混ぜ合い、溶けて新しい色ができる。
人と人の出会いや別れは色を混ぜ合わせるようで鮮烈だ。
人は最初から真っ白なキャンバスなわけじゃない。しっかりとした鮮やかな下地を持っている人もいれば誰かと交われば直ぐに染まってしまいそうな程に儚い下地を持った人もいる。
"その下地にパレットの上で得てきた色を自分なりに混ぜ合わせて好きな色を作っていくの。
それぞれが、誰かから得た美しい、自分にとっての大切な色を大事にしながら。
人生ってそんな感じな気がする。"
いつかの君にされた話を思い出す。
彼女のキャンバス上に塗られた私の色が占める割合は、どのくらいなのだろうか。
きっとそれは、友達の範疇を超えることは無いと思う。というか、彼女のキャンパス内で私が、友達以外の形を持つことはこれからもない。
だって、彼女にとっての鮮烈な色は、彼女の隣にいるパートナーの彼でしかないのだから。
事実を目の当たりにして考えると、私には彼女は届かない存在であることを思い知らされるばかりで、より一層虚しくなる。
皮肉な事だ。
私のキャンバスには、思わず目を引くほどに、あなたの色で多くの部分が染っているというのに。
友達の範疇なども超えるほどにあなたの色はも私の網膜に焼き付くほどに美しい。
それほどに、あなたは私にとって鮮烈だというのに。
あぁ、寂しいものだ。私は一生、あなたの一番好きな色にはなれないのだから。
―――あなたの好きな色
お題【好きな色】
''愛があればなんでもできる?"
一時期流行った、二択の性格診断テストかなんかで見た質問。
答えはなんだ?
YESか、NOか。
私の答えはNOだ。
だって、今でさえ既に、私たちは互いを愛すだけ、ただそれだけでボロボロになってしまっている。
お互い好きで、離れたくなくてもがいているのに、肝心なところが合わない。性別とかいうちっぽけなたたったそれだけのものが。
ただ、ただ、私たちは自分たちで築く幸せを願っているだけなのに。
世間様はどうやらそんなことを許さないようだ。
一緒にいて幸せになるどころか、二人揃って蟻地獄みたいなじわじわ迫り来る不幸に呑み込まれて行ってる。
「手を離してしまった方が楽かもしれない。」
そう思ったことが何度あったことか。
そして、それを行動に起こすのに私がどれだけの精神と気力を費やしたことか。
そんなこと思う時点で、思った時点で、彼女の手を離した時点で、私は愛を語る人間にふさわしくないのだろう。
だって、愛を目の前にしたらさっきの質問に対して、胸を張ってYESと答えきれる人がいるのだから。
そんな人とは真逆に私は、YESと答える間もなく、楽になる方法を選んでしまった。
互いが後ろ指を指されず、私でなく、彼女には違う人と幸せになる道を選んで欲しかった。そう、願ってしまった。
私には幸せにする自信が持てなかった。
この世で一番愛しい人の幸せを願って繋いでいた手をほどいた私は、ある意味、愛があって、愛のために動けたのかもしれない。
でも、どうせ愛のために動くのだったら、なんでもやるから、どうせだったら、私たちに愛する人との幸せぐらい運んで欲しかったな。
普通の幸せを。
あなたと共に育みたかっただけなのに。
愛のために、、?
お題【愛があればなんでもできる?】
19歳になる年。つい3ヶ月ほど前までは高校生で、未熟やら、まだまだ子供だとか散々言われた。
それなのに、1つ歳が変わって、立つ立場が、環境が変わったと思えば突然大人になれと急かされ始めた。
うちは昔から裕福とは言えない環境で、私には下にまだ妹も弟もいた。そもそも、家がここまで貧乏になったのは血も涙も通ってないような暴力クソ親父が負の根源であって、朝から晩まで必死になって働く母を見てたら、口が裂けても進学したいだなんて言えなかった。
アイツの元から離婚という形で逃げきれた今でも、母はお金の面で苦しみ続けている。
これ以上、私は母の重みにはなりたくなかった。
だから、進学してもいいのだと言う母の言葉を振り切って、私は高卒という立場で上京して、働き始めた。
―――責任なんて言葉が毎日のように私の肩にずっしりと乗って囁き続ける。
「早く大人になれ、もう高校生じゃない。お前は立派な大人なんだ。」と。
必死でやってるつもりなのに、仕事では小さなミスを起こしてしまう。
頭と体が別々みたいで、毎日パンクしそうで息苦しかった。
最近だって、職場で母のことを話す時につい"ママ"と言ってしまって、
「鈴木さんもう子供じゃないんだから"ママ"呼びは辞めなさいね」
なんてことを上司に、軽く笑いながら言われたばっかだった。
些細なことにですら、自分がまだまだ子供だということを思い知らされるようで嫌になる。
