リル

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10/10/2025, 10:31:06 AM

一輪のコスモス

 母にコスモスを送ったことはまだない。母の日、もしくは秋になるとふと何か贈ろうかと考えることがある。しかし私は母にコスモスを渡す勇気がない。
 母の日といえばカーネーションだが、私にとってはコスモスなのだ。カーネーションはとても華やかな花だが、どこか自分の中の母のイメージと違うように感じる。もっと落ち着いていて安心できる、そんな花が似合うと思うのだ。それが、コスモスだと思っている。しかし、コスモスは春には咲いていない。だから、いつも諦めてしまう。
 だが、去年の秋にコスモスを母に贈ることができた。学校の授業で紙を使ってコスモスを作る課題が出た。絶対にうまく作ってやる!そう、意気込んで真剣に取り組んだ。
 とても満足のいく作品に仕上がった。それを、学校の行事で展示し、見てもらうことができたのだ。とても嬉しかった。これが、母に贈った最初の一輪のコスモスだ。

9/21/2025, 1:46:47 AM

既読がつかないメッセージ

 息をひそめて機会をうかがう。これは、送ってはいけない言葉だったろうか。既読がつかないと、何か良からぬことに巻き込まれているのではないか。心配性の人間である私は、既読が10分経ってもつかないと心配になって何度も何度も送ってしまう。そして、ようやく既読がついたとき、一瞬だけ安心するのだ。その後に返信がないと、また心配になって居ても立っても居られなくなる。
 私は既読がつかないことが、恐怖で仕方ない。相手がどう思っているのか知りたくても顔が見えないし、どこで何をしているのかも分からない。メッセージを送るときですら、何度も読み返して相手がどう感じるかを考える。しかし、送ってみなければ分からないのだから、何度読んでも答えにはたどり着かない。
 あ〜、早くこの心配性をなんとかしたい…。メッセージを送ったあとは毎回、この言葉が浮かんでくる。
 こんな調子で毎日やっていると、頭が痛くなりそうだ。変えられるものなら変えたいが、難しそうだな。これも私自身の良さだと思い込んで、また新しい一日を始める。
「今日って暇?」
 そう一言送って返ってくる言葉を待ち続けるのも、考え方を変えると楽しいかもね。

9/20/2025, 12:27:52 AM

秋色

 秋といえばオレンジ色…橙色といったほうが良いか…
 ふと思った。なぜ秋は温かい色(橙色)のイメージがあるのだろうと。
 「孤独の秋」という言葉がある。それならば、温かみのある色でなくとも良いではないか。寂しさを感じるという意味の「孤独の秋」。だんだんと寒くなっていくから、だから孤独という言葉を使うのか。それとも、別の意味があるのか。
 私は不思議でならない。なぜ、秋は温かさと寂しさの両方を持ち合わせているのかと。
 焼き栗や栗ご飯、焼き芋や焼きりんご。どれも秋の温かさを感じる。まあ、それが一番か。グダグダ考えたところで、秋を楽しめない。美味しいものを食べまくって…ってすると「食欲の秋」で食べすぎて太るのが定番だ。
 秋は夏の終わりを思わせる。だからきっと、その楽しい夏に寂しさを感じるのだろう。それをかき消すために食べまくったり、読書をしたりするのかもしれない…。

9/13/2025, 11:56:39 PM

空白

 最近、文章を書いてなかったからその期間は空白っちゃ空白だよね。やらなきゃいけないことほどやりたくなくて、どんどん時間が過ぎていってしまう。そして、あっという間に半年経ってたりする。
 嫌な人には会いたくないのと同じで、嫌な気分のときは家から出たくなくなる。なるべく人と関わりたくない。
 私自身、文章を書くのは好きだけど、それでも空白の時間はできてしまう。全てを好きな時間にまわせない。平日は忙しくて書けないから、だんだんとストレスが溜まっていく。負の連鎖と言っても良いんじゃないか。このサイクルはあまり好ましくない。だって好きなことができないのだから。
 でもその一方で、平日は好きなことを我慢をして、休日は楽しことをやりまくるぞ!なんて言い聞かせて頑張ろうともする。そう考えると、空白の時間も大切なのかもしれない。ただ単に好きなことばかりやっていても、飽きるだけだろうし。
 とは言ったものの、やはり好きなことはやりまくりたいというのが、私の願望ちゃ願望ですね。

9/7/2025, 12:04:22 AM

誰もいない教室

 小学生のころ、学校に忘れ物をして夜の6時ごろに取りに行ったことがある。
 職員室には人はいたような気がするが、何か寂しげだった。人がほとんどいなかったからかもしれない。しかし、教師というものはもっと遅くまでいるイメージを持っていたから、少し不自然に感じた。
 職員室を抜けて階段を登ると、何か水が滴るような音が聞こえてきた。そのとき、友達が話していた怪談話を思い出し、さらに怖くなった。考えるな!考えるな!そんなことを考えたところで意味はない。と、必死に自分に言い聞かせて歩いた。
 私の教室は3階にあったため、さらに気が遠くなった。階段を登りきるころには息が切れていた。いつもならこんなに激しく呼吸なんてしなかった。きっと、夜の教室のせいだ。そう文句を言いつつ教室に入った。人がいるとは思っていなかったが、やはり静かだった。何だかモスキートーンのような音が聞こえていた気もするし。
 今の私には、その時何を忘れたのかは覚えていない。しかし、ロッカーの中にあったことは覚えている。自分のロッカーをあさっても忘れ物はなかった。だったら、隣だろうと推理し、まず右隣のロッカーをあさった。明日、ちゃんと謝らなければと思う暇など、その時にはなかった。もう早く帰りたい一心で。
 その夜の学校の恐怖で、何を忘れたのか、結局見つけられたのか、恥ずかしいが今では覚えていない。しかし、誰もいない教室の恐怖は鮮明に覚えている。次の日の登校は少しためらった。そんな記憶もまだ残っている。
 もう、夜の教室はこりごりだ。何かが本当に出そうで怖い。周りをキョロキョロせずにはいられない。それ以来、もう夜の教室には絶対に行かないことにしている。忘れ物があっても、絶対に!

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