マサティ

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お題:どこにも書けないこと
『痴漢にご注意!』

昼下がり、警察署に連行されてきた男は元カレだった。
私はコーヒーを吹き出しそうになるのを堪え、うつむいた。
彼も私に気付いたのか、一瞬カッと目を見開き視線をそらした。
元カレは痴漢の容疑で取り調べを受けるらしかった。
「河森さん、調書を担当して下さい」 
「えぇ?私ですか」
よりに寄って私に白羽の矢が立つ。
「刑事課の男性が皆、出払ってるので」
先輩の女性警部が淡々とそう告げた。
仕方ないとはいえ、元カレの取り調べは流石に憂鬱だった。しかも、私達は元カレの浮気が原因で喧嘩別れしたのだった。
3年前、私は大学で少林寺拳法サークルに所属していた。
金的蹴りばかり狙うので、男性部員は皆私との立ち合いを恐れていた。
元カレもまた、同じサークルの所属だった。
私は真剣に少林寺拳法を極めたかったのに、奴は猫被りの不真面目な後輩相手に不貞を働いたのだった。
私は元カレを去勢させる勢いで金的蹴りを連続で繰り出し、結果的にサークルを追放されることになった。
後悔は無いが、私がもう一撃クリティカルな蹴りを当てていれば新たな犠牲者を出さずに済んだかもしれない。惜しいことをした。

元カレと私、先輩の女性警部が取り調べ室に入る。
調書を作成する為に、私はパソコンの電源を入れた。
元カレは蒼白な顔で、私とあくまで視線を合わせない。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
今から私は目の前の敵と対峙するのだ。
そう、あれは遠い夏の日のことだった。
私は焼け付く様な真夏のピッチャーマウンドに立っていた。
高校野球県予選大会決勝、同点で9回2アウト満塁。
親友でマネージャーのあゆみが両手を握って祈っている。
「私を甲子園に連れてって!」
私は朦朧とした意識の中で汗を拭う。 
ごめん、あゆみ。私には次の一球を投げるくらいの力しか残されていないんだ。
『決勝戦も大詰めとなってまいりました。ピッチャーマウンドは河森、バッターは元カレ。この一球で試合が決まるのか!』
実況席も大盛り上がりだ。
キャッチャーとのサインが決まる。
3年間苦楽を共にした仲間。迷うことなく私は頷く。
そして、私の青春のすべてを乗せたストレートが元カレの股間めがけて放たれた。

「河森さん、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫です。聞いてますよ」
私は妄想の海から現実に引き戻される。
大丈夫、調書はきちんと作っている。
しかし先輩の女性警部は首を傾げ、眉を潜めている。
私の脳内を見破るとは、中々勘の良い先輩である。
◯◯駅構内において、容疑者◯◯が女子高生の尻に触った疑いあり云々。
やはり、私があの時に仕留めておくべきだったか。
そう、あの過ぎ去りし遠き春の様に。
源平の戦いも佳境となり、場所は阿波ノ国屋島。
源氏が急襲をかけるも、平家一行は船で沖へと逃れていた。陸と海で対峙する両軍。
そんな折、那須与一河森は突然呼び出された。
「あそこで縛られてるのって貴女の元カレよね。せっかくだから射抜いてしまいなさい」
親友で大将でもある、源あゆみ義経が耳元で囁いた。
目を凝らすと、M字開脚にされた元カレが船の甲板に縛り付けられている。
どうやら平家が我々を挑発し、射抜けるものなら射抜いてみよと言っているらしい。
私は弓を持って目標を見定める。元カレが拡声器を手に何か叫んでいる。
「違うんだ、俺の話を聞いてくれっ!」
「違わない。私は何も間違えない」
「お願いお願いします、ちょっと待ってぇ!」
「南無八幡大菩薩、我に元カレの金玉射させたまえっ」
私の放った弓矢はズバビューンと宙を切り裂き、元カレの股間目がけて襲いかかった。

「あのですね、河森さん」
「えぇ、ちゃんと聞いてますよ」
私はちゃんと仕事をしている。調書は出来上がりつつある。
「そうじゃなくてね、彼冤罪だったそうです。今駅員さんから連絡が入りました」
はぁ、そんなわけないじゃないですか。
私は思わず叫びそうになる。
ほっとした表情の元カレを睨みつける。
私の中で書かれた架空の調書が、虚空の彼方へと吹き消された。

2/8/2024, 8:27:39 AM