『ジャングルジム』2023.09.23
「ジャングルジムって三十四万あったら買えるそうですよ」
スマートフォンを弄っていた最年少の彼が突然そんなことを言いだした。
そんなことを言われてもどんな反応をしていいか困るし、かといって無視をするもの違う気がするので、そうかと頷くだけにとどめておく。
「買ってくださいよ、リーダー」
「なんでよ。どこに置くんだそんなもの」
「事務所の駐車場とか?」
最年少の彼だけでも大変なのに、そこに高身長の彼が加わってくるものだからややこしさ倍増だ。
「したらよ、いつでも遊ぶことできるべ」
高身長の彼は目を輝かせている。最年少の彼も同じようにはしゃいだ調子で、ジャングルジムの通販ページを見せびらかしている。通販ページがあることに驚いた。どこから見つけてきたのだろうか。
「それだったら、滑り台もほしくない?」
「滑り台は十万だそうです」
「ブランコは?」
「二十万あればなんとか」
「おお、余裕で公園作れるな!」
きゃっきゃと盛り上がる二人に頭が痛くなってくる。事務所の駐車場と言っても、そこまで広くはない。その三つを置いたとしても、満足に遊ぶことはできないだろう。
「あのさ、お前ら。さすがに狭すぎると思うぞ」
そう言うと、二人は心外と言った表情を浮かべた。
「したら、北海道に土地買って、事務所の新しい保養所にすんべ」
「いいですね、北海道。どこらへんがいいかな」
「そうだなぁ。北海道は広いからなぁ」
公園遊具の話から、今度は北海道の話になった。
美味いラーメン屋がある、あそこのスープカレー屋が有名だ、すすきのにあるあの飲み屋に綺麗なお姉ちゃんがいる云々。
「大きな子どもだな」
それまでずっと傍で聞いていた金髪の彼がボソッと呟く。
そんな呟きも聞こえていない様子の二人は、いつの間にかみんなで行く北海道旅行の話になっていた。
『声が聞こえる』2023.09.22
泣く声が聞こえる。
それはどこから聞こえているのかわからないが、確かにこの耳に届いている。
どこだろうと、稽古場から廊下に出て、声を頼りに姿を探した。
声のする方へ駆けていくと、女子トイレについた。中に入ると、一番奥の個室から、すすり泣く声が聞こえる。
ノックをして彼女の名前を呼んだ。
大丈夫かと声をかける、彼女は一瞬息をつめてから、私の名前を呼んだ。
「五分……三分だけ待ってもらえる?」
震える声に、わかったと返事をして私はそのまま彼女のいる個室を見つめる。
珍しい。いつも天真爛漫な彼女がこうして稽古で泣くなって、いつ以来だろうか。
確かに、さっきまでの稽古では、演出家の先生にこっぴどく叱られていた。
それでも彼女は気丈にふるまっていて、ダメ出し一つ一つに頷いて大きな声で返事をしていた。
休憩に入るなり彼女はトイレに行くと言って飛び出したのだ。
叱られたから泣いているのではない。自分の不甲斐なさに泣いているのだ。子どもの頃から彼女は自分自身に厳しかった。弱音はあまり吐かないし、逆境も笑って乗り越える強さがあった。
しかし、ごくたまにぺしゃんこにつぶれるときがある。
一人で泣いてくるのを、なぜか私は知ることができた。
声にならない声が、私を呼んでいるのだ。
「三分経ったよ」
「ちょっと、早すぎ。あと二分」
泣き止ませるようにそう言えば、彼女はふはっと噴き出す。ゴンゴンと扉をノックし続ければ、ようやく泣き止んだ彼女が出てきた。
すっかりいつもの彼女に戻っていた。
「ありがと」
そう笑う彼女とハイタッチをしてから、私たちは稽古場に戻った。
私は彼女の声にならない声が聞こえる。
それは、これから先も変わらないだろう。
『秋恋』2023.09.21
秋というものは、わけも無く人恋しくなる季節だ。
ひんやりとした朝晩の空気、野山を紅く染める葉。
それなのに、僕の心は紅く染まることがない。
あの人が傍にいれば、紅葉するのに。
あの人の趣味である盆栽の紅葉もきっと、紅くなっている。
