『いつまでも捨てられないもの』
その子は、私の大切なおともだち。
やわらかく、あたたかな色をしていた貴方。いつも撫でていたその毛並みは、気付けばすっかり色あせて、毛先も少し乱れている。
毎日抱きしめて眠った貴方のふわふわな体も、今となっては綿が縮んでくったりとくたびれていた。
貴方ってこんなにも小さかったっけ?
昔はからだいっぱいに貴方を抱きしめていたというのに。
いつの間にか私の背はグングン伸びて、貴方との距離も遠ざかってしまったみたい。
私が彼との新居に引っ越す時も、貴方はお留守番だった。…真っ暗な部屋の中で、貴方は一体何を思っていたのかな。
だから、まだ幼い娘にぎゅっと抱きしめられている貴方を見たとき、なんだか泣きそうになってしまったの。
お母さんが孫の為にと洗ってくれた貴方。なんだか目がくりくりしていて、随分さっぱりしているみたい。娘はそんな貴方を腕をめいいっぱい伸ばして抱きしめていた。
その光景が愛おしくて、胸がぎゅっとなる。
───ねぇ、その子はね。ママの大切なおともだちなの。ママが寂しいとき、楽しいとき。いつもママと一緒にいてくれた優しい子。
だから今度は、あなたがこの子の新しいおともだちになってあげてほしいの。めいいっぱい、その子を抱きしめてあげて。大切にしてあげて。愛してあげて。
だってその子は、いつまでだってママの大好きなおともだちなんだから。
『夜の海』
その日だけは、私のまわりに花々が咲き誇る。
ここ最近、太陽がまた一段と眩しく私を照りつけてくる。照らされた私はキラキラと波間を輝かせ、サザン、ザザンと音をたてながらのんびりと高い空と眩い太陽を眺めて過ごす。
私は、そんなこの季節が一等好きだ。
太陽が空高く登り始めた頃、ちらほらと人間達が私の元へとやってきた。頭上の太陽に負けないほど、その顔は皆が皆全員キラキラと輝いている。そんな彼らの様子がどうにも微笑ましく、嬉しくなって、思わず私は普段より少し高めに波を起こした。キャーっと人間達がはしゃぐ声が聞こえる。私はますます楽しくなって、波をザザーン!と、思い切り浜辺へ打ち付けて笑うのが、この頃の定番だ。
この季節の昼間は、一年で一番騒がしい。
多くの人間が、涼を求めて私の元を訪れるからだ。普段、太陽と二人きりで過ごしている私としては沢山のお客様が来たようで自然とワクワクしてしまう。思わずおもてなしにも力が入ってしまうというものだ。波が多少高くなってしまうのは、勘弁してもらいたい。
それでも、太陽が沈み闇が空を覆うころにはあれほどいたお客様達は誰も居なくなってしまう。昼間、キャッキャと笑い声に溢れていたはずの砂浜はザザン、ザザンと私の波の音が響くばかり。
…孤独を強く感じるこの季節の夜が、私は少しだけ苦手だった。
だが、今夜だけは特別だ。
本来であれば誰も居ないはずの真っ暗な砂浜には、所狭しと人間達が座りこんでいる。暗くてまともな明かりは無いというのに、皆その瞳には昼間のようにキラキラとした光が浮かんでいた。空気も、静けさなんて何処にもない。フワフワとそのまま夜空に昇っていってしまいそうな程、浮き足立っている。
ヒュ~~~………ドーン!!!
