創作物にしばしば列車が登場する
「雪国」、「銀河鉄道の夜」、「江ノ電ニキ」、「8番出口」
やや俗な一例も採り上げたが、少し省みるだけで自身の血肉となっている作品のうち列車が登場するものは多いように感じる。
人類が誕生し約700万年、2本足で地を踏みしめるようになった霊長類唯一の種は、独自の進化を遂げたその知性により様々な移動手段を獲得した。水を捉え水中を自在に泳ぐための鰭に対し、四肢がそれに適していないと理解して船を造った。風を捉え空中を自在に飛び回るための翼に対し、自分にはそのすべを持たないと理解して飛行機を造った。最速の生物とはまさに人類であり、その知こそがそれを可能にしている。
同じくして陸路にて大量の人・物を運ぶために列車を作った。人類史において道の整備はしばしば採り上げられるテーマであるが、なにが通るにしても轍というものは課題となっていた。人類は度重なる挑戦にて鉄の道を敷くことによって轍を踏み越えたのだ。
そして線路、車両共に整備改良が重ねられて現在に至る。その過程にて所謂「駅」というものが発達した。歴史を遡ると場所と場所通しの橋渡しとなるのが道であったが、むしろ線路と線路を繋ぐ場所としての駅が意味を持つ場所として形成され始めた。人々の生活にとって駅がより密接なものになっていく。
これは単に
誰よりも幸せでいたい
今にも倒壊しそうなボロ小屋で、薄汚い歯をチラつかせながら彼はそう言った。
部屋には乾き掛けの絵の具と汚されたキャンバスが散らばっていた。
彼はまだ汚れていないそれを1つ手に取り、
いつかこいつを完成させたらと思うと不格好な笑顔が張り付いちまってよ
変な面で呟いていた。
閑古鳥が鳴いた。
志半ばという言葉がぴったりの、そんな人生だった。
高架下の廃墟は好事家の画廊になっている。
作者は誰も知らない。
もとより誰も興味がない。
ただ、乾いた絵の具と作品と称されるそれが弱者共の心を慰めていた。
なあ、お前は幸せになれたのか?
誰よりも心にこびり付いている男の顔を思い出す。
#誰よりも
胸元にそっと手を差し込み、感触を確かめる。硬い胸骨、小さく揺れる肺、激しく揺れる心臓、その更に奥へと手を進める。指先は血液で濡れ、さらさらとした真っ赤な血と、どろどろとした赤黒く濁った血とが混ざり合う。確かな感触を捕らえて、思い切り引っ張り出した。机の上には小さく脈打つ何かが生きていた。両手で丁寧に形を整えると、それは時間を飲み込むような彫刻になった。これを、君の所へ持っていこうと思っている。
君は何を感じ、何を思い、何を言うんだろう。ああ、明日が楽しみだな。明日が来るといいな。
#愛を注いで
他者とは何か。
ある人は言う、それは自己を写す鏡だと。
ある人は言う、それは共に助け合う者だと。
ある人は言う、それは他の人に過ぎないと。
ある人は、言う。
確かに、比較という行為を通じてしか得られない情報はある。身長の高低、力の強弱、優劣とかいうものもその1つだろう。
故に、他者とは自己を写す鏡だとは言えるだろう。事実として鏡像なければ私たちは手足腹部ほどしか見られないのだから。
また、私たちは1つの脳に1つの身体、1つの精神を持つ生きものである。学術的な諸説と1部の例外は黙認して頂きたい。故に、なにか重たい物を持つならば1人よりも2人、2人よりも3人の方がいくらか楽だ。当然、物体が許す限り大勢で持ち上げた方が、1人あたりの負担はずっと軽くなる。それもまた他者のあり方の1つと言えるだろう。
とは言え、他者は他者だろう。脳を、身体を魂を共有するでもない他者は、確実に自身とは切り離された存在であり、それを完全に理解することは不可能だ。そして、なにかしら大きな力を加えてそれを従えようとする行為もまた不純である。
あなたにとって他者とは何か。憎むべき敵か。公害と揶揄すべき悪か。仲間か。同じ食卓を囲う友か。共に授業を受けるだけの他人か。あるいはその全てか。他者、ないしはあらゆる事象を文章に落とし込む行為はある種、暴力的だ。事象を可読な文章に変換する上で、AはBであるという文型に落とし込まなければならない。つまり、視覚、聴覚などの五感で感じ取っている事象を、文章という情報へと次元を下げて折りたたんでいるからだ。
