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1/22/2026, 11:14:54 AM

「タイムマシーン」

荒野にポツンと佇む白い箱。その箱の中には最新鋭の実験設備が設置されている。入口こそ味気ない箱形だが、中に入ると地下を贅沢に使った広い実験都市として整備されている。地球温暖化が進み、もはや地上で生活することは困難になった地球では、今や地下で生活することが一般的になっていた。

限られた空間。完全に管理された社会で娯楽はデジタルに制限され、外の世界に興味を持つ人間がいないようにと、かつての美しい風景を描いた作品は規制されている。

そんな地下社会に、かつての地球の姿に魅了された男がいる。男は研究者として閲覧を許された文献の中に、かつての地球の姿を綴った文学作品を見つけたのだ。青い空。白い雲。海。山。季節や時間でその姿を変える雄大な自然に男の心は囚われた。夢中になって規制から逃れた文学作品を読み耽った。

そうして外の世界に魅了された男は、とうとうタイムマシーンを使って過去へ行くことにした。幸い男にはタイムマシーンの設置されている部屋へ入る許可があった。その使用方法も知っていた。しかし、タイムマシーンの私的利用は大罪だ。過去を変えれば今が変わってしまう。今よりも良くなればまだ良いが、悪化するようなことになれば人類が滅亡してしまうかもしれない。

私利私欲で研究機材を使用したものには厳罰が下される。タイムマシーンの私的利用に対してのそれは、帰還の禁止であった。タイムマシーンでの時間移動では行きも帰りも現在からの操作が必要になる。移動先から帰るためには、研究室のタイムマシーンを操作してもらう必要があるのだ。

帰還の禁止とは、その操作をしないだけでなく、帰還及び回収に必要な座標のログすらも消去してしまうということだった。それはもはや、現在からの存在の抹消に等しく、この罰は明示されるだけでこれまで受けたもののいない、すなわち抑止力として設定されたものであった。

男はこの罰のことも当然知っていた。それでもかつての美しい地球が見たかったのだ。もう二度と現在に帰ってこられなくても、二度と家族と会えないとしても。過去の地球で無戸籍者として野垂れ死んだとしても。

男はタイムマシーンに乗り込んだ。誰にも何も伝えずに、深夜に一人で、タッチパネルを操作して、過去の地球へ向かう。目指すは2026年。片道切符の時間旅行だ。

1/21/2026, 3:45:20 PM

「特別な夜」

帰り道、ふと空を見上げた。やけに月が大きいことに気がついた。色もやたらと赤い。星がいつもより明るい気がした。何だか気分が上がった。今日を特別な夜にしようと思った。

帰宅途中のスーパーで、普段は絶対に買わない、ちょっといい冷凍パスタを買った。帰宅したら、パスタを冷凍庫に入れて、代わりに秘蔵の高級チーズと生ハムを冷蔵庫に移す。

夕飯の前にお風呂だ。湯船にたっぷりのお湯を溜めて、貰い物のバスソルトを入れる。浴室中がラベンダーのいい香りに満たされた。試供品で貰った高級シャンプーとコンディショナーで丁寧に髪を洗って、身体もしっかり綺麗にする。湯船に浸かると、紫に濁ったお湯が身体の芯まで温めてくれる。疲れが溶け出すように、力が抜けた。

たまにしか使わないスキンケアパックを使う。髪を乾かすときにはヘアミルクも忘れない。ボディミルクでしっかり保湿して、柔らかいパジャマを身につけたら、ようやく夕飯だ。

冷凍パスタを温める間に、チーズと生ハムをテーブルに出して、解凍を進める。デパートで買った赤ワインをグラスに注いで、カトラリーを用意し終わったところでレンジがなった。

美味しいワインとパスタ。高級チーズに生ハム。スマホでジャズミュージックを鳴らせば、特別な夜に相応しい。早食いなんてしてしまえば、特別感の消失だから、意識してゆっくりと味わう。たまにはこんな夜も良い。特別な月を見たなら、特別な夜を過ごすべきだ。

1/20/2026, 2:12:25 PM

「海の底」

海の底には、誰も知らない世界があるらしい。そこには人魚がいて、人間のように暮らしているのだとか。そんな人魚がごく稀に地上に顔を出すのが、現代まで残った人魚伝説の由来らしい。

この地球上において、深海は未だ未知の世界である。であるからして、そこに人魚がいるかもしれないと言うのは、決して否定はできない。未観測であることは非実在であることの証明にはならないのだから。

水族館の深海魚水槽の前のベンチで、そんな空想の深海世界に想いを馳せる。もしも人魚を見つけたら、どうしよう。話しかけたら答えてくれるだろうか。そもそも言葉は通じるのか。深海で生きていたと言うことは、きっと目は悪いはず。音や匂いには敏感だろう。

深海魚と人魚は同類だ。未だ人間にとって未知であること。まだ見つかっていないだけの存在が多くあるだろうこと。いるのかいないのか、誰も分かりはしないこと。

海の底。海の底には何があるんだろう。

1/19/2026, 1:41:04 PM

「君に会いたくて」

冷たい風が吹き荒ぶ夜の街を一人の男が走っている。スーツ姿に黒のビジネスリュック。まさに仕事終わりのサラリーマンの格好で、人目も気にせず走っている。運動不足の身体で、仕事終わり。お世辞にも早いとはいえないが、それでも男は走った。

「今日、会える?」

男がその連絡に気付いたのは、少し遅めの昼休憩のことだ。大切な人からの連絡とあれば、どんな内容でも気づいた瞬間に返事をするものだが、それがこんな内容だと言うまでもない。午後の業務中、残業なんてしてたまるか、と言わんばかりの男の鬼気迫る形相に、近くの席の同僚はドン引きだったし、上司はいつもこのくらい働いてくれたらなぁとため息を吐いた。

そうして何とか定時で職場を出た男は、こうして汗臭く走っているわけだ。駅まで歩いて10分のところを、全力で走って5分。精々一本早い電車に乗れるかどうかの差でしかなくても走るのだ。それは、そう。単に君に会いたくて。

1/17/2026, 1:11:41 PM

「木枯らし」

一人の寂しい男がいた。男が一人で寂しいのは、男自身のせいであった。その男は、どうにも寒々しく、乾いた木枯らしのような男であったのだ。

情に薄く、何を言っても冷たく乾いた笑いを見せるだけ。ウェットなジョークをいうでもなく、冷笑してばかりの男は、当然人に好かれるはずもなく、上辺だけの付き合いのほかはもっぱら一人寂しく過ごすのみであった。

若い頃はそれでも良かった。斜に構えて、孤高の一匹狼でも気取っているフリをしていれば、多少なりとも興味を持って寄ってきてくれる物好きがいた。

それが今や、ろくに友人もいない、とっつきにくいだけの痛々しいおじさんだ。休日に遊ぶ相手もおらず、趣味といえば家で読書をするくらい。男の心は乾燥して冷え切った、木枯らしが吹いた後の冬の山のようだった。

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