『夜景』2023.09.18
山の奥の社から下界を見渡す。国家元首の趣味で時代が逆行しても、この夜景は変わらない。
他の地方は知らないが、少なくともこの首都は以前のままだ。
男はそれを無感動の表情のまま見下ろしながら、やがて来る新しい時代に思いを馳せた。
先の大戦でかの国より持ち込まれたプレゼント。
それが今、ここにある。
男はそれをまるで赤子に触るように、優しく撫でる。
着々と駒は集まりつつある。
その駒は「どこにでもいるありふれたもの」だから、わざわざ探さなくても手に入った。
残るはあと一つ。
目は付けてある。下準備も万端だ。あとはきっかけを待つばかりである。
男の傍らでは「どこにでもいるありふれたもの」を持つ青年が侍っている。凛々しさのなかにもあどけなさを持つ彼は、男の忠実な「駒」である。
「この夜景も見納めだな」
そう語りかけると、青年は短く「はい」と答えた。
必要以上、喋ることはない。当たり前だ、初めて会った時にそう細工をしたのだから。
「新しい時代の幕開けだ。お前の働きには期待している」
どこぞの悪役のような言葉だ、と言ってから気付いた男は笑う。しかし、青年はニコリともせずに男を見つめている。
それで良かった。変に反抗されるよりは幾分かマシである。
「少し休む。時間になったら起こしてくれ」
「おやすみなさい」
青年はそう言って部屋から出て行った。それを見届けてから、男はまた夜景を見下ろす。
あと数日もすれば、この夜景が更に明るくなる。目が潰れるほどに。
新しい時代を見届けられなくても構わない。新しい時代のきっかけになることが重要なのだ。
だから。
男は惜しむように夜景を見つめた。
『花畑』2023.09.17
「今からコスモスでも見に行かない?」
唐突にそんな事を言われて、唐突に連れ出された。
汐留駅の近くにある公園が今は見頃なのだと、彼は得意げに言った。
これが可愛い女の子に言われたのならばやぶさかではないのだが、残念ながら誘ってきたのは百八十五センチのいい歳をした男である。
素直に思ったことを言っても、彼は笑うだけだ。子どもの戯れだと思っているのだろう。三十代も四十代も変わらないが、彼からすれば、オレは子どもなのだ。
そんな気持ちのままに公園に着くと、果たして満開のキバナコスモスが咲き乱れていた。
オレンジ色の花が一面に咲き誇っており、青空とマッチしていてまるで絵画のようである。
「気に入った?」
彼はそう問う。
「ここの写真を見た時、お前を思い出してさ。一緒に来たかったんだよ」
ニコニコと目尻のシワを深くして、彼は嬉しそうに笑う。
なるほど確かに、オレンジ色も空色もオレが持っているものだ。
彼はこのコスモス畑からオレを連想し、今日ここに連れてきたのだという。
「自然な美しさ。お前にピッタリだな」
恥ずかしげもなくそんなことを言って、彼はうんうんと頷く。
そして、おもむろにスマートフォンを取り出し、こちらに向けた。
「ほら、笑って」
――パシャリ。
オレはどんな顔をしていただろう。満足げに笑う彼を見るに、きっと自然な顔をしていたのだろう。
『空が泣く』2023.09.16
葬式に出た。
三十二歳という若さでこの世を去った友人の葬式だ。心臓の病気らしい。そんな気配はまったく無かったので、急死ということらしい。
ネットやら他の友人からの連絡で知ったのだが、それをオレは信じなかった。だから、彼に連絡をした。
電話も出ない。メッセージアプリも既読にならない。
彼が最近ハマっているという麻雀をしているのだと思った。
しかし、翌日になって改めて彼が死んだとの報告を受けた。通夜と葬式の連絡を受け、実感のないまま参列した。
棺に眠る彼を見た時、眠っているのかと思った。