大きな音がしたかと思うと、私の頭上に大きな光の花が咲いていた。途端、わぁ!っと感嘆の声を上げる人間達。音はその後も続けてドンドンと響き渡り、その度に暗い夜空が光で溢れるようだった。
ドーンと音が鳴る度に、空に大輪の花が咲く。
花が咲けば、人間達の笑顔もまた次々と咲いていく。
この特別な夜は、孤独なはずの砂浜を、あっという間に笑顔の花畑へと変えてしまうのだ。
この瞬間がたまらなく愛おしい。真っ暗闇な私の周りで、沢山の花が咲く。ひとりぼっちの私を照らしてくれる。
───寂しがり屋のこの夜の海だって笑顔になれる。眩しい花畑に、囲まれて
『君の奏でる音楽』
気が付くと、君の音を奏でてる。
物心ついた時には、もう私の隣には君がいた。そんな気がする程、私と君はずっと一緒だった。幼稚園も、小学校も、中学校も。だから高校生になったら、放課後制服を着たまま隣町まで出かけていって、一緒に可愛いクレープなんか食べに行くんだって、疑いもしてなかった。
教室の窓の向こうをぼんやりと見詰める。校庭に沿って植えられた桜はふっくらと色づいて、私たちの旅立ちを見送っているかのように見えた。その下で胸元に花を咲かせた同級生達が、桜をバックに笑って写真を撮っている。
~~~~♪
最近よくCMで流れてくる曲だ。でも、音程がちょっと外れてる。そう、これは君の鼻歌。君はちょっぴり音痴だから、どんなに有名な曲でも歌うとちょっとだけ音を外してしまうんだ。昔から変わらない、君の癖。
…ごめんね。話したいことがある、なんて呼びつけておいて、当の私はずっとぼんやり窓の向こうを眺めたまま、今も何も言えないでいる。だからこの鼻歌は、きっと君からのメッセージ。
大丈夫。
焦らなくて良いよ。
貴方が話したいときに話して欲しい。
…それくらい分かるよ。だって、ずっと一緒だったんだもん。私はこのちょっと音の外れた鼻歌を聴くのが好きだ。この鼻歌みたいに優しい君が大好き。
歌に背中を押されるようにして、教室を振り返る。目の前には、桜みたいにやわらかく笑う君。
「私、遠くに引っ越すの。」
ああ ──── やっと言えた。
君がいない街で暮らすようになってからも、君との親好は変わらなかった。だってこんな時代だ。LINEもあるし、ネットに繋げばゲームだって一緒に出来ちゃう。
でも時々、空っぽになった隣がどうしようもなく寂しいときはやっぱりあって。…そんなときは、気が付くと君の音を奏でてる。新しくできた友達には、音外れてるじゃんなんて、笑われちゃうけど。でも、この音でいいんだ。
私の大好きな君の奏でる音だもの。
『麦わら帽子』
青空と緑の海と小麦色の麦わら帽子。夏になると絵画のようなこの色彩を君と思い出す。
里帰りだと両親に連れてこられた片田舎。
ゲームばっかりしていた俺は、何も無い田舎道をポツポツと歩いていた。母さんめ…今時の都会っ子に田舎で外遊びなんて、無理ゲー過ぎる。どう遊べばいいのかすらまったく分からないのに。
まぁ、テキトーにぶらついて時間を潰すか。なんて考え無しに俺はとりあえず気の向くままに足を動かしているのだ。
しばらく歩いていると俺の体にビュウっと風が降りかかった。釣られて顔を横に向ける。と、そこにはボウボウに伸びた野原の草がまるで波のようにザアザアと揺れていた。
ぼうっとそのまま草の海を眺める。何も無い田舎道の中、大きく広がるその海になんとなく目が奪われた。
と、一層強い風が俺の顔を打ち付けた。思わず目をつぶる。風は一瞬で俺の体を通り過ぎたかと思うと後ろの野山に勢いよく駆けていった。
ザザア、ザザア。まるで本物の海みたいな波の音に誘われて、閉じていた瞼を上げる。一瞬視界に日の光が溢れた。かと思うと、目の前には雲ひとつ無い真っ青な空と、その下にどこまでも続く緑の海がある。