新しく私の家になった一人暮らしの部屋で休日はどこにも出かけることも無くそんな風に、悶々と悩む日が続いたある日、私は憂鬱な今日この日、日曜が母の日であることに気づいた。
全くの失念だ。
毎年、母の日には感謝の意を込めて贈り物をしていたというのに。
時刻はもう23時を回っていて、今日中にプレゼントを渡すなんてことはもう不可能なことに気づいた。
せめて電話口でありがとうぐらいは言おうと思い、携帯をとると、偶然にもタイミング良く母から電話がかかってきた。
「もしもし、お母さん?」
『美奈?最近連絡ないけど大丈夫?元気でやってる?』
「あぁ、ごめんね、忙しくてなかなか連絡出来なかったや。てか、ちょうどお母さんに電話しようと思ってたんだよ」
『えぇ?なんかあった?』
「違うよ、母の日だよ」
こんな時だって優しい母は、子供のことばかりだ。母の日まで忘れるなんて。私は思わず笑いながら言う。
『あぁ、そういやそうだったねぇ。すっかり忘れちゃってたわ』
「私も忘れてたんだよね。ごめんね、いつもありがとねお母さん」
『あらあら、改まっちゃって。なんだか照れ臭いわね』
電話越しからでも柔らかく笑う様子が分かる。
『でも、美奈。あなた大丈夫なの?』
「えぇ?私?」
大丈夫って、なんだ?心配されるようなことはしてないはずだけど。
「大丈夫だよ?」
『でも、声に元気ないわよ。それになあに?"お母さん"って、いつもママって言うじゃない』
「あぁ、そんなこと?なんか、ママって子供臭いじゃない」
『なによぉ、子供臭いって。私にとってあなたはいつまでも私の子供よ』
やけに真面目な声でそういう母の言葉に冗談は混じってない。私はその言葉に不意にカッと目頭が熱くなるのを感じた。
「そっか、私はいつまでもママの子供かぁ笑」
照れ隠しに笑ってみるけど声は震える。
電話越しでも少し泣いてることがママには伝わってそうだった。
『そうよ。あなたはママの可愛い子供よ。だから、苦しい時は何時でもいいなさい。どんな時でも駆けつけてあげるわ。』
「はは、それってなんだかヒーローみたいだね」
『母親ってのはそうでなくっちゃ』
その言葉を聞くと私は涙を止めるすべを無くしてしまった。
しばらく、声を殺しながら泣く私に、ママは焦って声をかけるわけでもなく、ただただ、優しく"大丈夫"だと声をかけるだけだった。
あぁ、どうしよう。母の日だって言うのに、いつの間にか私の方が救われてしまっている。
涙が止まらなかった。大人になりたいと思い続けていたこの数ヶ月だったが、私は今この時は、一生ママの子供でいたいと願い続けてしまう。
なんの因果か、今年の母の日は、感謝を深く伝えることは叶わず、母の優しさと温かさを思い知らされる、そんな不思議な日になってしまったのだった。
―――大人になりたい
お題【子供のままで】
頬を伝って落ちるそれは嫌に美しく透き通っていた。
そこで泣かれたって、俺にはどうしようにもできない。
ごめん
と、口先ばかりの謝罪をすることしか出来なくて、生と死という明確な壁に隔たれた俺らはよく物語で見るような切なく悲しい恋人そのものだった。
死後の世界とか言うのか、妙にふわふわとした心地の足元で、俺の死体を見下げて、俺は変な面持ちになる。
そりゃそうだ、死んだなんて自分が一番受け入れきれていない。
来月には彼女に結婚を申し込もうとまで思っていたのに。
あっさり事故なんかで押っ死ぬなんて予想もできるはずがないだろう。
自分が死んだことも悲しかったが、何より人生の中で一番愛した彼女を悲しませることが、どんなことよりも心残りで悔しかった。
ただただ、立ち尽くし、憔悴しきった顔で涙を流して濡れた頬に、触れられぬとわかっていても、彼女の悲しみと涙を同時に拭い去ってしまえるようにと、奇跡が起こることを願って、手を伸ばさずにいることは出来なかった。
しかし、伸ばした手は、何にも触れられず、静かに虚空を掴むばかりで、頬から伝って顎先から落ちた雫は、虚しく床に染みをつくるばかりであるのだった。
―――別れ
お題【雫】
自分が望んで飛び立つことを願った。
いつも手や足に枷が付けられているような窮屈さがあって苦しかった。
雲ひとつない、私を遮ることの無い、自由が欲しかったはずなのに。
いざ目の前に澄み切った空を差し出されると今度はその開放された自由に何をすればいいのか分からなくなる。
人間、わからないものだ。
ひとつの箱に閉じ込められて、出たい出たいと願っていたはずなのに、いざ箱から取り出されて、雲ひとつない快晴の空を飛び回れるというのに、今度は自由なことを恐れ始める。
結局私は、自分の環境に言い訳していただけなのかもしれない。
―――飛べない理由
お題「快晴」