時間よ止まれ
男女の友情を超えた先にあるのは、相手の新たな一面が見られることだろうか。
少なくとも、最初の方はどの組もいい感じになるのだろう。
相手がいつもより甘えてくる。欲しい言葉を囁いてくれる。抱きしめる。手を繋ぐ。
きっと、そんな感じに物事は進んでいくのだろう。
単なる俺の憶測でしかないが。
これが、自分たちもそういう感じになっていたら、確信に迫れただろうにな。
彼女とは付き合って3ヶ月くらい経つ。
もうお互いの事を少しずつ知っていくのもいいと思うのだが。
彼女は、前の関係と同じで歩み寄って来ない。
俺と彼女は交際する前、ただの男女の仲だった。
趣味が合うことに話が出来て。
そんな関係をしていくつか経った時、俺から告白をした。
そうして、今の恋人という立ち位置がある。
最初の方は、まだ慣れないというのはわかるが……もう3ヶ月。
抱きしめるはおろか、手を繋いだことも無い。
なんなら、好きだって最後に言ったのは告白の時以来か……?
俺は頭を抱えた。ここまで何もしないとなると、もはや不安になってくる。
もしかして、俺に問題があるのだろうか。俺が不安に思わせるような事をしていたとか?
そんなことをした記憶は無いが、聞いてみるのが早いだろう。
全て杞憂だと言うことを証明してみせる。
俺は覚悟を少し決め、隣にいる彼女に声をかけた。
何かあったのか、おれに何か不安があるのか。
問う。怒っているつもりでは無いが、そう聞こえたら嫌なので俺は優しく問う。
すると、彼女は一瞬ピクりと眉を釣り上げ、こちらを見た。が――
別に、何も無い。そう淡白に返すと何事も無かったかのようにスマホに目線を移した。
これはそろそろ嫌われてる?さすがの俺も一瞬泣きそうになった。
そっか、そう呟くように俺も視線を逸らした。窓を不意に見ると、雨がポツポツと降り始めてきていた。
時間的にはもう夜遅いが、真っ黒な空と透明な雨が、容赦なく降ってきた。
俺はただ、それを無言で見ていた。
突如、ドーンと音がする。地を這うような音が響き、家を包んだ。
雷か、洗濯物部屋に入れて置いて正解だったな。そう今の気持ちと合わない事を考えた。
雨は徐々に酷くなってきて、雷の音も大きくなっていく。
やばいな、と思った刹那――
ぴか、と壁とは違う真っ白が窓を覆う。直後今までと比較にならない雷鳴が轟いた。
雷の明かりが光る代償に、部屋が真っ暗になった。
あ、停電。
俺は下ろしていた腰を上げ、恐らく近くにいるであろう彼女に声掛けた。大丈夫?そこにいる?と聞いた。
近くにいる君は、うん、といつもと変わらないようにそう言った。
良かった、と俺は安心するとブレーカーをつけに玄関へと向かう。
近くにあったスマホを手に取り、ライトをつけ足元に気を付けながら歩き出そうとした。
が、足元に何か温かみを感じる。
ふと、ライトをそこに照らすと、目を疑う光景が映った。
彼女が、俺の足にしがみついているのだ。
俺は突然のことに困惑した。甘えることを一切しなかった君が、なぜ。
俺が動揺していると、ぼそり、と彼女が一言。
「行かないで」
あまりにもか細くて、細くて、震えていた。
いつもと違う一面に俺は、どう反応すればいいか分からなかった。
でも。今はそんな事言ってる場合じゃない。
今は、君を安心させるためにここにいよう。
俺はスマホの電源を消し、小さくて丸まっている彼女の近くに座って、背中を撫でた。
大丈夫、大丈夫。俺はここにいる。
帰る時間が……と呟く君に俺は、首を振った。
このままだと帰れなさそうだし、もう少しだけここにいてもいい?
