へろへろくん

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9/19/2023, 1:37:02 PM

時間よ止まれ。ああ、今のこの時が終わることなくずっと続いたならば。

私は異国の街中を自転車タクシー、いわば自転車版人力車に乗って走っている。隣には将来を誓い合った女性。
私たちは先ほどこの国の空港に着いたところだ。彼女の家族に結婚に向けての挨拶をするため、やって来たのだ。

タクシーで家に向かうのかと思いきや、彼女が呼び止めたのはこの自転車タクシー。
「コノホウガ安イノヨ」
初めてこういうものに乗る私は興味津々だ。いや、この国を訪れること自体初めてだから、目にする風景全てがもの珍しい。

天気は快晴、吹く風は心地良い。胸の片隅に居座っている緊張を、ひととき忘れられる。

「◯□※△√#%〜!」
私にはわからないこの国の言葉で、彼女が車夫に話しかける。私たちのことを伝えたのだろうか。
「✳✓@§∬♪!」
車夫が何か答える。二人は揃って笑った。つられて私も笑う。

ふいにはらはらと何かが降って来た。花、だろうか。街路樹に細かい花がたくさん咲いており、それが散って降り注いでいる。私たちの前途を祝福しているかのようだ、と勝手に思う。

時間よ止まれ、あらためて願う。それが叶わぬならせめて、今日のことを決して忘れずにいよう。

9/15/2023, 1:11:53 PM

君からのLINE

君からのLINEにはずいぶん楽しませてもらった。
冗談やお笑いが好きで、サービス精神旺盛な君のことだから、スマホを通してではあるけれど、会話が楽しみだった。

でも、突然君が自ら命を断つなんて、驚天動地の出来事だったよ。何が理由だったのかはわからない。ただ、単に面白いだけではない、思慮深い一面もあった君のことだから、よほどの何かがあったのだろう。

君がいなくなってから、君とのやりとりは振り返ることができないでいる。それを開くことは僕の心の傷に塩を擦り込むことのように思われて、どうしてもためらわれてしまう。

そしてつい先日、不思議なことがあったんだ。君とのLINEに新しいメッセージが届いたんだ。それはつまり君からのメッセージ、ということかい。もうこの世にはいないはずの君からの。
このことがあって、余計に僕は君とのLINEを開けなくなった。それはおそらく今後もずっとそうなのかもしれない。

だから、君からのメッセージに何が書いてあるのかは、見ることができないでいる。

9/13/2023, 1:25:56 PM

夜明け前

夜明け前、なのか……?
薄明かりの中、私は目覚めた。なんだか頭がぼんやりしている。そのくせ身体は妙に軽い。なぜだかわからないが、身体を縛るくびきから解き放たれたようだ。
部屋の中を見回す。特に変わった様子はない。だが、何か大きな変化が自分の身に起こったように思われてならない。
時計を見ると確かに明け方の時間を指している。窓の外に目を向けると、暁の光が東の空を彩っている。

それにしても、この違和感は何だろう。自分が自分でないような、自分はここにいてはいけないというような。
わからない。
私は次の間へと足を向けた。そして、部屋の入口でどきりとした。人影がある。しかもそれは普通の状態ではない。
人影の首には縄がかかり、その先は部屋の欄間に結ばれている。全身はだらりとどこにも力が入っておらず、足は宙に浮いている。

私は全てを思い出した。これは私だ。そうだ、私は昨夜ここで首を吊ったのだ。

9/8/2023, 1:06:18 PM

胸の鼓動

以前は胸の鼓動の高まる機会が、今よりも多かった気がする。
その最たるものは、思いを寄せる相手への告白の場面だろう。
それ以外にも、嬉しさ、緊張、不安などさまざまな状況で、ワクワク、ドキドキ、ハラハラと、鼓動を意識するような機会が、いろいろあった。

それに比べると、今はもっと感情が平らな日々を送っていると思う。
それは年齢を経て感情の浮き沈みが少なくなったり、物事のやり過ごし方が多少は上手くなったりしたせいかもしれない。

それを自分としては悪くないと思っている。嬉しいことは多いに越したことはないが、負の感情をかきたてる物事は、できるだけ少なくあってほしい。
人生の半分以上を生きて来た身からすると、嫌なことは本当につくづく嫌だ。

これからはもっと感情の動きが少なくなって行くのかもしれない。そうならないためには、自分でそれを補うべくいろいろと心がけるべきなのだろう。
ワクワクを日々の中で感じられるよう、身体も心もフットワークを衰えさせてはいけない。

何だか完全に老人の書いた文章のようだなあ。思いつくまま書き連ねて来たらこんなものになったぞ。
まだそこまでの歳ではないんだがなぁ。
いやいや、これはもう本当に心がけねば。

8/31/2023, 3:05:57 PM

不完全な僕

このお題は今日の私にピッタリだ。
母親が今日の夕方、他界した。しばらく入院していたので驚きはないが、いざ死が現実のものになると、いろいろと思いが湧いてくる。

生前、私は母とあまりしっくり行っていなかった。というか実際には私が一方的に疎んじていたのだが。
母はけっこう細かいことが気になる性格で、日頃愚痴も多かった。その愚痴を長年聞かされるうちに母に対する親密な気持ちは次第に薄れてしまった。

そんな母に対する気の持ちようは、入院してからも変わることはなかった。いや、あからさまに言ってしまえば、むしろそれを歓迎するような感情さえあった。
実に不謹慎で親不孝だと自分でも思う。

そして今日、もはや意識はなく心臓が鼓動しているだけになった母を前に、さまざまな思いが自然に湧いてきた。
やはり人の死というのは重みのあるものだ。涙はまったく出なかったが、生前の母に対して抱いたのとは逆のベクトルの感情がこみ上げてきた。

もう少し良くしてやることはできなかったのか。もう少し母とじっくり話をしてもよかったのではないか。
こんなことを今更考えてもどうしようもなく遅い、というのはわかっているが、やはり自然にそう考えている自分がいた。

そして今母は家に帰って、座敷に敷いた布団の上に横たわっている。
病院で清拭などしていただいたおかげで、安らかな死顔だ。今にも目が開いたり唇が動いたりしそうだ。

月並みだが「お疲れ様、安らかに」と、素直に思う。
そして、自分はいい息子ではなかった、とも思う。
せめて今のこの感情を、忘れることはしないでおくことにしよう。

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