「いよいよ結婚かー」
伸びをしながら、彼女は夕暮れを歩く
「結婚式の前日に男と2人で歩いていいのかよ?」
「大丈夫大丈夫、彼その辺寛大だし。それに私を寝盗る度胸なんてないでしょ?」
僕は何も言わない。
「ねぇ、幼馴染の結婚前夜ってどんな気分?」
こっちの気も知らないで、無邪気にそう尋ねてくる。
「別に普通だよ」
何も変わらない。普通の1日。そのはずだ。
「ふーん」
彼女はつまんなそうに前を向く。少し先を歩く背中。なぜか話しかけるのを躊躇ってしまう。
「そっちこそどうなんだよ? 緊張とかするものなんじゃないの?」
「……してるよ」
歩みを止め、真顔で振り返った。真っ直ぐこっちを見つめる目に、一瞬ドキッとする。
「また向こうの親に会うのも正直嫌だし、挨拶とか段取りとか覚えること多いし、ドレスちゃんと着れるかどうかもわかんないし……」
堰を切ったように愚痴が漏れ出す。きっと、誰にも言えなかったんだろう。自分にだけ明かしてくれたことを喜ぶべきなのか、いまいちわからない。
「だからさ、君といる時くらいは、いつもの自分でいたかったんだ」
気付けば家の前に着いていた。何度も行ったことのある彼女の家が、なんだかよそよそしく見える。
「じゃあ、また明日。私の晴れ舞台、ちゃんと見ててね」
なんて返事したかは覚えていない。上の空で家に戻り、自室に上がった。たった独り。
暗い部屋が涙で滲んでいく。何で泣いてるのか、自分でもわからない。わかりたくなかった。
『涙の理由』
「クソッ! 埒が明かねえ!」
銃弾の飛び交う戦場。敵地で逃げ場のない籠城戦。敵は増え続け、とうとう最終ラインまで追い込まれていた。
「文句言う暇があるんなら、一発でも多く当てろヘタクソ」
上官は気楽なもんだ。こんな状況なのに、ゆったり椅子に座って地図を見てる。もう作戦も何もない。
「一点突破しましょう! 俺が道を作ります。その隙に少しでも多く脱出を!」
「どこに逃げるって言うんだよ? ここは敵地のど真ん中だぞ。戦場が変わるだけだ」
「じゃあここで撃たれるのを待ってろって言うんですか⁉︎」
「今考えてる」
「なるべく早くお願いしますよ!」
最終防衛ラインという危機感、地の利の有利など、ここ一点だけを見れば戦局は悪くない。しかし時間の問題だろう。敵は物資も人員も補充し放題だ。ゆっくり囲って、煮るなり焼くなり好きにすればいい。
もうここまでか。
頭の片隅でぼんやりとそんな考えが浮かぶ。息子に、一目会いたかったな。
その時、敵軍の中心辺りで爆発が起こった。なんだ?事故か?
上空に航空機が飛んでいた。爆撃が始まる。敵は大混乱だ。
「よーし、あと少しだ! 死ぬんじゃねえぞ!」
上官はようやく椅子から立ち上がり、防衛ラインの指揮を取りはじめた。
「これ知ってたんですか⁉︎」
「当たり前だろ。他に誰が空軍動かせんだよ?」
「じゃあ…さっきまでの余裕っぷりは…」
「どうせ最終ラインまでは捨てる前提だったからな。俺の仕事はなかったし、束の間の休憩だよ」
ここまでに死んでいった仲間、俺たちの必死の敗走。それらは全て無意味だった。その事実に怒りを覚える。
「おら!ボサっとすんな! 敵さん来てるぞ」
爆撃を乗り越え、数人の部隊がこっちに向かってくる。
どうなろうと構わない。後で絶対にぶん殴ってやる。そう思いながら俺はまた弾を撃ち始めた。
『束の間の休憩』
「開きっこないよ」
5分。ジャムの瓶が僕をKOするまでにかかった時間だ。お土産の名産品に高級ジャムを貰ったのが先月のこと。母の勿体ない精神が発動し、中々使わせてもらえなかった。賞味期限が切れてしまっては逆に申し訳ないだろうと、やっと説得したのが昨日のこと。今朝は珍しく美味い朝食が食べられると思った。それなのに……
「開かない筈ないでしょ?もっと頭を使ってよ」
テーブルで仕事中の母は無責任にそう言う。もう一度捻ってみるが、瓶は固い要塞のままだ。手はヒリヒリ言って、実力の半分も出せない。とてもじゃないが開くとは思えない。
「ほら、貸して?」
ようやくキッチンに出てきた母は、瓶を掴んで力を込めると、いとも簡単に開けてしまった。
「どうやったの?」
僕が目を丸くして聞くと、母は意地悪そうに笑って
「コツがあるのよ」と言った。
「まだまだ一人前の男には程遠いわね」
「力だけが男の象徴なんて、感性が古いよ」
「そんなこと言うからモテないのよ」
パンが口に詰まった。母は優しく背中をたたきながら、咳き込む僕を面白そうに見てる。
「何でモテないってわかるんだよ」
母はニヤリと笑っている。
「あれ、ホントにモテないの?」
僕はもう何も言わなかった。
「さっさと食べちゃいなさい」
母はそう言ってまた仕事に戻る。まだまだ母には敵わない。
『力を込めて』
きっと明日も同じだろう。君を見る。話す。それなりに楽しく。それ以上でも以下でもない。関係を進めることもきっとできる。だけど怖い。君を失うのが。だからいつもと同じ。何でもないふりをする。友達みたいに、笑ってる
「ただいま」
答える者はいない。
「一人暮らしは危ないから」
始まりは母に言われて仕方なく。正直馬鹿げてると思ってる。外から見てもわかる。この広さで同棲は無理だ。引越しで貰った男用の下着も去年捨てた。訪ねてくる友達はいない。両親も遠くにいる。
私が死んだらどうなるのだろう。隣人が腐臭で気付くだろうか。両親が怪しんで様子を見にくるのが先かも。
素敵な人と出会って、恋をして家庭を持つ。思い描いていた未来は、画面の向こうにしか存在してなかった。多分この先も。
仕事に行って、帰ってくる。たまに外出。会話するのはスーパーのおばちゃんと、宅配便の人だけ。それが私の人生だ。
「いってきます」
今日も声をかける。誰もいない部屋に。
『静寂に包まれた部屋』