藁と自戒

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6/15/2023, 4:25:42 PM

本を開くとどこか懐かしい匂いがする。

私は子どもの頃から本が好きだった。
はじめはまだ文字も読めなかったころ、お母さんが読み聞かせてくれた絵本。いっぱい絵が書いてあって、キラキラしてて、お母さんも読むのがお上手で、いっつもわくわくした。夜、ねなきゃいけない時間になると、本だなから1冊だけ絵本を取り出して、キッチンでお皿洗い?をしてるお母さんのところにもってくと、お母さんはとちゅうでやめて、私をベットまで連れてって読み聞かせをしてくれる。そのお話はすっごくおもしろいんだけど、だんだん眠くなっちゃって、いつの間にか眠ってしまう。そんな思い出がある。
中学生になると学校の本棚に夢中になった。いろんな作家さんの本があって、日本の小説家さんだけじゃなくて海外の小説家さんの本も沢山ある。だけど、海外のコーナーは日本のそれよりも狭く小さくて、海外の方がよっぽど広いはずなのに、と不思議な気持ちになる。私は歴史小説が好きで、司馬遼太郎や山本周五郎をよく読んだ。偉人たちの活気に充ちたストーリーも名もない町人の人情溢れる話も私の心を揺れ動かした。お母さんにこの本凄く面白かったから読んでって言っても私は難しいのはなかなか読めないからといってはぐらかされてしまう。でも、今度小説に出てたどこどこに行ってみたいって言うと予定を立てて連れて行ってくれる。今度の長期休みには日本橋に行く。楽しみだな。
大学生になった。私は日本文学の、特に明治後期から昭和に書かれた物が好きで、今とは違って言葉が言葉として意味を持っていて、言論が力を持っていた最後の時代、と私が勝手に解釈しているこの時代の文学を愛していた。読むだけで新たな発見がある。読む度に印象を与えてくる箇所が変わり、時代背景を知って捉え方が大きく変わる部分もある。そんな文学の研究をしたかった。言葉を愛する物として、私に訪れた感動を、その訳柄を言葉に落とし込まないと気が済まないのである。しかし、個人に訪れた事象を普遍な事実として説明するのも烏滸がましく、敷衍するだけの知見も、訓蒙も無かった。そして、母の死という出来事も私を変えた、羸弱だった母は私が高校生の時に病床に伏し、近所の大学病院へ入院した。お見舞いに行くと母は気丈に振る舞い、すぐに良くなるから、そしたら一緒にお出かけしようねと声をかけてくれた。けれども、いざ病院から帰ると伽藍堂の家が大きな口を開けて待っている。そのまま呑み込まれると大きな不安と後悔、自責の念が込み上げる。中学生のときあんなに連れ回さなかったらもっと一緒に居られたんじゃないか、このまま会えなくなったらどうしよう。いろいろ考えた。考えて、泣いた。ただひたすらに。そのまま、母とのお出かけが叶うことは無かった。それを機にあまり文学という物に熱心になれなかった。文学の事を考えると、優しい母の顔を思い出す。思い出せば思い出すほど辛く、苦しくなる。
え、もう、読み終わっちゃうの?これでお終い?こんな中途半端な内容で?続きはどうなるの?私のの心は満たされないままなの?読者の感動を誘うために勝手に母を殺されただけの私をどうか終わらせないで

僕はつまらない本をそっと閉じた。

#好きな本

6/14/2023, 4:17:56 PM

女心は秋の空という言葉かある。葉が恥じらう季節の空模様は賽を振るよるに変容し易く、淑女の意向が如くである。
未だに清涼の季節では無いが、ふと色眼鏡をかけて空を仰ぐ。空がある、緋色に染った。また別の色のグラスを懐から取り出してかけると、藍色へ変わる。衣嚢から出し、黄金色へと変える。私の心模様に合わせて世界を彩る。試しに、全部を纏めてかけてみると明度だけが下がる。気分が悪くなり、もっていたものをなべて小僧にくれてやると、其れはキャッキャと笑って、礼も無く消えていった。
ぽつりぽつりとお天道様の機嫌が悪くなる。雨粒は目元を濡らし、頬を伝って、首筋へと消えていった。小走りで凌ぐ場所を探す。丁度いい茶屋があったので、小娘に注文を伝え、溺れる街を眺める。恵は人々の歩みを止める。幸か不幸か、泥濘んだ足元は歩み始めの気力を削ぎ、その場に留めようとする。そこに留まる者もいれば留まらない者もいる。全ては時の運次第だろう。視線の先の蛙がどこかへ飛び去ってしまう頃、娘が茶と菓子を運んでくる。煎茶は程よく深みがかっており、未開の大海を思わせる。徐に茶を口元に運び、茶碗を傾ける。液体は茶碗を伝い、口内に流れ込む。味わい深い潤いが喉を満たす。息を漏らしながら茶碗を戻し、四角い洋菓子に手を伸ばす。己の手によって小さく分けられた茶菓子は、口内で迷子になっている水分を腹中まで導き、さっぱりとした甘さが心地よく鼻を抜けてゆく。
空はいつの間にか晴れ渡っていた。食べかけの茶と菓子を残して、茶屋を後にし、漸く帰路に着いた。

