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5/11/2023, 2:28:28 PM

愛を叫ぶ。


「愛しているわ!」
本心から出た言葉を、今日も演技にまぎれさせて、密かに愛を叫ぶ。
名前すらないこの役は、ただただ片思いをするだけで、振り返ってももらえない。それでもなお、切実に想いを寄せるのだ。
本当に変なところは自分にそっくりで笑ってしまう。ただ。その想いを向ける相手が違うだけ。
きっとあの人もそれが自分に向けられているとは思ってもいないのだろう。でも、それでいい。
せめて、この劇が終わるまでは演技にまぎれて、愛していると愛を囁くのだ。

5/10/2023, 2:16:35 PM

モンシロチョウ


木々が生い茂る森の中を少女は一人さ迷い歩いていた。
舗装された道もあれば、獣道が続いていることもあり、歩きにくい森の中を少女はただひたすらに進んでいた。
ふと、目の前を何かが横切ったのが見えて、少女はそちらに目を向ける。そこにはひらひらと羽を羽ばたかせながら飛ぶ蝶々がいた。白くて小さいそれはモンシロチョウで、少女の目の前をゆらゆらと通りすぎ、そのまま飛んでいってしまう。
まるでモンシロチョウがついてきて、と呼んでいるように感じて、少女はその後を慌てて追いかけた。
さっきまで鬱蒼としていたように感じていた森の中も、何だか生き生きと楽しげで。太陽のあたたかい光が木々の隙間から降り注ぎ、周りが一段と明るくなった。
モンシロチョウを追いかける少女の目は輝いていて、希望に満ちあふれていた。白いうさぎを追いかけたアリスのように、行き着く先は不思議の国か、はたまたお花畑か。
そんなことは今の少女には知りえないし、当のモンシロチョウも知っているのか、それすら誰にもわからないのだが。
それでも、こうやって今日も新しい物語が始まるのだ。

5/9/2023, 2:14:01 PM

忘れられない、いつまでも。


それは、呪いによく似ていた。
まるで昨日のことのように美しく、鮮明に思い出されるのに、それがひどく残酷で。
覚えていることが罪になるのならば、自分は前世で一体何をやらかしたのだろう。
どれだけ上書きしようと思っても、上書きされることはなく、むしろ積み重なって、忘れることを許してはくれなかった。
どんな些細なものでも、記憶に蓄積され、脳の容量の限界まで記憶される。生きているうちに限界が来ればいいが、きっと来ないのだろう。混乱しそうなほどに頭の中は色んな記憶で溢れかえっているのに、それらを忘れそうになることは、まだない。
忘れられない、いつまでも。それは私にとって呪いそのものだった。

