◤詭弁◢
あなたと一緒にいるためなら何を失ってもいいと思った。思っただけだった。
あなたとわたしの関係は、恋人でも友人でもない。しかし顔見知りと言うには親しい。お互いに興味のある観察対象、という言葉がピッタリな関係であった。
何時からだろう。この関係が変わり始めたのは。おそらく、初めて身体の関係を持ってしまった日だと思う。その日から、観察対象以上の感情が生まれた。彼は酷くモテて、それに私も当てられた。彼のためなら全て捧げられると思った。
その思いが自分の中で否定されるのに時間はかからなかった。
やっぱり嫌だと、自分の腕の中の書類を抱きしめた。どうしたって好きだったって、私の一番は研究だった。仕方ないのだ。サイエンティストだもの。
「何でも捧げるって言ったよね」
「ごめん、無理」
彼の失望の表情が脳に焼き付いた。
テーマ:あなたとわたし
◤秋雨と先輩◢
秋の雨というのは、冷たく刺々しい印象である。今日も今日とて冷たい雨に当てられて帰る私は傘をさしても足先が濡れ、温度が冷えてゆくことを感じた。小雨でこれなのだから、早く帰らなくては行けないことは明らかである。また生理が重くなるな、なんて考えれば憂鬱な気持ちになる。顔をあげれば信号が赤に変わる。とことんついてない日である。
一個前の信号で渡ったのか、先輩が向こうを歩いていた。同じ傘の中には私の親友が収まっている。何とも小さくて可愛らしい彼女は私なんかよりよっぽど先輩の隣が似合っている。二人で身を寄せ合っている姿は羨望と諦めを私に齎した。
いつの間にか土砂降りに変わった雨は私の心に追い討ちをかけるかの如く濡らしていった。涙とも雨ともつかない何かが流れ落ちて、既に濡れきった地面の水溜まりの一部となる。重くなった足を引き摺るようにして家に帰る。
マンションの前に辿り着いた。途端に雨はまた小雨になる。例えば何か、私は悪いことをしたのだろうかと心配になる。余りの運のなさには正直悲しみを通り越して呆れしか回ってこない。
「大丈夫?」
珍しく、良いことが起きた。さっきの今で良いことという私はどうかと思うが、先輩からの心配にはそれほどの価値がある。ニコリと笑えば先輩は心配そうな表情が一層深まった。
ああ、こんな程度で気持ちは軽くなってしまうのだ。今降っている雨が柔らかいかのように錯覚する。先輩がどんなクズでも、色んな女に手を出す黒い噂の絶えない人であったとしても、いいのだ。一時の優しさに愚かにも溺れていればそれでいいと。思ってしまえる程の人なのだ。
「言われたのでしょう?」
あの可愛い親友に。そんな含みを持たせて、目の前の先輩と同じ、計算的な女誑しの笑顔を纏った。
テーマ:柔らかい雨
◤王子ではないから◢
俺の彼女は病を患っていた。いずれ、意識も失い植物状態になってしまう病だ。俺には君の病を治せるほどのお金はない。あればよかったのにと何度思ったことか。
君の病を治そうと動いている男がいることは知っている。そいつは君が好きだった。多分君が眠りにつく頃にはその準備は整って君は彼と愛し合うのだろう。大病を患った人が助けられて恋に落ちる、なんて王道的なストーリー。
君が目を覚ます頃、僕はもう君の彼氏じゃない。だから君が眠りにつく前に、その前にキスをした。君と俺の最後の思い出を。
テーマ:眠りにつく前に
◤脆く危うい真実を◢
「貴方は永遠に私を愛してくれますか?」
皆に聞く問いをこの男にもかけてみた。今まで私の満足する答えを出せた者はいなかった。
「はい」
そう言うに決まってる。人は愛というものを不変の真実と思ってしまうのだから。
☆。.:*・゜
「分かりません」
永遠に愛せるか、未来のことなど我々には分からない。それでも愛しいと思い、未来でも一緒にいたいと思い、告白に至った。この答えが女性の理想とは離れているのであっても僕は自分に嘘はつけなかった。誠実でいなさいという母から言われた言葉が、今でも心の片隅にいる。
「ふふっ、いいよ。付き合おうか」
訳が分からなかった。永遠など誓えないと言ったのになぜ受けようと思ったのだろうか。彼女は一体、、、
「君だって思ったのだろう。未来は誰にも分からないものさ」
彼女の笑顔は好戦的で、何かを企んでいるようなキラキラとした笑顔だった。
◤君と私の夢の街◢
煌びやかなネオンが街を彩る。その中でふらふらと歩く私は二日酔い三徹目の社会人。二日酔いにも関わらず今日も接待に付き合わされていた。
「まだまだ行けるよな」
上司の煽る声を朦朧とした頭で聞く。視界は定まらず、もう一切飲めないことは明らかである。
「よし、二軒目は」
「すみません、俺は抜けさせていただきます」
そんな私の神の救いになってくれたのは相手社の人だった。彼も新人だが私とは違って優秀な人でよく上司に引き合いに出されている。
「そうか、じゃあその子も送ってやれ」
「まだまだ飲めるだろう?」
相手社の社長が私が帰れるように取り計ろうとしているが、うちの上司はそうなこと許さない。
「この子だって最後おじさんに送られるより若い子同士の方が楽だろ。お前の相手は俺がしてやる」
うちの上司は丸め込まれ、私は一足先に帰れることとなった。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ、そんなことないですよ」
涼し気な笑顔を浮かべる彼は会社でさぞモテていることだろう。私なんかが隣にいてはファンに殺されてしまう。
「あの、一人で帰れま、、、」
「送ってくよ」
説得の余地も与えられず、大人しく送られることとなった。しかし、ほとんど交流のない人と二人きりで無言の空間が続くのはキツいものがある。
「ペットは飼っていますか?」
「ペット?」
「はい。俺は犬を飼いたいと思ってるんですけどマンションがペットNGで」
「そういうことありますよね。私も昔は猫を飼っていたんですけど今のアパートペットNGなんですよ。今でもずっと飼いたいなとは思っていて」
脈絡のない話だったがないよりはマシで、さっきの気まずい空気もどこかへ霧散していった。
「なるほど。じゃあ理想の生活はペットと暮らすことですか?」
「理想の生活ですか。そうですね。好きな人と二人っきりで思いっきり愛されたいです。辛いことなんて何もなくて。そんな世界で」
「いいですね。俺もそんな世界がいいです」
「好きな人がいたんですよ。悠斗って名前の男の子なんですけど、すっごく優しくて」
「いいですね」
ニコリと笑った彼の笑顔が視界を埋める。それと同時に体から力が抜けて意識も黒く塗りつぶされていく。
「飲み過ぎですよ。他の男なら襲われてます。でも大丈夫。俺があなたの願いを全て叶えてあげますから」
ただ、彼の笑顔を怖いと思った。でも何にも抗えなくて意識は落ちた。
☆。.:*・゜
「大好きですよ」
俺は彼女の体を抱き上げた。しかし、俺を好きと言ってくれるなんて嬉しい限りだ。随分昔のことだと言うのに彼女の頭にいるというのは嬉しい。
「でも俺のこと気づいてくれなかったからな。俺は一目で気づいたのに」
お仕置だと心の中で微笑みながら俺の家に向かった。もう一生離さないと誓って。
テーマ:理想郷