もう何年も泣くことが無かったので、はじめ涙だとわからなかった。涙とわかって驚いた。呆然と。まじまじと。何か夢でも見ていたのだろうが、夢を見ていた記憶すらなく、数年分の現実の上では自分の身に起こらなかった何かに夢の中でおもいきり揺さぶられたのであろうことに軽く感動した。しかし朝に涙は不釣り合いのように思えたし、いつまでもこうしている暇はなかったので、直ちに洗面所に向かって普段通りに顔を洗った。鏡に飛沫がはねたのをそのままに、今日の支度を優先した。
ふくらむものが見えた。なんだろうと思い近づくと、それはさらにふくらんだ。この場所で、それとぼくだけが生きていた。生き残りのようでも、生まれたてのようでもあった。下り坂なのに、上り坂みたいに見えたのは、向こうに山があるせいだった。山は山らしく緑色で、ぼくはぼくっぽくない青色を着ていた。晴れすぎていたから何も気にしていなかったけれど、ふくらむものがまたひとまわりふくらんだのを、こわいと思った。しだいにじぶんの心臓までふくらんでゆくので、逃げなければ、と青色をくしゅっと握りしめた。全力疾走でひきかえし、坂をのぼった。背中でうなるような音がきこえ、しばらくぼくをはなさなかった。
真っ直ぐに見つめていた目は、上下左右に気を取られ、背後や他者の目を気にするあまり、夢中になりそびれた。たばこ屋のお婆さん、高速自転車の中高生、野球のユニフォームを着たおじさん、ジャージ姿の先生、ジャングルジムのてっぺんの双子。つぎつぎと目に入ってくるものもの。目だけが忙しく、気持ちや思考はついていかなかった。死んだ蜂の黒と黄色に、水たまりに浮いた油に、真っ直ぐすぎる道に。圧倒されるばかりで、手も足もでない世界を、遠ざけ遠ざかれされるうちに、あの子ともいつしかサヨナラしていた。
たとえば、表参道の緑色と灰色。それに小樽のうす紫と白、明洞の赤茶色と黄色。あのまちを思い出すとき、まず浮かぶ配色がある。それはぼんやりした印象に過ぎないけれど、鼻のきかない私にとって、記憶の再生には欠かせないものだ。
その姿を見たときは焦りました。なんでここにいるのと思いました。引っ越したのに、3年も経つのに、平日の真っ昼間なのに、体を鍛える奴らのことをあんなにも馬鹿にしてたのに、どうして、やばい、バレる、とタオルで顔の右半分をおおいました。だれかと一緒なのでしょうか。ひとりだったらなんなのでしょうか。声は聞こえてきませんでした。さっきまでとは違う汗が背なかをつたい、熱い、寒い。冷静になる必要がありました。更衣室やトイレにひとまず逃げこむのは危険なことのように思いました。目が合ってしまうのもいけませんが、その姿を確認できなくなるのも得策ではありませんでした。左側の大鏡になにかが一瞬反射したような気がしました。でも気づいたのです。3年前よりだいぶん太ったので後ろ姿ではきっと気づかれないだろうと思いました。それからは漕ぎました。ひたすら漕ぎました。引っ越しする前の町までの距離を余裕でこえました。