5/8/2023, 2:18:06 PM

一年後


「よし……」
少女は真っ暗な部屋の中で、マッチをつけ、ろうそくを灯す。少しだけ明るくなった視界に映る自身の部屋の床には禍々しい魔方陣のようなものが描かれていた。
古い書物に書かれていた悪魔を召喚する方法は思っていた以上に手軽にできるものだった。あとは悪魔を呼び寄せるため、対価を宣言するだけ。
すぅ、と深呼吸をして、少女は目を閉じる。
「人の心に巣食う悪魔よ、我のもとへ姿を現せ。そして、願いを聞き入れろ。……対価は、私が持っているものなら何だってくれてやるよ」
書物に書かれた呪文をなぞるようにそらで読み上げ、悪魔が来るのをじっと待つ。
窓もない部屋なのに、風が通り抜けたような気がして、少しだけ怖くなる。悪魔は本当の姿を見せたがらないので、目はつむっていなければならない、と書かれていたことを思い出して、目は開けないようにぎゅっとつむっていた。
「目を開けよ、人の子よ」
突然聞こえてきた声に驚き、目を開ければ、そこにはなんとも悪魔らしくない悪魔がいた。
くまの耳のような可愛らしい耳を持ち、短めの角がちょこんと二つ生えている。フォルムもどことなくくまっぽくて、どこかのマスコットキャラクターだと言われてもおかしくないような、そんな可愛らしい見た目をしていた。
「……ほんとに、あくま?」
「失礼なやつだな。正真正銘悪魔だ。お前が呼んだんだろ。ほら、どうしてほしい?」
そう言って笑う顔は、悪魔らしく恐怖を抱かせるが、そんな恐怖を振り払うように少女は告げる。
「嫌なものも、嫌な人も、全部消してほしい。その代わり私があげられるものなら、何だってあげる」
少女は本気だった。世界を呪いたいほどに、嫌なものであふれるこの世界が嫌いで、憎たらしかった。こうして悪魔なんかに頼ってしまうほどに、追いつめられていたのだ。
悪魔はニヤリと笑って言った。
「いいねぇ、そういう願いは大好物だよ。いいよ、叶えてあげる。君が嫌いだと思うものを全部消してあげよう」
「本当?」
少女が期待を込めて、悪魔を見つめれば、悪魔は楽しそうに微笑む。
「もちろん。その代わり、……そうだなぁ。君の一年をちょーだい」
「へ? 一年?」
「そう、一年」
「寿命一年分ってこと?」
「まぁ、そうやって考えるのがわかりやすければ、そんな感じ」
「わかった。いいよ、あげる」
「ふふふ、じゃあ契約成立だね。じゃあ、君が次目覚めたとき、世界は一変しているだろうね」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみ」
その声に誘われるように眠気が少女を襲う。
「ありがとう、なんて悪魔に言うだなんて馬鹿だねぇ」
そう言った悪魔の声は、少女には届かなかった。

そして、少女は目を覚ました。久々によく寝たような気がするくらいには長い時間寝ていた気がしたし、何だったら少しだるいくらいだった。
しかし、少女は期待に胸を膨らませていた。なんたってもう嫌なものも、嫌な人もいない世界になったのだ。嬉しそうに鼻歌を歌いながら、リビングにつくが、そこには誰もいなかった。
いつもなら、朝ごはんを作っている母親がいるはずなのに。そう思いながら、少女は家の中を歩き回り、探すが、母親もいなければ、父親もいないし、妹と弟もいなかった。
「……なんで?」
そう呟いた声に、笑い声が聞こえた気がした。
「なんで、ってそりゃ君が嫌いだと思ったからさ」
そんな声に驚いて、振り返れば、そこにはあのときの悪魔がいた。
「嫌いだなんて、思ってない」
「嘘をつくなよ。嫌いだと思ったことくらいあるだろ」
「それは、あるかもしれないけど、そういうことじゃない! 私が消してほしかったのは、そういうのじゃない! 元に戻してよ!」
「そりゃ無理だ。だってもう対価はもらってしまったからね」
「え?」
「気づいていないと思うけど、君が眠りについてから、もう一年経っている」
「いち、ねん」
「そう。君がくれた君の一年だ。いやー、この一年は君のおかげでとても楽しかったよ」
「あ、……あぁ」
絶望にうちひしがれる少女を横目に悪魔は笑っていた。
「一年後がこんなにも素晴らしいものになるなんて、嬉しいだろ?」
そう問いかける悪魔に少女は声の限りに泣き叫び、崩れ落ちる。それを見ていた悪魔は新しいおもちゃを貰った子どものように、それでいて愚かな少女を嘲笑うかのように、楽しげに笑っていた。

5/7/2023, 2:02:45 PM

初恋の日


それはあたたかい春の日のことだった。
いつも通りの代わり映えしない通学路を、ただ家が近いという理由だけで君と登校していた。
少しだけ先を歩く君がこちらを振り返って、花が咲くような笑顔で何かを言っていたことは覚えているけれど、内容まではもう忘れてしまった。
それでも、その笑顔に惹かれたことはよく覚えていた。少しだけ高鳴った心臓に、キラキラと輝き出した世界に、これが恋だとやっと気づいた。
初恋の日、それは優しい春の光が降り注ぐ、愛しくて少しだけ切ないそんな日だった。

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