作品58 時間よ止まれ
あんたはとびっきりの不幸の中で。
私達はぬるま湯の幸福の中で。
君は優しい幸福の中で。
それらが重なるほんの一瞬に誰かが言ってる。
時間よ止まれ、と。
作品57 君の声がする
長いコール音のあと、君の声が聞こえた。
何を話そうとしたんだっけな。久々に君の声が聞けた喜びで、頭の中真っ白になっちゃった。
『もしもし?どちら様ですか?』
電話の向こうで、君が訝しげに聞く。語尾だけ少し上がる君の喋り方。全く変わってなくて、嬉しくなる。嗚呼なんて懐かしいんだ。
「失礼。間違えました。」
そう言って、電話を切る。元より、喋ることなんて一つもなかった。声が聞けただけ充分だ。
しばらく受話器を見つめる。あーあ。この一瞬で十円、無駄にしちゃったな。まあ、いっか。君の声が聞けたんだし。
ガラスで囲まれた小さい箱の扉を開ける。
少し歩いてから、この街唯一の喫煙所に入った。胸ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつける。もうそろそろ三年になるのか。なんとなく吸い始めて、気づけば離れられなくなっていたタバコ。
でも今日でやめられる。いつも吸ってるこれはもうすでに、作られていないからだ。
これが買い溜めの最後の一箱。多分だが、この世に存在する最後の一箱。
思えば君と喋るきっかけになったのもこれで、出会った場所もここだったな。
吸ってるタバコの種類が同じ。ただそれだけだったけど、それが妙に特別嬉しく感じて、出会ったばかりの君が愛おしくなるまでに、そんな時間はかからなかった。
煙を軽く吸い、深く吐く。そして鼻から息を吸う。君のタバコの吸い方。今でもつい、真似してしまう。これをすると周りの匂いがよくわかるって、君は教えてくれた。今吸った街の匂いは、少し煙臭かったよ。
これはタバコの匂いなのか。それとも記憶の中の匂いなのか。そんなこと分からないし、どっちでもいい。どちらであろうと、意味はない。
気づくと指に熱さが伝わるほど、タバコは短くなっていた。
最後の一吸いを深く吸う。煙を吐く。そして。
君を想って、息を吸う。
周りの匂いはやっぱり煙臭くて、何となく君の香りに似ていた。
やること全てに、君を感じてしまう。未だに、君の匂いが忘れられないんだ。君の声が忘れられない。君の体が忘れられない。君のことが、忘れられない。
君との思い出は、いくら色褪せても美しすぎる。
ふと、コートのポケットから着信音が聞こえた。確認すると、知らない番号からだった。いつもはでない。だけど、今だけ出てみようと思った。
「もしもし?」
しばらくしてから、同じような言葉が返ってくる。
『もしもし。』
途端に声が出なくなった。
どこからか君の煙の匂いがし、
「びっくりした?さっきのお返し。」
スマホから、そして隣から、
「久しぶり。」
君の声がした。
タバコを持った指先が、熱くなった。
⸺⸺⸺
タバコ吸ったことありません。未成年なので。
タバコ実物で見たことありません。家族誰一人吸ってないので。
いつだかニュースで、なんかの銘柄が製造終了になるってのをみて、タバコ関係書いてみたいなって思ってました。満足也。
作品56 静かな夜明け
まだまだ布団とじゃれ合っていたけど、日がそろそろ昇ってしまう。観念して布団から出ていくか。
そうして、床に足をつけた瞬間、冷たくて悲鳴を上げてしまった。びっくりするほど冷たい。床が氷のようだ。
しばらくそこに突っ立って、寒さに足を慣らした。慣れたら歩き始める。
パーカーをパジャマの上から羽織り、キッチンに向かった。
さて、今日を始める準備をしますか。