俺は、降りしきる雨が見える窓をちらりと見た。
どうか、もう少しだけ降ってくれないか。
そうすれば、新たな一面を見せてくれた君のそばにいれる。もう少しだけ、このままでいて欲しい。
どうか、時間よ止まってくれないか。
帰らなければならない。その事実は変わらない。
でも、まだ君とそばにいたいんだ。
今を、閉じ込めてしまいたい。
命が燃え尽きるまで
最初は、何が始まりだったんだろう。
ただ、言われた通りの道を進んで、空気を読んで。
何も考えず、何も感じずに。
生きる意味なんて無い。ただ相手に印象がつけばそれでいいと思っていた。
そうやって、自分を覆い隠して数年。
消えかけた自分の意思を、
感情を
主張も
貴女が、灯してくれた。
娘が生まれた、彼女の世話をしばらく頼む。
そう頼まれ、迎え出てきたのは、人形のように整った顔立ちの女の子だった。
今までも年頃の女の子の世話を任されていたから、今回特に動揺した、ということは無かったが、
貴女は、私を見つけてくれた。
私は、自分の意思を言うことができない。
貴女は、一緒に考えてくれた。
遊びをする、勉強するにしても、私のことを最大限に優先してくれた。
私は、貴女が楽しければ、あとはなんでもいいと本当に思った。
貴女は、一緒に歩いてくれた。
私がどれだけ完璧な対応をしても、貴女は私の不調を見つけてくれた。そして、十分なくらいの休みを与えてくれた。
嬉しい時は一緒に喜んでくれた。
貴女は、寄り添ってくれた。
私が、幼い頃から雷が苦手だと言ったある夜のこと。
私と貴女、2人で雷雨を過ごした時。
家が停電した時。貴女はそばで抱きしめてくれた。
貴女も本当は震えていたのに。泣くのを我慢してそばにいてくれた。
全部、全部。
私は貴女の召使いなのに。
貴女より身分は下なのに。
もっと邪険に扱ってもいいのに。
貴女は私を大切にしてくれた。
貴女といれば、心が暖かくなる気がした。
でも最近は、貴女といなくても心が暖かい。
それはきっと、貴女が私に灯してくれたから。
何にも興味が湧かなかった私を、情熱的にしてくれたから。
この感情は、恋とか、愛とか、そんな言葉じゃ表せられない。
いま私は、この仕事の他に美容師を営んでいる。
貴女の髪を結う度に、心揺れる感覚があった。
それを貴女に話せば「興味があるんだよ」と笑ってくれた。
それ以来、資格を取る為にコツコツ勉強して、この間髪の毛を切ることが出来た。
貴女のおかげです。お嬢様。
貴女のおかげで、自分らしい自分が、わかった気がした。
貴女のおかげで、私の意思が分かった。
貴女のおかげで、好きなものがわかった。
お返ししたい。この恩を。一生かけて。
私は、この命をかけ、この思いが燃え尽きるまで。
あなたのおそばに、いさせてください。
そう願った思いを眠る貴女の手を両手で握り、伝わりますように、と願って、次に目覚めるのを待った。
次は、「おはようございます、お嬢様」と笑って言おう。
……いや、意識せずとも笑えているか。
カレンダー
1日、2日、3日。日が過ぎていく度にバツがつけられていく。しかしそれは、自分を追い詰めていくための印では無い。
待ち遠しい日までの、カウントダウンだ。あと数日経てば、君に会える。
君とは、家までがすごく遠くて、簡単に行ける距離では無い。学校の教室で会うあの瞬間だけが僕にとっての楽しみだった。
だがお互い学校を卒業し、各々の道へ進み始め、会うことが難しくなった。
たまに電話で話したりすることはあるが……電話越しから聞こえる声と直接聞く声は、全然違くて。
余計、会いたくなる気持ちが加速するだけだった。
この日なら空いてる。そう言われて僕もスマホのスケジュール機能を開く。その時の空白ほど、喜ばしいものはなかった。
それから、その日のためにたくさんのことを決めた。待ち合わせ場所、時間、どこへ行くか、何をするか。
電話越しから聞こえる楽しそうな声。僕も思わず綻んでしまう。
会えるまで1ヶ月。2週間。1週間。3日前。
その日までの日付を見るために、何回ペンでばつをつけただろう。
でも、あと少し。僕はあと何個か隣にある数字の配列を指で少し撫でた。
途端、スマホから着信音が聞こえる。
この時間帯にかけてくるのは、君だけだ。窓の外を除けば、もう空が赤く染まり初めて来ていた。