大切にされている自負はあるが、それもきっと僕の亡父のお陰だろう。
今の僕の地位があるのは、亡父のお陰。
そんなことぐらいは、分かっている。
それでも、あの人に愛されたいと思うのはいけないことなのだろうか。
無口なあの人から、沢山の愛の言葉を賜りたいと思うのは罪なのだろうか。
もし、今この場にあの人がいたら、どんなふうに話しかけてきて、どんなふうに僕を見てくれるのだろうか。
想像するだけで、胸の奥が締め付けられる。
しかし、隣を見てもあの人はいない。
ただ、いつかあの人から頂戴した紅葉の盆栽だけが紅く色づいている。
『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む』柿本人麻呂
『大事にしたい』2023.09.20
自分で言うのもなんだが、俺はモテる。アメリカで修行していたときなんて、彼氏と彼女の両方が同時に存在していた時もあるのだから、モテているほうだろう。
だからといって、ずっと一緒にいようだなんて口にしたことはない。あったのかもしれないが、それはリップサービスというやつでそこまで本気というわけではなかった。なので長続きはしなかった。当然だ。
日本に戻ってくるときなんて、当時付き合っていた何代目かもわからない仔猫ちゃんを泣かせるかたちで別れたのだ。あっちはどうやら本気だったらしい。
恋愛はあくまで人生経験の肥やし。
そういう認識だったから、本気で誰かを好きになったことなんてなかった。
しかし、戻ってすぐに知り合った毛色の違う仔猫ちゃんの存在が俺の認識を狂わせた。
バカみたいに素直で無邪気な仔猫ちゃんは、俺を手放しで慕ってくる。なにかあるたびに俺の傍に寄ってきて、あんなことがあったこんなことを言われたと教えてくれる。俺のほうが先輩だから、わからないことがあるとなんでも聞いてきた。
それが結果となって実を結んだとき、嬉しくて号泣する仔猫ちゃんを見て、本当の意味で好きだと気付かされた。
可愛くていじらしくて愚かな仔猫ちゃん。
そんな仔猫ちゃんへの感情は、これまで自分が抱いたことのないものだ。
仔猫ちゃんを自分のものにしたくて、押して押して押しまくって手に入ったときは嬉しかった。
だから、この好きだ愛しているという気持ちも、仔猫ちゃんという存在も大事にしたいと強く思った。
『時よ止まれ』2023.09.19
「Verweile doch,du,bist so schoen」
「へー、アナタでもそんなロマンチックな言葉言えるんですね」
いい雰囲気だったので、そんなシャレた事を言っても彼は本気としてとらえない。
それはそうかもしれない。世間が考えるような甘酸っぱい関係でない俺たちに、愛の言葉など不要だ。
「お返事は聞かせてくれねぇの?」
「どうして」
「どうしてって……一応、付き合ってっからなぁ」
改めて聞かれると困るが、なにかしらの良い反応は欲しかった。
「ちゅーか、よくわかったね」
「分かりますよ」
外国語に明るいのは少し意外だった。しかし、彼の友人に関西人の英国人がいるから、別に意外ではないのかもしれない。
「読んだことありますから」
俺の言葉というより、その言葉の載っている本のことを指しているようだった。
「先輩に勧められた本の中にあったんです」
「えっ……そっちを勧められたわけ?」
変わった先輩だ。普通は和訳したものを勧めるはずなのに。
「アナタはなにをもってそんな言葉を吐いたんです? 一番縁遠そうなのに」
「失礼だな。俺ぐらいになると他国の著書の知識も必要になってくんの!」
「ウザっ」
「ウザくない!」
鮮やかな紫の彼は、心底嫌そうに吐き捨てる。反論すると、余計に眉間のシワが深くなり表情も険しくなった。
彼に言った言葉は実は本心だ。時さえ止まれば、永遠に今の関係のままいられる。
彼の美しさもそのままに。
だから、願わずにはいられない。
――時よ止まれ、キミは美しい。