
「君が言うならそうなのかもしれない」
「せっかく一緒になれたのだから、思い切り楽しみましょ」
僕らは一生分よりもっと多い時間愛し合った。
夜が更けてきた。
ベッドから寝息が聞こえてきた。
「ご主人様ぐっすりだね」
「すやすやだわ」
まだまだ、シンデレラタイムは終わらない。


Chapter 3 束縛
高校の入学祝いで腕時計が欲しいと母にねだった。
「時計なんて、うちにいくらでもあるやないの」
母が無造作にタンスの引き出しを引っ張ると、ジャラジャラと出てくる。腕時計が6つ、7つ、8つ……
真珠のネックレスや化粧道具と絡み合っている。
仄かに白粉花の匂いが漂う。
「でもね、母さん。これ全部進み方が滅茶苦茶なんだ。電池を入れて確認したけど駄目なんだよ」
「それの何が悪いのさ。今まで時間が同じように進んだためしがあったかい?」
その時、時計の盤面が一斉にギョロリと僕を見た。
止まっていたはずの秒針が、カチカチと動き出した。
ああそうか。僕はまだ、この家の時間から逃れることは出来ないのだ。

2/6/2024, 6:31:17 AM

お題:溢れる気持ち
「遅刻したクマ」

クマ君が木のウロに現れたのは、約束の時間よりずっと遅く、太陽が一番杉の影に隠れてしまった夕暮れ時でした。
「ひどい目にあったんだ」
「どうしたんだい?」
フクロウ君が尋ねます。
「君の家に来る途中、蜂蜜を採ってから行こうとしたのだけれど、それでミツバチに追いかけられたんだよ」
「それは可哀想に」
クマ君の背中には落ち葉がこびりついており、何箇所かミツバチに刺されていました。
「僕はもう疲れてしまった。少し寝かせてもらうよ」
そう言うとクマ君は、よたよたと奥の寝室にもぐり込み、ふーっと息をついて目を閉じました。

昼前に用意した紅茶はすっかり冷めきっていました。フクロウ君が紅茶を流しに棄ててしまおうとした時、クマ君がパチリと目を開けて起き上がりました。
「そうだ、君に贈り物があったんだ」
クマ君は、背負ってきたリュックサックからツボを取り出しフクロウ君に差し出しました。
「フクロウ君に蜂蜜を持ってきたんだよ」
実はね、遅刻してしまうだろうなと思ったんだけどね。
君の家に来る途中、やっぱり蜂蜜を採ってから行こうとしたのだけれど、それでミツバチに追いかけられてしまってね。
クマ君がいつまでも眠そうな目で話し続けるので、フクロウ君は急いでクマ君の背中に毛布をかけました。
クマ君は、再びまぶたをとろんとさせて眠りにつきました。
目を閉じたクマ君が、寝言のように呟きました。
「僕が起きたら、紅茶を温め直しておいて欲しい。蜂蜜をたっぷり入れるんだよ」
フクロウ君は紅茶をポットに戻し、ホウっと息をつきました。
クマ君がやってきてから、ウロの中がほのかに暖かくフクロウ君までうつらうつらしてきました。
クマ君はいつ起きるのだろう。
夜になったらフクロウ君は散歩に行こうと思っていたのだけれど、こんな日は寝てしまっても良いのかもしれない。
紅茶には、クマ君がびっくりするくらい蜂蜜をたっぷり入れてあげよう。そうしたら目がパッチリと覚めて、一晩中お話が出来るでしょう。
フクロウ君は、屋根裏のランタンを灯してツボの中を照らしました。
テラテラと琥珀色の蜂蜜が揺れています。
フクロウ君はソファに腰を下ろし、まぶたを閉じました。
夢の中でフクロウ君は、クマ君とテーブルを囲み、紅茶を飲んでいました。
「蜂蜜をたっぷり入れるんだ」
クマ君が自慢げに言いました。
スプーンに4杯、5杯、6杯。
気付けばツボの奥から、コンコンと蜂蜜が湧き続けていました。
「蜂蜜がたっぷりだ」
クマ君が笑って言いました。そうして2人はいつしか蜂蜜の海を漂い、星の川を泳いでいました。

2/4/2024, 12:32:18 PM


お題:kiss「First kiss」

意味の無いところにキスは存在しない。
彼は賢しらにそう言った。
意味深な発言に私は詰める。
「で、どうなの?」
「なにが?」
いやつまり、誰かとキスしたのか、違うのか。
なんて、野暮なこと勿論聞かないのだけれど。
「もういい」
と、一旦会話を打ち切る。
私たちは時々、こうしてズル休みをし保健室で落ち合う。
意味の無い不毛な会話を繰り広げる。
他者の入る余地がないこの時間に、私は心地よさを感じる。
憂鬱な受験勉強も、束の間忘れられる私たちの箱庭だ。

彼は冒頭の議論について話し足りないらしく、話を戻した。
「たとえば、出会い頭に男女がぶつかって唇が重なってしまったとして。それがキスだって言える?」
答えはノー。と言いかけて、ちょっと思いとどまる。
分かって言ってるのかこいつ、と舌打ち。
漫画みたいだけれど、私は彼と同じシチュエーションになったことがあるのだ。
もう3年も前の話。私たちはまだ中学生だった。
私たちは偶然にも同じ高校に進学した。
正直、彼との衝突について、ついこの間まで忘れていたくらい。
「キスとは言えないかもしれない。けれど、その行為が後付けでキスだったと言えることもあるんじゃないかな、なんて」
私は、自分でもよく分からない感情のままそう答える。
「つまり?」
「後々彼らが恋人になったとして、お互いにその事実を覚えていたらキスだったと言えるかもしれない」
言い過ぎたか。あざとかったか。何を言っているんだ私は。
顔が熱くなる私をよそに、彼は研究者のように手を口元にあて何か思案している。
なるほど、いやしかし、その可能性には思い当たらなかった、とかなんとか。
彼は唐突に、ポンと手を打ち立ち上がった。
「桜を見に行こう」
「いや、まだ咲いてないけど」
「知ってる。咲いた時にってこと」
窓を開けると、肌寒い風が保健室を舞った。
春はまだ、少しだけ遠い。

2/3/2024, 10:34:05 AM

お題:1000年先も「太陽」

子供の頃、宇宙図鑑が怖かった。
ブラックホールのページは、うっかり開いてしまわないよう気を付ける位に恐れていた。
けれども、ブラックホールより僕を絶望させたのは太陽だ。
太陽はいつの日か膨張を始め、太陽系の星々を飲み込んでしまうのだという。
僕は消し炭の様に燃え尽きる地球を想像し、その日1日中布団の中で震えていた。
母は大丈夫、大丈夫と僕を慰めた。
「100年先も大丈夫?」
「大丈夫よ」
「1000年先も?」
「大丈夫」
そうか、1000年先も大丈夫なら、きっと大丈夫なのだろう。
母はもしかしたら嘘をついたのかもしれないと思ったりもしたが、それ以降太陽が地球を飲み込むことについて考えないようになった。

大人になった僕は、幼き日々と真逆なことを考えている。
50億年後か60億年後、太陽は超新星となり地球を飲み込むだろう。
僕は、ガラス細工の様に熱せられ、光を放ちながら消滅する地球を想像する。
個人の幸福も不幸も生も死も、世界歴史と同次元に核と融合し、構成元素をより重い貴金属へと昇華させる。
そんな身の丈遥か上の事象に想いを馳せると、僕の心は水の様に冷たく穏やかになるのだ。

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