僕は、そっと電話をとる。いつものように「もしもし」と話し始める。
あと少しだね、可愛い服着ていくね。楽しみだね。優しくて、でも幼さも混じった声がスピーカーから流れてくる。
僕も、同じ気持ちだ。そうだねと頷く。そこから、他愛もない話を続けた。
やがて、話を切り上げるとなった時、彼女は言った。
「遊ぶの終わったら、楽しかったこと共有しようね。」
僕はハッとした。今まで遊ぶ当日だけを楽しみにしていたが、終わったあとのことを、考えてなかった。
僕は、待ち遠しい数字の右隣りの数字も見る。
そうか、この日から楽しかったことを共有できる。今までのことも、これからの事も。
そうだね、僕は噛み締めるようにそう告げた。
待ち遠しい日まであと2日。新しい幸せを共有できるまであと3日。
また、新しい楽しみが、しかも2日連続で来る。
喪失感
幼い頃から投げられた、言葉の刃。
つまらない、出来損ない、愚か者。
成長して、与えられた使命感。
真面目な子になれ、愛嬌良くなれ、完璧にな子になれ、統率を取れる人間になれ。
それが私の生きる理由だった。それしか、認めてもらえなかったから。
つい数ヶ月前、の話だが。
周囲の人間が、私を取り巻く環境に気付いてくれて、今私は施設にいる。
周りの大人達は、私を責めることは無く、よく褒めてくれた。
友達はあまりいる方じゃないけど、よくお話する子はいるし、その子と話す時は楽しい。
私は、前よりのびのびと暮らせるようになった。
今なら分かる。あの環境がどれだけ非道だったのかということを。
その道から外れる喪失感は、とても甘美に思えた。
それだけなら、どんなに良かったか。
たまに、私の過去が私を蝕む。
本当にこのままでいいのか。
お前の本当の使命は、忘れたのか。
――出来損ないが。
その度に、完璧にならなくては、良い人にならなければ。そう焦る時がある。
私の大半は、あの環境で育ってきた。
つまり、私の考えは、行動のほとんどはあそこの人達によって作られ、与えられ、それらを抱えてここまで生きてきたのだ。
それが無くなった今、私はなくなってしまったのではないか。
それなら、本当の私とは一体――?
非道から外れて進んでいく道はあるはずのものもなく、途方もない喪失感に襲われた。
「あ……」
ぐしゃり。窓から外の道路を眺めていると、不意に、何かがつぶれた音がした。
それは、あとに残った残骸で分かった。
――鳥が、車に轢かれたんだ。
残ったかけらは、あまりにも酷くて。
とても、言葉に表せられない。
私は、走って部屋を抜け、そのまま先程の道路まで駆けつける。大人にバレない裏道なら、もう何度も通ってる。
道路はそこから近い。
大人の人にもらったゴム手袋をつけ、私は鳥のそばで近付いた。
そっと、これ以上壊れないように鳥を持ち上げ、歩道の人が居ないところまで連れてきて、そのまま地面に置いた。
私は、この鳥に深い思い入れがあるわけじゃない。
でも、足元につけられた、跡形もなくなったリボンで分かった。この子は、ぴーちゃんだ。
ぴーちゃんは、私がここの施設にきた時に出会った。
友達と外で遊んでる時、よくここに遊びに来る鳥がいて。仲良くなりたくて、目印になるようにリボンをつけた。
その子が、ぴーちゃんだ。
そのぴーちゃんが、たったこれだけの事で。こんな姿になった。
私は、何も言わずに、手袋をゴミ箱に捨て、さっきよりゆっくり施設に戻った。
戻った時、友達とすれ違った。
「どこ行ってたの?」
その子が私に問う。
「あのね、ぴーちゃん、車に轢かれて死んじゃった」
そう言った時、目から涙が伝ってきた。
「え?ぴーちゃん……え?」
友達は私が突然泣いたのを驚いて、ポケットから勢いよくハンカチを取り出した。
「なんで、泣いてるの?ぴーちゃん、死んじゃったの?なんで?どうして……」
「ぴーちゃん……」
ぴーちゃんが死んだ。
その事実を言葉にしてみると、なんだか、心の中がすっぽり空くような感覚がした。
あんなにも、あっさり死んじゃうなんて。
私は、心にある何かを奪われたような気がして。
それがあまりに勢いよく、代償として涙が溢れている。まるで瘡蓋を取ったみたいだ。
でも、同時に。
これが、あの環境から抜け出した、本当の私がわかる1つの情報となるのなら。
なんて皮肉なんだろう。私は何故か満たされた気がした。
世界に一つだけ
