ページをめくる
いつもスケッチブックを開くときはワクワクする。真っ白なペーもそうだが、やはり、自分の書いた絵が1ページごとに描かれている。これがたまらない。次は何が書いてあったけ?そして、めくったときの高揚感。こんなものが描けるのかと自分自身でも驚くような絵があったりもする。
いつでも、ページをめくるときは期待と興奮が高まる。スケッチブックだけではない。本も写真集も何もかもが同じように感じることができる。
私にとっては、本というものが人類史上最高の発明だと思う。それだけに、素晴らしく美しいものだ。
夏の忘れ物を探しに
昔の話だ。中学の頃だろうか。あまり友達もいなく、打ち解けられていない中学最後の夏。二学期が始まってからも相変わらず独りぼっち。
一人で、学校を登下校するのは別に苦ではなかったし、そっちの方が気楽でよかった。誰かに話しかけてほしいなんて、その頃は考えもしなかった。唯一、小学校から仲の良かった友達も、他の誰かと楽しそうに話している。いつかは離れていくのだろう。そう思うのに、別にどうでもいいやと背を向けてしまう。
夏休みが終わってからも、一人で登下校をする。自分の好きなことだけを考えて、嫌なことは考えない。そうしていると、いつの間にか学校に着いている。着いた途端に憂鬱に感じる。授業もまともに受けたくもないし、誰かに質問もしたくない。まさに、あの頃は一匹狼だった。
ある日、下校中に横断歩道の待ち時間に空を見上げてみた。すると、夏なのにうろこ雲が空全体を覆っていた。うろこ雲は秋の雲のはず。まだ暑くて制服にも汗が染み付いているくらいなのに、空はもう秋の雰囲気になっている。
横断歩道を渡り始めると、自然に雲から地面に視線が移った。さっきまでは憂鬱だったのに、なぜか少しだけ気分が良くなった。うろこ雲は天気が急変する前触れだと言われることがある。本当にその通りだと思った。私の中の天気も晴れに変わった。
あと半年も頑張れば、この生活も終わる。高校生になったら、新しい友達を作ってみたい。今までそんなことを考えたことなどなかった。たぶん気分が高揚しているのだろう。高校生に早くなりたい。そう思った。
しかし高校生になった今では、中学校の頃に戻ってやり直りたいと思っている。何か大きなものが欠けていた。そう感じるのだ。嫌なことからずっと逃げていた。あの時に、逃げていなければもっと楽しかったのかもしれない。
高校生になった今は、逃げずに立ち向かっている。そして壁を乗り越えた時の達成感が快感になっている。もっと前から、そうしていればよかった。あの中学最後の夏に、あの雲を見たときに気づくことはできたのだろう。しかし、もう戻ることはできないから、進むしか方法はない。夏のあの時の気づかなかった忘れ物は、今になって見つけられた。次は忘れ物のないように、一歩一歩進むだけだ。
ふたり
一人二役。そんな言葉がある。まるで、別人のように振る舞い、一人の人が二人を演じる。
直接的に目の前に二人がいる、一人の役者が二人を演じる。これなら理解もできるが、一人の心の中にもう一人がいる場合もあるだろう。これは、直接的には見ることも感じることも難しい。しかし、私にはそれが理解できるような気がする。なぜなら、私自身の中にも別人が住んでいるからだ。どこか私に似ているが、全て同じではない。自分の分身、そのような感覚に近い。
小さいころに創り上げた創造の人物。元々その別人が住んでいたわけではない。しかし今では、もう一人の自分に会いに行くために彼の住まう家に遊びに行っている。
彼の家に遊びに行くと、全てを忘れて楽しめる。辛かったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、それらを吹っ飛ばしてくれる。彼がいなければ、私はこの現実で生きていけない。そんな気がするのだ。もし彼を創っていなかったら、そんなことを想像することができない。
彼とふたりなら、生きていける。それくらいに今では大切な存在だ。将来、彼がいなくても生きていけるようになるまで、遊び尽くしたい。それが今の私なのだ。
夏草
はあ〜、疲れた。毎日毎日同じ光景。どこか遠くに行きたい…。風に吹かれるのは気持ち良いけど、だんだん飽きてくるし。お腹すいたと思っても動く気になれない。というか、動けない。
脚があったら走れるのに、遠くに行けるのに。もう誰かに踏みつぶされるのは嫌だ。何度も傷ついて潰れて、そして傷を治して、また潰されて。
こんな生き方、好きな人がいるのかな。風に吹かれるのは気持ち良さそうに見える。そう言う人が時々いるけど自由がないから、あまり楽しくはない。夏の日差しはとても体に良いんだ。生命力がみなぎっていく。あと、雨も降ってくれるともっと良い。
だけど最近、暑すぎて仲間がバタバタと死んでいく。日陰に入りたいと、初めて思った。地面はどれくらいの温度になっているのだろう。40度くらいにはなっているんじゃないの?脚があれば、日差しから逃げることくらいできるのに。そしてまた初めて、本気で脚が欲しいと思った。
今年の夏は地獄。そんなテーマをつけられそうだ。それくらいに暑い。マグマの中にいるようだ。明日は雨が降ってくれるといいが、ここまでいくともう期待ができなくなる。明日に希望が持てなくなる。明日、目が覚めたら死んでいるかもしれない。まあとにかく、明日は雨が降ってくれると信じて、蒸し暑い夜を過ごそうか。
夏草の気持ち(訳:リル)
ここにある
一人で街に放り出された気持ちは、大人と違って疎外感と不安が溢れ出す。
大切な人というのは大人にとっても必要だ。だが、未熟で発達しきっていない子供には全てが大きく、全てが見知らぬ冷たい生き物としか考えることができない。
それはつまり、頼れる人間が見知った人しかいないということ。だから、親というのはとても重要なのだ。
何もかもが初めてで、間違いを犯してしまうことも子供にはあるだろう。しかしその失敗から学んでいき、何が信用できるのか、何が信用できないのかが分かってくる。
とても面白い。失敗談はなぜか忘れることができない。最も忘れたいものこそ、忘れられないのだ。楽しいことは忘れるくせに。しかしそのおかげで、次に同じようなことが起こっても対処ができる。その仕組みがなければ、私たちは永遠に子どものままだ。
失敗を恐れずに突き進んだ人こそ、立派な大人になれるのだと私は信じている。大人になるために大切なものは、きっともう私たちの中に、ここに備わっているのだろう。