#あいまいな空

6/13/2023, 10:52:23 AM

散歩中、ふと、街路に目をやると、紫陽花がいくつか、藍を基調とした花弁、人目があり、その香りを撫でることは出来ないが、季節の変わり目を感じるには、十分だった。すると、ぽつぽつと、雨が降って、生憎、傘を持ち合わせておらず、急落した天候を、呪い、近くのバス停へと、走った。そこにも、紫陽花が咲いている。先ほどよりも、大した事はない、なんてことはない紫陽花だ。花弁は小さくみすぼらしい、そのくせ群集していて品のない、誰も愛など注がない、庶民の花だ。季節の変わり目は、未だに私をバス停に留めている。
バス停で雨を凌ぐ私を、1台のバスが迎えに来た。普段からバスとは縁のない私だ。そのバスが何処へ向かうかなどつゆも知らない。だが、バスへ乗り込み、整理券を手に取った。バス停はこの季節特有の、じめっとした空気と、バス特有の、むわっとした香りに包まれており、とてもじゃないが、居心地がいいとは、言えなかった。けれども、あの場所から離れる最前の手段、もとい口実であったため、バスに乗らざる負えなかった。紫陽花が、雨が、私をバスに乗せたのだ。
いったいこのバスは、何処へ行くのだろう。ある程度、この辺りに住まわせて貰っている身であるが、恥ずかしながらバス停の名前を知らされても、聞いたような聞かないような名前で、しばらくすれば、とっくに車窓からの景色も見た事の無いものへと変わっていった。さて、いつ降りようか。そのような算段をしていると、いつの間にか乗客は誰ひとりとして、居なくなっており、運転手から、「お客さん、次で終点だよ」と声をかけられる。「ええ、そうですか、ちなみになんて所です?」と尋ねると、「おや、知らずに乗っていたのかい、次はね、」
どれほどバスに乗っていただろう。久しぶりの車外の空気は新鮮で、それは全身へ良く巡った。天気もすっかりと良くなっており、太陽が眩しく私を照らす。しかし暑いな、もう少し降っていても良かったのに、と思った。バスに乗る前の紫陽花の事をふと思い出した。紫陽花がいた場所に目をやると、すっかりと色褪せてしまっており、見るも無惨な姿だった。植物も、生命だ。植物の終わりの姿は、なんとも、人のそれを想起させて辛い。目を瞑り、手を合わせる。バス停の看板には掠れた文字で、「夏」と書かれていた。

#あじさい

6/12/2023, 12:12:45 PM

好き、嫌い、といふものがある。人間は、自己の感性の赴くままに、事象を、好きな物、嫌いな物、といふように、2元的に分別をする。それは物体に対しても、表象に対しても、有効な試みであり、兎に角、目の前のものを、好き、嫌い、に分けることができる。だが、自己の感性の赴くままに、とは言うものの、その感性たるや、何か?感性の根拠は、何処か?という事を論じるのはなかなか難しい、実際に絵の好み、音楽の好み、映画の好みとなると、十人十色であり、自分の、好き、嫌い、でさえ、満足に説明出来なかつたりする。何故、好きか、何故、嫌いかは難しいが、それを紐解くために、何時、好きで、嫌いであったか、という事を考える事も興味深い。同一の人、対象であっても、人生において、時には好き、時には嫌いといふ事がある。感性といふものは不変ではなく、時間を媒介して変化するものである。やはり、
と、筆を止めた。こんな、つまらん評論を書いて何になる。どうせ売れやしない!どうせ読まれやしない!なーんにもくだらない!好き、嫌いだなんてものをだね、そもそも推し図ろうという試みそのものが侮辱だよ!侮辱された感性は腹を立てる。あたりまえだろう、君だって侮辱されたら顔を真っ赤にして怒りだすじゃあないか。そうだ、腹を立てた感性は徐々に歪んでいく、これは好?きで、これは嫌?いだと言うように!感性と言うものをいちいち記述しようだなんてのは間違った試みなんだよ。
美しいものは美しい。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い!それでいいじゃあないか。何をいちいち理屈っぽく考えるかね。そこに権利の介入を疑うのかね。まったく、くだらん。こんな事なら趣味の官能小説の続きを書いた方がなんぼかましだ。売れん。売れたとしてもしがないもの好きが買って半分ほども解せずに我が物顔で歪んだ知識をひけらかすだけだ。
なによりなあ!私がもうくだらんというのだからくだらんのだ。くだらんと思って書くものは、ぜーんぶくだらん!バカ!アホ!マヌケ!
#好き嫌い