木の格子から差し込む暗闇。 僅かに聞こえる虫の声。
少し座る位置をずらすとぎしっと音を立てる木の床。
着物の袖口から入り込む冷たい風。
あの日から何日経ったか。私はもう忘れてしまった。
この村のために、神の元へ迎え。そう村長から告げられ、突然この小屋に入れられた。
明日は、その神様という人の元へ向かう日。
もう何も、悔やむことなど無い。
全て諦めてしまった私に、思い残すことなど無いのだ。
私は、神様の元へ向かうという仕事をまっとうするだけ。
ただ、強いて言うなら、あの女の子だろうか。
いつの日か、深夜に彼女は私の小屋の高い格子から顔を覗かせて、よく話をしてくれた。
毎晩。それも見張りが居ない深夜に。
彼女と話す時だけは、満月のように満ちた気持ちだった。
そんな彼女を、置いていくことだけが不安だ。
私は、今日も彼女が来るのを、いつものあの格子の近くで待っていた。
「よっ!今日も来ちゃった。」
草むらから、ガサガサと音が鳴るのが徐々に近付くと、トン。と小屋の天井が揺れる。
格子に、彼女の姿がうつった。
「毎日、飽きずにここに来るよね。」
「そりゃあ、あんたと話すの好きなんだもん。」
太陽のような明るい声。身なりからわかる彼女の身分の高さ。
私には勿体ないくらいだ。
「ねえ、あのね」
「ん?」
私は、彼女にいつもの口調で伝えた。
「明日、私行くんだ。」
「行くって……え」
彼女の顔がぴしりと固まる。
「行くって……その……神様の元へ?」
「うん。」
彼女は苦しそうな顔をした。なんで、そんな顔をするんだろう。
別に、貴方が神の元へ行く訳じゃないのに。
「ねえ……」
「ん?」
しばらくして、彼女から口を開いた。
「……ねえ、逃げようと思わないの」
それは、疑問ではなく、圧が少し籠ったような言い方だった。
「うん。」
「どうして」
怖くないの、そう聞いてくる彼女の声は震えていた。
「……この役割は、私にしかできないから。」
だから、怖いもない。そう呟くと、
「っ、何言ってんのよ!!」
彼女は突然、隙間から腕を伸ばして、私の手を掴んだ。
冷たく赤切れた私の手とは違って、彼女の手は温かい。
「仮にあんたが神の元へ行っても、来年も、きっと、同じような子が来るわよ!!」
あんたが死んでも、きっと、あんたの代わりなんていくらでもいるのよ。
それは、怒っていたのか。それとも泣いていたのか。私には分からなかった。
「でも……私には、あんたしかいないのよ。私、まともに友達がいないの。ちゃんと話せるの、あんたぐらいしかいないのよ……」
だから、と今にも消えそうな声で
「……神様の元へ行くのなんて、やめてよ……」
彼女は、腕を震わせていた。
私は、父も母も嫌いだった。
人の事は悪く言うし、金目のものに目がない。
いつでもジャラジャラとしていて。怒る時は、そのからだを震わせて私に怒鳴っていた。
私はそんな人になりたくなかった。
自分から欲しがることはしなかった。学校でも、人とつるまなかった。
結果、私は自分の意思がない子と思われ、冷たい人間だと言われた。
別に、それで構わない。
少なくとも、自分の事を話して満たせる人と、関わりたくなかったから。
あるとき、あまりにも嫌気がさして。家から飛び出した。
その道中、小さな小屋を見つけた。私はお嬢様だが、人一倍身体能力が高い。
屋根までそう高くは無い。隙間から除けば私と同じくらいの女の子がいた。
ただ、髪はボロボロで、細くて、あまりにも白い。
最初は、ただの面白半分でその子に話しかけた。
幽霊だとしたら、それはそれで面白いな。と。それだけ。
ただ、私の話をしっかり聞いてくれて、自慢を一切しない。
謙虚で、優しい子。
そんな子が神の元へ行く――死ぬという事を。人々から勝手に決められ、それを受け入れている理不尽さに嫌気が差した。
自分の位は高いのに、それを利用してこの子を救えない事に腹が立つ。
でも、だからといって私とて諦めるわけない。
私は、今自分が持っているありとあらゆる衣装、アクセサリーを持ち出す。
明日、私はこれを全て着飾る。マントさえ被れば、もう誰か分からないだろう。
明日、私が神になろう。
そして、友達を迎えに行きましょう。
世界で1人の私の友達。
あなた以外にあと何も望まない。
これが、自己満足だったとしても。
明日は彼女を確実に助けてみせる。
そう誓った。