私は、しがない写真家だ。私が、写真を撮るようになったのは、ずっと昔、小学校か中学校に通っていたころ、当時、有名な写真家がこのあたりの出身だということで、講演をしにいらっしゃった。講演と言っても喋ることは大したことなく、私は写真家をしておりまして、こんなものを撮っています。というもので、それより、彼の写真に子供心ながら、惹かれたのだ。彼の写真は儚く、繊細で、触ったら壊れてしまいそうだと思わせた。それに加えて、彼は時代を考えると、なかなかにハイカラな人で、とても、バイタリティに溢れた、人物だった。そんな人からこんなにも、脆い作品が産まれるのだと思うと、不思議で堪らなかった。
そして、彼は僕達、ガキを引き連れて、写真を撮りに行った。幸運な事に、片田舎の小規模な、学校だったから、カメラは全員分行き渡り、彼はガキ1人1人に、いいか、絶対に壊すんじゃないぞ?と念を押すように言った。変な大人だなあ、となんとなく思った。そして彼の、写真に感化された、私は、私も美しい繊細な、写真を撮るんだと息巻いて、カメラをぶら下げて野を掛けた。地面を蹴ると、ちぎれた草々が舞い上がる。しかし、どうにも被写体がみつからない。生憎ながら片田舎、繊細とはかけ離れた、無骨な、なんというか野蛮なものしか見当たらなかった。仕方がないので、その辺に落ちていた虫の、死骸にピントを合わせ、シャッターを切った。
講演とは名ばかりの、1日授業は終盤を迎え、皆で撮った写真を、見せ合う時間となった。皆がそれぞれ撮った、写真を持ち出し、あれやこれやと理由をつけて、自分の写真がいかに、素晴らしいかを説き合う。私は心底、つまらないなと感じた。当然、ガキの撮った写真には、人を惹きつけるような、何か、というものはなく。なにを見ても、まあ、こんなものだろう。という感情しか沸いてこない。そして私の写真も、誰が見ても、まあ、一見して驚きはするものの、とはいっても虫の死骸だ。そこら辺にある。誰もが見飽きていた。1人を除いて。彼は、いや、先生は私の写真を、絶賛した。これはもう絶賛した。そしてみんなも、先生が絶賛するのだから、素晴らしい写真なんだろう、と、素晴らしい写真がわからないのは、はずべきことだと、私の写真を絶賛した。そして私は天狗になった。伸びた鼻は未だに折れていない。なんとなく、良いとも悪いとも思わん写真を撮って、自分以外の誰かがそれを賞賛する。その繰り返しで、未だに写真家として、食っていけている。芸術とはよくわからんものだ。
そして私は、片田舎を離れ、現在はそこそこ都会の街で、活動を行っている。細々とギャラリーに出展したり、個展を開いたりしている。しがないとは言えども写真家としては、そこそこ有名だったりするんだよ。僕は。なんとなく、いい事がありそうな昼下がり、いつもの喫茶店でお茶をしていると、ある美しい女性が、入り口のベルを鳴らした。女性はなんともしっかりとした、佇まいで、席に座ると、雑誌を取り出し、目を通していた。誰かを待っているのだろうか、いいや、そんなことはどうでもいいが。私は、今までの人生で最も、説得力のある空間を捉えている。雰囲気のいいカフェ、美しい女性、雑誌。そしてそれを更に補足するかのような小道具の数々、シャッターを切らずにはいられなかった。私は、かつて憧れた、いやむしろそれ以上の傑作を生み出したのだ。初めて、自分の手で、納得のいく美を収めたのだ。この、街で。私はすぐさまその作品を発表した。この作品を皮切りに、世界に名をとどろかす、素晴らしい写真家になる事を、確信していた。しかし現実は上手くいかない。そもそも大した評価を、受けなかった。あなたらしくないだとか、失望しただとか、血迷ったのかなどと言われた。世間にとって、私の写真らしさという物は、既に確立されていたらしい。そしてまた、ポリコレだとかなんとかいう団体に、アホほど叩かれた。美しさがどうのこうのと、くだらない。美しいものは美しいんだ。私の感性は宛にならないのかも、しれないが。私はカメラをその場で叩き壊し、求人誌を片手に、新たな旅へ出た。
#街
6/11/2023, 10:39:23 AM