あなたが人間である以上、好きだとか嫌いだとかを感じるのは自由だ。だが、それを文章という形で発言するなら、それ相応の責任を負う必要がある。あなたは発言の過程で、他者の肉を削ぎ、骨を折り、事前に用意しておいた文脈に無理やり折りたたんだからだ。私は、最近見受けられるコミュニケーションの大半が詭弁を弄していて、不健全だと思っている。玉石混交の世界に惑わされずに自分自身の言葉を使って欲しいと切に願う。
これは糾弾であると共に自戒でもある。時折、発言に伴う責任を無視し、他者を傷つけてしまうことがある。別に、他者を傷つけることを悪だと言いたいのでは無い。理由を伴い他者に殺意を抱く時、そしてそれが法を上回る時、人が人の命を奪おうともそれは必然の様にも感じている。しかし、その理由というものに自身がなるという事は大変恥ずべき事だとも感じるからだ。自身の無責任が自身を滅ぼしうることこそ愚鈍に他ならない。
#あなたとわたし
「神は言った、『光あれ』と。されば、光があった。」
「光は、全てを照らした。光に照らされた世界は徐々に色付き始めた。」
「光は、熱を産んだ。この世界に理を産んだ。物の理とは熱、あるいはエネルギーである。」
「光は、影を産んだ。強すぎる光はやがて、ある場所を懇ろに照らし、ある場所を慎ましく照らすようになった。」
雨音が地面で跳ね返り、燻る駅前で酔っ払いがぶつぶつとそのような事をボヤいていた。ああ、だとしたらあんたは影だ。世間という大きな光が照らすことの無い惨めな―
ああ、沈黙は金という言葉もある。なんせ世知辛い世の中だ。クズがクズに講釈垂れようがなにが変わるわけでもないし、爺の説法に耳を傾けるも一興だろう。
神は1週間でこの世界を作った。
「正確に言うなれば6日だ。7日目は神は休息を取った。ああ、今で言う日曜日だ。基督教の言うところの安息日だ。いや、ユダヤだったか。」
「なんせ急に創った世界だ。間違いもある。なあ、そこの兄ちゃんよ。間違いとはなんだと思う?」
急に話を振られるものだから驚いて表情が強ばった。老人の面を覗き込むと、先程までの酩酊具合からは想像がつかない程の、様な眼でこちらを凝視していた。
「ああ、俺の話をこんなに熱心に聞いてくれるヤツは初めてでな。つい質問しちまったよ。」
で、俺の話はちゃんと聞いてたのか?
「ええ、おそらく聖書の創世記の話ですよね。確か旧約聖書にもありますが。さすがに世界で1番読まれた本だけあって味わい深い音の響きをしてますが、」
「おいおい、俺はそんなことを聞いたんしゃあないぜ。神様だって間違う。それは何かって問うてるんだ。さあ、アンタはどう思う?」
「なにせ私は無神論者ですし、そこら辺の方々の言う神が何たるかを深く考えた事はありませんが、アプリオリに万理が認められる装置と言う解釈をしましょう。それは文化だったり、信仰だったりが担保する所なんでしょうが、要は努力次第です。して、その神が過つと言うのは単に努力不足としか私は思えないのです。解釈の幅の問題と言うか」
「ああ、アンタが言うことはよくわかる。モダンなニヒリズムがよく現れてるよ。だが、明らかな不具合がある。それが無ければ今頃全人類が聖書の全文を空で言えるし、南の空が赤く染まることもなかっただろうよ。あるんだ。明らかな不都合が」
「やみ、の1節ですか?」
「ご名答。光はそこにあった。そしてやはり、やみもそこにあったんだよ。『光あれ』と唱えたその時かつちょうどその時にはな。『光あれ』と唱えたからには光が必要だが、はたして神はやみを呼んだのか、はたまた『光あれ』の前からやみはあったのか。ああ。あったんだよ。やみはそれよりずうっと前から。それこそ神様なんてのが産まれる前からな。やみが、神様をつくったんだ。」
「はあ、いささか暴論の様な気がしますが、なんとなく言いたいことはわかりました。装置としての神はやはり信頼たる程の強度を維持していないというか。定義不足と言いますか、まあ、私も昔からずいぶんと人が作ったような話だなあと思ってはいたんですよね。オチとしては弱いですが、興味深い話でした」
「おいおい、オチはまだ着いちゃいねえよ。俺はそんな神様をつくったやみの使者だぜ。話を聞いたんだから対価を支払ってもらう。神は求めずともやみはすでにもう行ってるんだ。」
男は機敏にナイフを喉元に押し付けた。ああ、そういうオチだったのか―と。やはりクズはクズに変わりやしないんだ。ここで死ぬんだ。そう思った。一筋の光が2人を貫いた。音は雨音に、硝煙は燻る駅という空間に染み込んだ。
#一筋の光