琥珀

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1/9/2026, 3:27:35 PM

「三日月」

 ある国には、三日月の夜、欠けた月を取り戻すために人が攫われるという古い伝説があった。そのため人々は月の満ち欠けを恐れ、夜空を見上げることを避けて生きていた。

 しかし王子だけは、その国の空に浮かぶ月の美しさを知っていた。人々に隠れて毎晩月を眺めていた。ある晩、満ちていた月が銀の雫となって湖へ落ちる光景を目にした王子は、その美しさに導かれるように湖へ向かい、その雫から生まれた小舟に乗った。月光の下で彼が出会ったのは、冷たく、儚い輝きをまとった美しい少女だった。

 少女は王子に、月は人々の心に秘めた願いや想いによって満ち、人々がそれらを忘れ、諦めてしまうと欠けていくのだと語った。そして月が完全に欠けぬよう、彼女はたびたび地上へ降り、人々の中に眠るかつての願いを呼び起こしてきたと告げるのだった。

 しかし人の欲望や願いは尽きることなく膨らみ続け、一つひとつを大切にしないその傲慢さに、月の少女は次第に悲嘆するようになった。やがて彼女は、地上に降りては人々の願いを奪い取り、忘れさせてしまう存在へと変わってしまったのだ。

 それからというもの、この国では満ちた月がみられることはなかった。月を愛した王子に満月を見せられなくなった少女が悲しみ、流した涙で月は欠け続けていくのだった。
 

1/8/2026, 1:24:23 AM

「雪」

 落ちてくる間に、崩れて消えてしまいそうな、雪の降る日だった。足元を包み込んだ雪は、私の足音を吸い込んでいた。

 私は何も考えずに歩いた。少しの街灯に照らし出された雪が、ゆっくり、彷徨いながら落ちていくのをただ眺めながら。その瞬間、街灯も雪も全て、視界の片隅に光の尾を引いて流れ込んだ。今感じるのは、手のひらと膝に押し寄せる、鈍く重い痛みと、熱に消えていく雪の冷たさだけだ。

 私は立ちあがろうとした。でも、立ち上がらなかった。もう子どもじゃないから、転んだくらいじゃ泣かない。正直、それほど痛くはなかった。鼻の奥がつんとして、涙が次々に溢れて止まらない。私は雪の上に手をついたまま、泣いた。たくさん泣いた。今は痛みも冷たさも心地良い。大人でも、泣いていい理由が欲しかったのかもしれなかった。

1/6/2026, 12:20:58 PM

「君と一緒に」

 ここまで一緒に来てくれてありがとう

 あの日出会った君が、今もこうして大切な存在になるなんて想像できなかったことだよ。

 君と過ごした日々の中で、知らなかった自分に出会って、一人ではみられなかった景色を見せてもらって、本当に感謝してるよ。

 離れていても時々会って、その度に君はずっとつよくなった。一生懸命に前に進んだ日々も、進めなくなってしまったときも、君が選ぶものは全部、綺麗だった。

 辛いことが聞こえないふりに疲れてきて、涙が出たときは、ただ日が落ちるまで一緒に歩いて、そしたら突然もう大丈夫だと思ったよ。

 これは僕が君へ伝えたいことの全てみたいだけど、全部君が僕にくれた言葉たちなんだ。
 ここまで一緒に来てくれてありがとう
 ここからも、よろしくね
 

 

1/4/2026, 12:44:46 PM

「幸せとは」

 家族の幸せ、これはまた微妙なテーマの課題だと思った。わけあってばあちゃんと暮らしている私は、両親や兄弟姉妹のいる生活を知らない。ただ今の生活を書くだけで十分家族の幸せになることは分かっている。幸せなのに、作文が恒例のごとく廊下にはりだされるのを思うと、悶々とした。

 ばあちゃんは歳の割に足腰も丈夫で、会話もしっかりしている。そのうえ勘がいい。でも、食事のときは昔を思い出すのか、私が何度もされてきた話を、毎回のようにするのだ。
「じいちゃんさは一回も会わねえで結婚したもんだ。昔はよくあることだとこでな。ただお金もなくて生きるのさとにかく働いたさ」

「それ、一回も会ったことなかったじいちゃんはすごくハンサムで働き者だったから頑張れたって話でしょ!私、すっかり覚えちゃったんだから」

「ほうだのか。でもな、思い出すのはいつもこれだけだ。歳とると昔ばかり思い出すんばよく聞くけどな、これだけさ。他に思い出すのがいくらでもあるからかね」
「え〜たとえば?」
「毎日毎日、もらいものの野菜だの魚だのって、そればっかだけどな、メイちゃんば昔から好きだと言って食べてくれる。好きな料理もずっと変わんねくて、そればっか作っちまってさ。けど今は、メイちゃんも料理するようなってな…」

 ばあちゃんは、その後は何も言わなかった。何もなかったみたいに食事を終えて、いつもみたいにテレビをみる。私ももう何も考えることはなかった。ばあちゃんの思い出話を聞いて、煮物と焼き魚を食べて、愛されて。
それで何もかも、十分だった。




12/30/2025, 4:43:14 PM

「星に包まれて」

 いつもの学校の帰り道、街灯の少ない田んぼのわきを、自転車の明かりで進む。ぬるくも冷たくもない風を受けて、前を行く悠のシャツがはためいていた。いつもの場所で悠が止まる。幼なじみの僕たちの関係は少し不思議だ。特に会話はしないけれど、並んで帰っては、こうしてどちらからともなく夜空を見る。僕はこの時間は嫌いじゃなかった。

 「月が綺麗だと星は見えないんだって」

 見上げながら悠がぼそっと言った。僕にも、聞こえるように。胸が一瞬チクっとして顔が熱くなったのは、その表現に心当たりがあるからだろう。若干、まわりくどい言い方への怒りもわいた。あえて追及はしないけれど、要するに、二つを同時には望めないということなのだ。やがて、悠は今度は僕を向いて言った。
 「一方が明るすぎて、もう一方を消してるように見えるかもしれない。でも、どっちも一瞬だって消えてない。ただ、目には見えないだけで」

 この瞬間、思い出した。悠はそんなやつだった。口下手で分かりにくいけど、いつも僕に小さな光をくれる。そしてまた気付く。悠の不器用な言葉や行動の一つ一つが僕の背中を押していたこと。僕はずっと、星に包まれていたということ。

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