まず、お湯を沸かす。その間にポットに茶葉を入れておく。しばらくしてお湯が沸いたら、空のコップとポットにお湯を注ぎ込む。しばらくポットの中を蒸してから、コップの中に入れたお湯を捨て、そこに茶を注ぐ。
紅茶の完成だ。やはりこれがなければ、一日は始まらない。
それをすすりながら、窓へ向かった。ここから見る庭はとても綺麗で、この家を買ったときの決定打になった程だ。今日はどんな景色かな。期待してカーテンを開けた。
そしてその光景を見て、絶望する。通りで寒いわけだ。
「はぁ……雪かきしなくちゃな……」
ちょうど太陽が昇り、屋根から雪の落ちる音がした。
絶望の一日がはじまる。
⸺⸺⸺
雪かきにはトラクターがいいです
雑なのは毎度おなじみとして、ただ今テスト期間中なので今回は特にお許しを
作品55 永遠の花束
「僕が見た花の中で一番君に似合うと思った花を、君にこの気持ちを伝えるたびプレゼントするよ。」
あの人から贈られた花と共に、貰ったその言葉。あの人なりの、精一杯の愛の言葉だったらしい。らしからぬ行動だったから、驚いて声が出なかった。
一輪だけ綺麗に包まれたその花は見たことのない花で、ふっくらとした花びらには真っ青な色が付いていた。南の花のように見える。匂いは、少しだけツンっとしていた。
あの人の方を見ると、何かして欲しそうな顔をしていた。恐る恐る頭にその花を近づけ、髪飾りのようにする。
あの人の方を見ると、嬉しそうな顔をしていた。これが正解らしい。
「……ねえ、どう?」
沈黙も気まずいのでそう言い彼の目を見ると、あの人は眩しそうに目を細め、
「似合ってるよ。すごく。」
そう言って私を抱きしめた。
「僕ら永遠に一緒にいようね。」
その言葉に濁りは感じられなかった。
それが分かるとなんだか怖くなって、思わず窓の方に目をやる。そこにはカーテンが閉まった窓があった。
ここに来てからずっと閉まっているカーテン。
今が夜なのか朝なのか、今日が何日なのか、季節は何なのか。
私には、それすら知ることを許されない。
記憶にある限り、私が最後に見た花は、そこら辺に生えてる黄色い小さな花だった。名前は知らないが、色合いが好きで、見つけるたびについ足を止めていた。
この記憶だけは、彼には汚されたくない。
そして願う。
もし叶うなら、もう一度あの花を、あの場所で見たい。
あの日から毎日毎日繰り返される、”永遠に一緒”という言葉。その度に花を渡される。数を重ねるごとに本数は増えていき、立派な花束になっていった。それに比例して、私と花の記憶が汚されていく。
今日もらった花は、黄色い小さな花。それは私の好きな花で、私が最後に外で見たあの花と全く同じものだった。
とうとうこれもか。
花を眺める。その瞬間、嫌な考えが頭に浮かんだ。
まさかと思い、顔を上げあの人を見る。その顔は気持ち悪いほど、笑っていた。それを見てこの考えが間違いではないと分かり、絶望する。
あの人に話しかけられた日から。
腕を強く掴まれた日から。
この家に閉じ込められた日から。
愛してると言われ汚された日から。
すべてを諦めた日から。
今日で、
「おめでとう。僕と結ばれて今日で一年だよ。」
これからも永遠に一緒だからねと言ったその声が、耳にこびりついて離れなかった。
作品54 終わらない物語
はっと目が覚める。
僅かな期待を込め、辺りを見渡す。悲しいことに、そこには見知った景色が広がっていた。
まだ寝ていたい。そう強い意志を持って寝転んだままでいるが、それでも体は勝手に起き上がる。やはり抗えないのか。
戦はまだ続いていた。何人もの兵が、俺の目の前を通り過ぎていく。すぐ近くで一人の兵が、矢に射抜かれ倒れていた。おそらく矢尻に毒でも塗られていたのだろうか。ひどく喘ぎ苦しんでいる。