ふと、青い空に一匹の蝶が舞っているのに気が付いた。小麦色で、つけられた真っ赤なリボンが風に煽られ、ひらひらと靡いている。ゆらゆらと空から落ちてくるそれは、蝶ではなく可愛らしい麦わら帽子だった。
突き抜けるような青い空
ザアザア揺れる緑の海
ふわりふわりと舞い降りてくる麦わら帽子。
まるで絵の中のような風景に一瞬息をのむ。
羽のように俺の足下に落ちた麦わら帽子を、俺は気が付いたら拾っていた。
…この数分後に、俺は息を切らして帽子を探す君と出会うことになる。
絵画みたいな、この色彩の中で。それは、夏に必ず思い出す俺達の一番色鮮やかな記憶だった。
『上手くいかなくたっていい』
気に食わない女がいる。
品行方正、文武両道。誰にでも親切で、いつもクラスの中心にいる学級委員長様。…まるで漫画かアニメのキャラクターかよっていうほど、“完璧”な女。
そんなヤツと俺は家が隣同士の、いわゆる幼なじみというやつだった。ありがた迷惑なことに、ちょうど同い年だったもんだから幼い頃はよく一緒に遊ばされたものだ。
…幼い記憶の中にいるアイツは、“完璧”とはほど遠い。
春に両家で花見に行くと、アイツは桜なんて目もくれず公園で走り回ってすっころび、
夏になると、暑さに辟易している俺の腕を無理やり引っ掴んで、虫取り網と虫かご片手に近所の野原を連れ回され、
秋には大量に集めたひっつき虫を、きゃらきゃらと笑いながらぽーんっとこっちに投げて俺の服へとひっつけてきた。
冬ともなれば、雪が積もった途端に外へと駆け出し、俺と一緒に真っ白な雪へダイブするのがアイツの定番だった。
幼い頃の記憶には、今でもそんなアイツの姿が焼き付いている。
…アイツが変わったのは、小学校四年生の冬頃。病気でアイツの母親が入院し、それを補う為に父親も夜遅くまで働くようになってからだ。
うちの両親はそんなお隣さんを見て、父親が帰ってくるまでアイツをうちで預かると申し出たのだ。アイツの親父さんは申し訳なさそうに何度も頭を下げてお礼を言っていた。そんな中、アイツは親父さんの袖口をぎゅっと握ったかと思うとすぐに離して、
「私はいい子で待ってるから、パパもお仕事頑張ってね!」
と、にっこり笑っていたのをよく覚えている。
そこからだ。アイツがいかにも優等生になっていったのは。まず、俺を無理やり引っ張って連れ回すことがなくなった。無闇矢鱈に外を駆けずり回ることはしないで、放課後は大人しく俺の部屋で一緒にノートを広げるようになった。
そんなアイツがどうにも俺には気持ち悪くて、一度だけアイツに聞いてみたことがある。
「急にどうしたんだ、何かヘンなものでも食べたのか?」
怒って欲しかった。いつもみたいに、バカにしないでよ!なんて言って俺に向かってきて欲しかった。
でもアイツは、俯いてカリカリとノートに鉛筆を走らせたまま、ただ一言、
「ママとパパを心配させたくないの。二人が安心出来るように私、いい子になる。」
なんて、今まで聞いたこともないようなか細い声で答えただけだった。
俺は、そんなアイツの姿に何も言えなかった。ただ黙って、アイツと同じように宿題の続きをするしかなかった。
あれから何年か立ち、俺もアイツももう高校生になった。今でもアイツは、“完璧”な優等生だ。うちに来て一緒にノートを広げることは、もうないけれど。
俺はあの“完璧”な優等生が気に食わない。アイツが優等生になる為に死ぬほど努力したのはよく知っている。その努力も、アイツの想いも、否定するつもりはない。でも、それでも。俺はアイツに一言言ってやりたいのだ。
「上手くいかなくたっていいんだ。たまには愚痴のひとつくらい零してみせろ。」
今度こそ、俺はアイツに伝えたいんだ。