誰もいない教室
小学生のころ、学校に忘れ物をして夜の6時ごろに取りに行ったことがある。
職員室には人はいたような気がするが、何か寂しげだった。人がほとんどいなかったからかもしれない。しかし、教師というものはもっと遅くまでいるイメージを持っていたから、少し不自然に感じた。
職員室を抜けて階段を登ると、何か水が滴るような音が聞こえてきた。そのとき、友達が話していた怪談話を思い出し、さらに怖くなった。考えるな!考えるな!そんなことを考えたところで意味はない。と、必死に自分に言い聞かせて歩いた。
私の教室は3階にあったため、さらに気が遠くなった。階段を登りきるころには息が切れていた。いつもならこんなに激しく呼吸なんてしなかった。きっと、夜の教室のせいだ。そう文句を言いつつ教室に入った。人がいるとは思っていなかったが、やはり静かだった。何だかモスキートーンのような音が聞こえていた気もするし。
今の私には、その時何を忘れたのかは覚えていない。しかし、ロッカーの中にあったことは覚えている。自分のロッカーをあさっても忘れ物はなかった。だったら、隣だろうと推理し、まず右隣のロッカーをあさった。明日、ちゃんと謝らなければと思う暇など、その時にはなかった。もう早く帰りたい一心で。
その夜の学校の恐怖で、何を忘れたのか、結局見つけられたのか、恥ずかしいが今では覚えていない。しかし、誰もいない教室の恐怖は鮮明に覚えている。次の日の登校は少しためらった。そんな記憶もまだ残っている。
もう、夜の教室はこりごりだ。何かが本当に出そうで怖い。周りをキョロキョロせずにはいられない。それ以来、もう夜の教室には絶対に行かないことにしている。忘れ物があっても、絶対に!
信号
だいたいは危険といったら赤色だ。道路にある信号もそう。渡るのは危険だから絶対に目立つ赤色にする。
救急車やパトカーも。注意しろ!危険だ!そんなふうにぱっと分かってその場から逃げてしまう。
赤色は訴える力が強いのか。ふとそんな感じに思う。しかし注意といったら黄色だ。赤色よりかは柔らかいが何か嫌な予感がする。早く逃げろ!そう言っているように感じて仕方がない。
一方、青色は優しく包み込むような雰囲気で、通っていいよ。と、女神様か何かに囁いてくれているよう。
この三つの色の対比を改めて考えてみたが、やはり信号にはこの色でないと気持ちが悪い。最初にこれを考えた人凄すぎだろ!って言いたい。
しかし色とは不思議なもので、場面や状況が変わるとその色が訴えるものも変わってしまう。
例えば赤色はスポットライトにして照らすと、情熱的な燃え上がるような雰囲気にころっと変わる。
黄色の服を着ると、めっちゃ目立つがなんか楽しげ。明るい人だと反射的に感じる。
青色は男性が着ると爽やかなクール系に見えるし、女性が着ると夏にこれ着て海行きましたみたいに思ってしまう。
何気なく信号を毎日見ているが、もう一度信号に引っかかったらまたじっくり見てみたい。それと、これ作った人やっぱりすごいや。って、思った。
ただの信号に関する感想でした。
ページをめくる
いつもスケッチブックを開くときはワクワクする。真っ白なペーもそうだが、やはり、自分の書いた絵が1ページごとに描かれている。これがたまらない。次は何が書いてあったけ?そして、めくったときの高揚感。こんなものが描けるのかと自分自身でも驚くような絵があったりもする。
いつでも、ページをめくるときは期待と興奮が高まる。スケッチブックだけではない。本も写真集も何もかもが同じように感じることができる。
私にとっては、本というものが人類史上最高の発明だと思う。それだけに、素晴らしく美しいものだ。
夏の忘れ物を探しに
昔の話だ。中学の頃だろうか。あまり友達もいなく、打ち解けられていない中学最後の夏。二学期が始まってからも相変わらず独りぼっち。
一人で、学校を登下校するのは別に苦ではなかったし、そっちの方が気楽でよかった。誰かに話しかけてほしいなんて、その頃は考えもしなかった。唯一、小学校から仲の良かった友達も、他の誰かと楽しそうに話している。いつかは離れていくのだろう。そう思うのに、別にどうでもいいやと背を向けてしまう。
夏休みが終わってからも、一人で登下校をする。自分の好きなことだけを考えて、嫌なことは考えない。そうしていると、いつの間にか学校に着いている。着いた途端に憂鬱に感じる。授業もまともに受けたくもないし、誰かに質問もしたくない。まさに、あの頃は一匹狼だった。
ある日、下校中に横断歩道の待ち時間に空を見上げてみた。すると、夏なのにうろこ雲が空全体を覆っていた。うろこ雲は秋の雲のはず。まだ暑くて制服にも汗が染み付いているくらいなのに、空はもう秋の雰囲気になっている。
横断歩道を渡り始めると、自然に雲から地面に視線が移った。さっきまでは憂鬱だったのに、なぜか少しだけ気分が良くなった。うろこ雲は天気が急変する前触れだと言われることがある。本当にその通りだと思った。私の中の天気も晴れに変わった。
あと半年も頑張れば、この生活も終わる。高校生になったら、新しい友達を作ってみたい。今までそんなことを考えたことなどなかった。たぶん気分が高揚しているのだろう。高校生に早くなりたい。そう思った。
しかし高校生になった今では、中学校の頃に戻ってやり直りたいと思っている。何か大きなものが欠けていた。そう感じるのだ。嫌なことからずっと逃げていた。あの時に、逃げていなければもっと楽しかったのかもしれない。
高校生になった今は、逃げずに立ち向かっている。そして壁を乗り越えた時の達成感が快感になっている。もっと前から、そうしていればよかった。あの中学最後の夏に、あの雲を見たときに気づくことはできたのだろう。しかし、もう戻ることはできないから、進むしか方法はない。夏のあの時の気づかなかった忘れ物は、今になって見つけられた。次は忘れ物のないように、一歩一歩進むだけだ。
ふたり
一人二役。そんな言葉がある。まるで、別人のように振る舞い、一人の人が二人を演じる。
直接的に目の前に二人がいる、一人の役者が二人を演じる。これなら理解もできるが、一人の心の中にもう一人がいる場合もあるだろう。これは、直接的には見ることも感じることも難しい。しかし、私にはそれが理解できるような気がする。なぜなら、私自身の中にも別人が住んでいるからだ。どこか私に似ているが、全て同じではない。自分の分身、そのような感覚に近い。
小さいころに創り上げた創造の人物。元々その別人が住んでいたわけではない。しかし今では、もう一人の自分に会いに行くために彼の住まう家に遊びに行っている。
彼の家に遊びに行くと、全てを忘れて楽しめる。辛かったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、それらを吹っ飛ばしてくれる。彼がいなければ、私はこの現実で生きていけない。そんな気がするのだ。もし彼を創っていなかったら、そんなことを想像することができない。
彼とふたりなら、生きていける。それくらいに今では大切な存在だ。将来、彼がいなくても生きていけるようになるまで、遊び尽くしたい。それが今の私なのだ。