しばらくそれを眺めていると、その兵が喋りかけてきた。
「おい、お前。おれを、楽に、させてくれ。」
その声はとても小さく、弱々しかった。
流石にためらうが、それをすることに慣れてしまった体は勝手に動き、男の首を刀をあてる。小声で南無阿弥陀仏と唱え、刀を動かした。途端に血が吹き出し、男の肌がどんどん薄くなっていく。
血が流れていくのを、俺はただ眺めていた。
本当は血が苦手だった。魚を捌くときですら薄目じゃないと耐えられない。妹によく馬鹿にされるほど。
それなのに、この戦のせいで血に慣れてきた。きっとこれから先、前みたいに馬鹿にされることはないのだろうな。
それでも、死に慣れてしまうのが、ささやかな幸せを感じられなくなるのが、それが、とてつもなく、怖い。
そう考えている間も足は勝手に動き、どんどん前へ進んでいた。もう少しで先に進んでいた隊と合流してする。いやだ合流したくない。まだ死にたくない。
だなんて、きっと今ここにいるみんなが、丸っきり同じことを考えているのだろうな。この運命からは逃げられないのに。
しばらく歩き続けていると突然、後ろから名前を呼ばれた。振り返って見ると、相手は俺の幼馴染であり、俺の唯一の親友だった。
ようっと、挨拶を交わし合う。彼の腕には、血がベッタリとついていた。
「大丈夫か?その血。」
「ああ?ああこれか。……全部返り血だ。」
苦々しい顔をして言う彼を見て、きっとさっきの俺と同じようなことを、たくさんのしたのだなとわかる。
「そうか……」
「……あと、どれくらい続くのかな。何人殺せばいいのかな。」
あと数時間だ。あと、五人だ。そしてまた繰り返す。
「なあ、俺達、絶対帰ろうな。」
絶対帰れない。戦から抜け出すことはできない。
なぜなら。
これから俺達は、まだ息があった敵の兵たちに襲われ、ボロボロになるまで切られ、そこから何とか生きて逃げるが、逃げた先では俺達の裏切り者がいて、俺らはそいつに目をつけられるからだ。
端的に言うと、このあと俺達は死ぬ。
だから今すぐ逃げなくてはいけない。
この場から今すぐ。それなのに、体は決まった動きしかしない。このことを伝えなければいけない。それなのに、口は同じことしか喋れない。
何度同じ光景を見ているのだろう。何度同じことを言うのだろう。なんで同じことしか言えないのだろう。
何も変えられない悔しさが、俺を苦しませる。
それでも。どんなに悔しさで泣きそうになっても、俺の表情は前回と変わらないまま、彼と喋っている。あと数歩歩けば、敵の兵に襲われるところに行く。そして傷つき、死に、またこれを繰り返す。
そう。繰り返すのだ。何度も何度も、俺はこの場面を、死ぬ瞬間を、何度も繰り返している。止めようとしても、何も変わらない。変えられない。
きっとここは小説の中だ。そうとしか考えられない。だからきっと、同じことを何度も何度も繰り返してるんだ。
くそったれ。なんで俺達なんだよ。
それでも足は歩みを止めさせてくれない。
そしてまた、前回と同じことが起きる。切られ、刺され、殴られ、逃げ、捕まえられ。
体が痛い。いや熱いのか。何もわからない。頭がガンガン鳴っている。重い。息が苦しい。汗が止まらない。寒い。まあ、いわば満身創痍ってやつだ。
その状態で、裏切り者に見せしめにされ、無駄に苦しむ。
あーあ。ぱっと死ねれば、こんな苦しい死に方しないのにな。
早くこの物語が終われば、もう死なないのにな。
それでもこの物語は、終わらない。誰も終わらせてくれない。終わりたい。
早く、最後の章を書いてくれ。もう何でもいいから、俺達を楽にさせてくれ。
そう願って今回もまた、手に握っている刀で首を切った。
そしてまた、
⸺⸺⸺
書き終えられてない物語の中で永遠に苦しむ者。