『踊るように』2023.09.07
彼の歌声は、まるで踊っているようだった。
ただ、歌っているだけではない。抑揚の付け方も表現力も、伸ばしたり跳ねたり。さながらそれは、一つのダンスのよう。
彼の歌声には、そう思わせる力がある。
逆に、彼のダンスからは歌声が聴こえる。
彼の全身が楽器のように音色を奏でていると錯覚させる。
それだけ、彼の歌やダンスは不思議で魅力的なのだ。
彼が歌い踊るたびに、観客の視線が動く。
自分の一挙一動に注目が集まる。
それは舞台人なら誰しもが快感に感じることだ。
実際に、彼もそれが嬉しいと言っていたし、自分もそう思っている。
発声一つ、手の伸ばし方一つで物語の世界に連れ込むことが出来ればこっちのものだ。
今も彼は歌声を踊らせている。
例えるならそれは、パ・ドゥ・シャ、フェッテ。
間近で彼の歌声を聴けることの喜びを噛み締めながら、自分も歌声を踊らせた。
『時を告げる』2023.09.06
幕の向こうでは大勢の気配。オケピから聴こえるチューニングが静かになった。開演まであと少しだ。
いつだって、この瞬間から言いようのない興奮が自分の内側に湧くのだ。
開演を今か今かと待ちわびているのは演者も同じだ。早く「役に生きたい」と叫んでいる。
板付きだとなおさらだ。観客の熱気が緞帳越しに伝わってくるこの快感は、舞台人でなければ分からないだろう。
今回、この舞台が初めてだという共演者に目配せをする。彼は不安を隠せずにいて、顔が青ざめている。
パチッと目が合った。
「どうしましょう」
声に出さずに口だけを動かしてこちらに伝えてくる。今にも泣きそうな彼に、仕方なくそっと近寄り肩をぽんと叩いて、大丈夫だと頷いてみせた。
すると彼は不安そうにしながらも、幾分か表情を柔らかくして、頷き返してくれてた。
それを見届けて立ち位置に戻り、深呼吸をする。
緊張しているのは、こちらも同じだ。やはり幕が降りるまでは何があるか分からないし、不安でもある。
しかし、それを楽しむのも役者だ。
開演の時を告げるベルが鳴る。
ざわめいていた客席が静かになった。
舞台が、始まる。
『貝殻』2023.09.05
「貝殻がなんで渦を巻いてるか知ってる?」
いたずらっぽく親友である先輩役者がそんなことを言う。
話したくて仕方がない、といったような顔だ。
「知らん」
促すようにそう言えば、彼は少しだけ得意げにする。
「星の波音が聴こえた貝殻が、星に見蕩れて渦巻くようになったんだって」
「なんかの歌やろ、それ」
たしか、フォークソングを歌う男性三人組の曲ではなかっただろうか。有名なアニメ映画の主題歌で、そのロマンチックで切ない歌詞が人気の楽曲だ。
「なんだ、知ってたか」
彼は残念そうに肩を落とす。すこし申し訳ない気もしたが、いつものことなので、フォローはしない。
放ったらかしにしていると、彼はじっとこちらを見つめてくる。
「なんやの」
「お前の耳は貝殻だったりしない?」
それも、歌詞に出てくる言葉だ。その理論でいくと、彼は遠い人になってしまう。それは嫌だ。
もっとも、そんなことは恥ずかしくて言えるはずもなく、
「……うっさい」
そんな生意気な返事しかできなかった。
オレはいつだって、彼の声を聞いていたいし、近くにいてほしいのだ。
『きらめき』2023.09.04
きらめきの世界には闇が少なからずある。
必ずしも綺麗なものではなく、汚い部分もあるのだ。
ガラスの割れる音、悲鳴、怒声。
にわかに色めきたつ店内は、そんなきらめきとは縁遠い有様となっている。
最近、順位を上げてきた女の子が、客の男に羽交い締めにされていて、首元に何かを突きつけられている。
男は目が血走っていて、何事かを喚き散らしている。
女の子が男を袖にしていることが気に食わない。自分以外の客を取るな。
こんな具合である。
黒服たちも女の子を人質に取られているので、身動きができない。
おれは気づかれないように、スマートフォンで警察に連絡を入れようとすると、誰かに制された。
「俺にまかせて」
そっと耳打ちをされ、ドキリとした。
顔なじみの黒服が、いつもの右口角を上げる笑い方をする。
そして、灰皿を手に取ると、それを男に向かって投げた。
それは、綺麗に男の顔にヒットする。怯んだ好きに女の子は逃げ出し、他の黒服に救出された。
「いけませんね、お客様。女の子に乱暴したら出禁ですよ」
彼は穏やかに言いながら、男に近寄る。
「その前に、落とし前付けないといけねぇな」
彼の言葉を合図に、黒服たちが男を取り囲み、そのままバックへ連れて行ってしまった。
入れ替わりに別の黒服たちがやってきて、人質にされた女の子のケアをする。
彼はマイクを持つと、その場にいる客に向かって語りかけた。
「大変申し訳ございませんが、本日は閉店いたします。お騒がせいたしましたのでお代も結構です。ですので、今日ここであったことは他言無用でお願いいたします」
反論すら許さないその声音。彼に逆らってはいけないことは、歌舞伎町に「遊び」に来るものなら誰でも知っている。
きらめきという意味を持つこの店の闇は、他ならぬ彼なのである。
『些細なことでも』2023.09.03
「味付け変えた?」
彼はそう言って、首を傾げる。
まさか、そんなはずはない。いつも通りだ、と伝えると彼はまた渋い顔をする。
「いつもと味が違う気がする」
もう一口食べて、やっぱり違うと首を縦に振った。
「なんか違うんだ」
そう言いながらも、食べ進めてくれているからまずくはないのだろう。当然だ、この俺が作ったんだかはまずいはずがない。
しかし、味が違うという言葉は気になる。
俺も食べてみる。すると、本当に微かに味が違うような気がした。
「ほんとだ」
何が違うのだろう。舌の上で探ると、普段の料理より塩味が強いことが分かった。
「よく気がついたね」
そう褒めると、彼はうんと頷く。
「だって、いつも食べてるからわかる。もしかして、今日疲れてる? 暑かったもんね」
たしかに、今日は暑かった。それが料理の味に出てしまったのだろう。感じた塩味はごく微量。普通の人ならまず気が付かない。
だが、それを彼は気付いた。
そして、俺があまり本調子でないことも、あっさりと見抜いた。
劇作家ゆえの観察眼か、それとも長く俺といるからなのか。
どちらにせよ、些細なことでも気づく彼の目は、大したものだと思った。