作品69 子供の頃の夢
保育園の頃から仲の良かった友人が亡くなったと、母から連絡があった。一瞬何を言っているのかわからなかった。彼が死んだという言葉の意味が、理解できなかった。だって。だって彼は死ぬようなやつじゃない。彼に死なんて似合わない。あいつはいつも生き生きしていて、太陽って言葉が似合うくらい輝いてて、死ぬようなやつじゃない。あいつは。
そう口を開きかけて、言葉を飲み込む。電話の向こうで母が大丈夫?と心配そうに尋ねていた。気持ちを出してしまわぬよう、静かに大丈夫とだけ返して電話を切る。そしてすぐ、彼にメッセージを送った。
『何してんだよ』
『なあ』
『暇だろ』
『この前観た映画、続編やるんだって』
『一緒に見に行こうぜ』
『あと飯食いに行こ』
『おごるから』
既読はつかない。
『なあ』
『何で』
『何で何も言ってくれなかったんだよ』
いつまで経っても、返信も、既読も、何もつかなかった。
彼の死から数カ月経った。不思議なことに、あれだけ大事だった人が死んでも、人は一人で生きていけるらしい。
ただ、これまでどう過ごしていたのか、記憶にあまり残っていない。
今日も布団にうずくまっていると、通知音がした。母からかと思ってスマホをちらっと見て、飛び起きる。彼からだった。
スマホのロックを外し、急いでメッセージ画面を開く。送ったメッセージ全てに既読がついていた。すぐ、視線を画面の下へ向ける。
『こんにちは。』
彼らしくない口調。
『こいつの兄です。』
そりゃそうだよな。彼が生きているわけがない。
『元気にしてるかな。良ければなんだけど、今度会えない?』
また、通知音がなる。
『君に渡したいものがあるんだ。』
「久しぶりだね。葬式ぶりだっけ。」
近所のファミレスで、会話の始め方に悩んでいると、相手がそう喋り始めた。
「そうですね。」
こっちの返答を無視して、目の前の男は店員にコーヒーを二杯注文した。そして深くため息を吐く。
「本当、あいつは最後まで恥さらしなやつだったよ。急に変な格好をしだしたかと思うと彼女だかを作り始めて。最後の最後には自分で死ぬなんて。どこまで俺らに迷惑かけるんだか。」
何年経っても変わらぬこの男の全てが、亡くなった彼を何度も殺す。
「まあ生きていても迷惑だったし、結果的にはこれでも良かったのかな。これで僕に迷惑かけられたと思ってるなんて、本当哀れだ」
「それで」
早くこいつと別れたくて、言葉を遮った。
「渡したいものってなんですか。」
自分のペースを乱されたのがよっぽど嫌なのか、それとも賛同されなかったのが気に食わなかったのか。男はこちらを睨みつけた。
ちょうどいいタイミングでコーヒーが届く。店員にお礼を言わないのを見て、彼とは全く違うなと感じた。
「渡したいものだが、これだ。」
そう言って男は、黒いカバンの中から厳重に蓋がされたお菓子の缶缶を取り出す。
「中身は見ていない。先日あいつの部屋の片付けをしているときに見つけたものだ。手紙が貼り付けてあり、開けることなく君に渡せと書いてあった。」
手紙が缶缶の上に置かれる。
「君に渡す。好きにしてくれ。」
そう言うと男は机の上に札を起き、立ち上がった。
「きっともう君に会うことはないだろう。だから最後に質問させてくれ。」
視線を一度上に向けてから、男は口を開く。
「妹と君の関係は何だったんだ。」
もっと彼を馬鹿にするようなことを聞かれると思っていた私には予想外の質問で、コーヒーを飲もうとした手が止まる。男の表情を見ると、いつもの人を小馬鹿にしたようなあの顔ではなく、ただ純粋に家族のことを知ろうとする普通の兄に見えた。それを見て、思わず下を向く。
私達の関係を表す言葉を探す。
「私と彼は、ただの幼馴染です。」
最後まで想いを伝えられなかった、その代わり秘密の共有を数多くした、ただの幼馴染だ。
“彼”という言葉に男は何か言いたそうだったが、何かを諦めたかのような顔をし、
「弟と仲良くしてくれて、ありがとう。」
それだけ言って、店を出た。
コーヒーはまだ温かかった。
家に帰り、箱に巻かれたガムテープやら何やらを取り始める。彼はどんな思いで封をしたのだろう。見つけてもらえると、信じていたのだろうか。
手に力を込めると、意外にもすぐ蓋が開いた。中には一通の手紙と、思い出のガラクタがたくさん入ってあった。その中の一つに、目が止まる。
それは保育園の頃、将来の夢を書こうという時間のときに私が作って、彼に渡したものだった。ガタガタの、丸が無駄に大きい汚いけども子供らしく愛らしい字で、彼の名前のすぐ後に“ のおよめさん!”と書かれていた。記憶に残ってないけど、この頃から私は彼のことが好きだったんだな。
何となくその上を裏返してみた。そこには彼の丁寧な字で、大好きと書かれていた。いつもの彼の口癖。冗談風に伝えてくる、彼のあの言葉。だけど今だけ、それが本当だと勘違いしていたかった。
よけていた手紙を拾い上げる。紙だけの割には少し重くて、小銭が入った封筒のような感触がした。手紙の封を開け、逆さまにする。数枚の手紙とともに紙が結び付けられた指輪が出てきた。結び目を解き、くしゃっとなった紙を開く。
『来世は君と結婚したい。』
震えたその字は、偽りのない字だった。
結局離れ離れになってしか、私達は両想いになれない。わかっているけど、なんとも情けない。何度もこの繰り返しだ。指輪は薬指にぴったりだった。
キッチンへ行き、使っていないマッチを取り出す。
どうせありふれた言葉しか書かれていない手紙を、中身を確認せず燃やす。いつ、どんな方法で彼のいない今世をやめようか、黒くなる手紙を見ながら考えた。
6/23/2025, 2:24:16 PM