6/11/2023, 10:39:23 AM

私は、しがない写真家だ。私が、写真を撮るようになったのは、ずっと昔、小学校か中学校に通っていたころ、当時、有名な写真家がこのあたりの出身だということで、講演をしにいらっしゃった。講演と言っても喋ることは大したことなく、私は写真家をしておりまして、こんなものを撮っています。というもので、それより、彼の写真に子供心ながら、惹かれたのだ。彼の写真は儚く、繊細で、触ったら壊れてしまいそうだと思わせた。それに加えて、彼は時代を考えると、なかなかにハイカラな人で、とても、バイタリティに溢れた、人物だった。そんな人からこんなにも、脆い作品が産まれるのだと思うと、不思議で堪らなかった。
そして、彼は僕達、ガキを引き連れて、写真を撮りに行った。幸運な事に、片田舎の小規模な、学校だったから、カメラは全員分行き渡り、彼はガキ1人1人に、いいか、絶対に壊すんじゃないぞ?と念を押すように言った。変な大人だなあ、となんとなく思った。そして彼の、写真に感化された、私は、私も美しい繊細な、写真を撮るんだと息巻いて、カメラをぶら下げて野を掛けた。地面を蹴ると、ちぎれた草々が舞い上がる。しかし、どうにも被写体がみつからない。生憎ながら片田舎、繊細とはかけ離れた、無骨な、なんというか野蛮なものしか見当たらなかった。仕方がないので、その辺に落ちていた虫の、死骸にピントを合わせ、シャッターを切った。
講演とは名ばかりの、1日授業は終盤を迎え、皆で撮った写真を、見せ合う時間となった。皆がそれぞれ撮った、写真を持ち出し、あれやこれやと理由をつけて、自分の写真がいかに、素晴らしいかを説き合う。私は心底、つまらないなと感じた。当然、ガキの撮った写真には、人を惹きつけるような、何か、というものはなく。なにを見ても、まあ、こんなものだろう。という感情しか沸いてこない。そして私の写真も、誰が見ても、まあ、一見して驚きはするものの、とはいっても虫の死骸だ。そこら辺にある。誰もが見飽きていた。1人を除いて。彼は、いや、先生は私の写真を、絶賛した。これはもう絶賛した。そしてみんなも、先生が絶賛するのだから、素晴らしい写真なんだろう、と、素晴らしい写真がわからないのは、はずべきことだと、私の写真を絶賛した。そして私は天狗になった。伸びた鼻は未だに折れていない。なんとなく、良いとも悪いとも思わん写真を撮って、自分以外の誰かがそれを賞賛する。その繰り返しで、未だに写真家として、食っていけている。芸術とはよくわからんものだ。
そして私は、片田舎を離れ、現在はそこそこ都会の街で、活動を行っている。細々とギャラリーに出展したり、個展を開いたりしている。しがないとは言えども写真家としては、そこそこ有名だったりするんだよ。僕は。なんとなく、いい事がありそうな昼下がり、いつもの喫茶店でお茶をしていると、ある美しい女性が、入り口のベルを鳴らした。女性はなんともしっかりとした、佇まいで、席に座ると、雑誌を取り出し、目を通していた。誰かを待っているのだろうか、いいや、そんなことはどうでもいいが。私は、今までの人生で最も、説得力のある空間を捉えている。雰囲気のいいカフェ、美しい女性、雑誌。そしてそれを更に補足するかのような小道具の数々、シャッターを切らずにはいられなかった。私は、かつて憧れた、いやむしろそれ以上の傑作を生み出したのだ。初めて、自分の手で、納得のいく美を収めたのだ。この、街で。私はすぐさまその作品を発表した。この作品を皮切りに、世界に名をとどろかす、素晴らしい写真家になる事を、確信していた。しかし現実は上手くいかない。そもそも大した評価を、受けなかった。あなたらしくないだとか、失望しただとか、血迷ったのかなどと言われた。世間にとって、私の写真らしさという物は、既に確立されていたらしい。そしてまた、ポリコレだとかなんとかいう団体に、アホほど叩かれた。美しさがどうのこうのと、くだらない。美しいものは美しいんだ。私の感性は宛にならないのかも、しれないが。私はカメラをその場で叩き壊し、求人誌を片手に、新たな旅へ出た。
#街

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