他の仲間たちも信じられないと言った顔をして、彼に話しかけていた。
「なに寝てるんすか、どうしたんすか」
大きな身体の後輩が顔をくしゃくしゃにしている。誰よりも繊細な後輩は、べしょべしょと号泣していた。
「アナタ、来週の旅行はどうするんですか」
普段は派手な紫色をしている友達も、今日は髪を黒にして参列している。彼と紫の友達は気難しい性格同士、気が合うらしく、よく遊びに出かけていた。来週も、二人で熱海へ旅行に行くのだと、嬉しそうに語っていた。
オレも彼の棺に歩み寄る。本当に眠っているように見える彼に、ぎゅうっと胸を締め付けられた。
ボロボロと涙が止まらない。悲しい苦しい。
こんなオレを彼が見たら、「なに泣いてんの」と笑いながら言うことだろう。
「あほ」
そんな小さなつぶやきが口をついた。
全てが終わり、棺が閉じられる。オレたちが送った花に埋もれた彼は、やはり眠っているようにしか見えなかった。
葬祭場の外に出て、あんなに晴れていた空から大粒の雨が落ちている。
それはオレたちの涙か、はたまたま若い彼を悼んで空が泣いているのか。
誰も知らない。
『君からのLINE』2023.09.15
『食事にでも行きませんか』
スタンプも絵文字もない素っ気ないメッセージ。
久しぶりに届いたお誘いのメッセージに叫んでしまった。わりと本気で。奇声と言っても差し支えないぐらい。
何事かと飛び込んできた弟子に、なんでもないと身振りで応えてから、届いたそれを食い入るように見つめる。
あの素直じゃなくて気まぐれな彼からの、自発的なそれに心臓がタップダンスを踊っている。
俺の高座にきたついでの食事はいままで何度もあったが、なんでもないときにこうして彼からのお誘いはかなりレアなのだ。
ひとまず、スクリーンショットを撮っておく。
それから、深呼吸をひとつしてからどうやって返信をしようかと腕を組む。
『お誘いthx! チョーうれピー!』
これはダメだ。ふざけるなと怒るだろう。
『いいね。行こう』
これもシンプルすぎて面白みがない。
こちらから誘ったとき、彼はどんなふうに受けてくれただろうか。
参考に見返すと、
『いいですよ』
実に素っ気ない彼らしい文面だった。全く参考にならない。
しばらく悩みに悩んで送った返事は、『OK』というスタンプ一つだった。
もっと強くなれ、俺。
『胸の鼓動』2023.09.08
バクバクとうるさいぐらいに胸の鼓動が鳴っている。
喉が締まり、声が出ない。呼吸が、詰まる。
こんなこと今までなかったのに。
(緊張してる? オレが?)
信じられない。ありえない。どうして。
たくさんのクエスチョンマークが頭に浮かび、よけいに心臓が早鐘を打つ。
舌が痺れ、手が震える。
ヤバい病気にでもなったんじゃないか。本番前に?
皆は舞台袖にいる。
早く行かなくてはいけない。でも、体が動かない。
誰かを呼びたいのに、発声できない。
そんな時、スマートフォンの通知音が響いた。バクンッと心臓がひときわ大きく跳ねる。
震える手を叱咤しながら画面を見ると、ふっとこれまでの不調が嘘のように無くなった。
『おつかれ』
という最初のメッセージに続いて、
『緊張してる?』
『大丈夫』
『お前なら大丈夫だよ』
と続けてメッセージが届いた。
あの人からの激励のメッセージだ。
このお役をいただいたとき、あの人はそうやって励ましてくれた。不安でぺしゃんこになりそうだったオレを、あの人は見透かしたように連絡をくれて、大丈夫だと言ってくれた。
今回もそうだ。
『がんばれ』も『期待してる』もない。『大丈夫』の三文字。
それだけで、嫌な騒ぎ方をしていた鼓動も落ち着いてくる。
代わりに、別の騒ぎ方をする。
それは『楽しい』という名前の胸の鼓動だ。