藁と自戒

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散歩中、ふと、街路に目をやると、紫陽花がいくつか、藍を基調とした花弁、人目があり、その香りを撫でることは出来ないが、季節の変わり目を感じるには、十分だった。すると、ぽつぽつと、雨が降って、生憎、傘を持ち合わせておらず、急落した天候を、呪い、近くのバス停へと、走った。そこにも、紫陽花が咲いている。先ほどよりも、大した事はない、なんてことはない紫陽花だ。花弁は小さくみすぼらしい、そのくせ群集していて品のない、誰も愛など注がない、庶民の花だ。季節の変わり目は、未だに私をバス停に留めている。
バス停で雨を凌ぐ私を、1台のバスが迎えに来た。普段からバスとは縁のない私だ。そのバスが何処へ向かうかなどつゆも知らない。だが、バスへ乗り込み、整理券を手に取った。バス停はこの季節特有の、じめっとした空気と、バス特有の、むわっとした香りに包まれており、とてもじゃないが、居心地がいいとは、言えなかった。けれども、あの場所から離れる最前の手段、もとい口実であったため、バスに乗らざる負えなかった。紫陽花が、雨が、私をバスに乗せたのだ。
いったいこのバスは、何処へ行くのだろう。ある程度、この辺りに住まわせて貰っている身であるが、恥ずかしながらバス停の名前を知らされても、聞いたような聞かないような名前で、しばらくすれば、とっくに車窓からの景色も見た事の無いものへと変わっていった。さて、いつ降りようか。そのような算段をしていると、いつの間にか乗客は誰ひとりとして、居なくなっており、運転手から、「お客さん、次で終点だよ」と声をかけられる。「ええ、そうですか、ちなみになんて所です?」と尋ねると、「おや、知らずに乗っていたのかい、次はね、」
どれほどバスに乗っていただろう。久しぶりの車外の空気は新鮮で、それは全身へ良く巡った。天気もすっかりと良くなっており、太陽が眩しく私を照らす。しかし暑いな、もう少し降っていても良かったのに、と思った。バスに乗る前の紫陽花の事をふと思い出した。紫陽花がいた場所に目をやると、すっかりと色褪せてしまっており、見るも無惨な姿だった。植物も、生命だ。植物の終わりの姿は、なんとも、人のそれを想起させて辛い。目を瞑り、手を合わせる。バス停の看板には掠れた文字で、「夏」と書かれていた。

#あじさい

6/13/2023, 10:52:23 AM