「来年もまた来ようね」
冷たい空気の中、今年初めての白い光に照らされた君の顔は、何よりも美しく見えた。
あれから、色々あった。
給料が上がった。ほんの少しだけど。あれだけ愚痴ってた仕事も、少しだけ楽しく思えるようになった。君が好きって言ってたから、服も靴も前のから少し変えた。大掃除のついでに、部屋もリニューアルした。ベッドも一人用に買い替えた。
報告したいことがたくさんある。他の誰かじゃ意味がないんだ。君だから話したいのに、君はそこにいてくれない。こんなこと言ったら、「しっかりしなさい」って笑って叱られそうだけど……
「まだ大変だけど、頑張ってる」
彼女の名前が刻まれた石に、そう語りかける。
「行ってくるよ」
石碑に背を向け、凍てつく空気の中を歩き出す。神社は人で賑わっている。家族連れ、カップル、学生グループ……
長い列を並び終え、遂に賽銭箱と対面する。ゆっくりと息を吐き、500円を投げ入れる。
「また来年、ここにいるみんなが参拝できますように」
『君と一緒に』
いい人でいたい。
去年、とある事があって意識高い系にジョブチェンした。
一挙手一投足、立ち居振る舞い、声の出し方、喋り方、会話の内容、メンタル面……
思いつく限りの全てに気を配り、理想の自分を体現した。
結果は意外と直ぐに現れた。世界の見え方が変わり、人との関係性も良くなった。毎日が充実して、生きてるって実感があった。
けどーーそれじゃあ足りない。
今の現状に満足して、ぬくぬくと暮らしていけば、また元の生活に逆戻りだ。
斜に構えて、燻って、腐ってく。そんな人生でもいいと思ってた。そう言い聞かせてた。けど、そうじゃなかった。自分で行動して、輝いて、人生を切り拓いていく楽しさを知ってしまった。もう、元には戻らない。
上を目指す。貪欲に、野心的に。周りの目なんてどうだっていい。周りの声なんてどうだっていい。自分ができる事、やりたい事、本当に望んでいたこと。心の中で小さく囁いていたその欲望こそが、何よりも信じるべきものだって気づいたから。
理想の自分を表現して、理想を描き変える。それをこの先一生続けていく。自分が大切にしたい人、大切にされたい人、そして何より明日の自分に誇れるように、一日一日を生きていきたい。
『今年の抱負』
「ねえ、24日って予定ある?」
「……ない」
デリカシーのない彼女の質問に素っ気なく答える。何を言われるのかは薄々察しがついてる。ここで浮かれるわけにはいかない。案の定、彼女の顔はパッと明るくなった。
「よかったぁ! じゃあさ、遊園地行かない?」
「いいよ……え?」
想定外の誘いに脳が処理落ちした。今のこの会話は果たして現実か?
「え、嫌だった……?」
彼女は上目遣いで不安そうにこちらを見ている。憎たらしいほどかわいいその仕草は狙ってやっているのか、それとも素なのか、わからない。
「いや、『シフト変わって』のお願いだと思ってたから……驚いて……」
ドギマギする胸を無視して、何とか平静を装って話す。彼女は頬を膨らませ、いかにもご立腹という感じで言った。
「私のこと何だと思ってるの?」
かわいい。
不覚にもそう思わされてしまった。
「ごめん、アイス奢るから、許して」
「やったー! じゃ7時に駅集合ね」
彼女の不機嫌は一瞬で吹き飛んだ。こちらの意見も聞かず、鼻歌を歌いながらどこかに行ってしまった。
まあ、いつものことか。
冬休みも、また彼女に振り回されることになりそうだ。
『冬休み』
何の装飾もない、グレーの細い毛糸で丁寧に織られた手ぶくろ。
きっと大切なものなのだろう。テーブルの上に丁寧に重ねて置いてあるから。まあ、忘れていったわけだけど。
店の外に目をやるが、それらしき人はいない。この寒空の下、大事な手ぶくろが無くなっていたら、すぐに気づいて戻ってくるだろう。そう思い、テーブルを片づけ始める。
ケーキが1皿に、コーヒー1杯。砂糖もミルクも手をつけていない。お皿は綺麗に保たれていて、食べカスも殆どない。美味しく頂いてくれたみたいだ。
食器を洗い場に流し込み、テーブルのセッティングが済もうかという頃、寒い風が入り込み、チリンチリンとベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔をあげながら反射的に接客モードに入る。
入ってきたのは、背の高い、シュッとしたお爺さんだった。綺麗に整えられた白髪、コートに身を包むその様は英国紳士のような印象を抱かせる。
「すみません、先程こちらで食事したのですが……」
「あ、手ぶくろですか?」
老人の顔が、パッと明るくなった。
「そうです! こちらに忘れていないかと思って!」
「すぐお持ちしますね」
レジの裏に回り、手ぶくろを手に取る。
「こちらでしょうか?」
「ああ、それです。妻がもう何年も前に編んでくれたもので……失くしたらなんと言われるか……」
口ではそう言いながらも、奥さんのことを話す彼はどことなく嬉しそうだった。
「見つかってよかったです。寒いのでお気をつけて」
手ぶくろを渡しながら、そう告げる。老人は頭を下げ、「ご親切にどうも」と言って街の中に消えていった。
「いい人だったなぁ」
彼が出ていった後、なんの気なしに呟いた。物腰柔らかく、丁寧で、愛情深い。あんな人間になりたい。そう思わせる、不思議な魅力があった。
『手ぶくろ』
高校2年生、文化祭。
私の人生最高の瞬間だと思ってた。仲間と力を合わせ、私の最大限を注ぎ込んで作品を完成させたあの喜びを、超えるものなんてこの先味わえないって、そう思ってた。
しかし今、20年を経てフィルム越しに見るその絵はとても稚拙に見える。色彩も粗いし、筆運びも雑だ。20年前の世界一の傑作も、本職の目にかかれば高校生のおままごとにしか見えない。
一生忘れないと思っていたあの時の歓びが、気付けば心の中から消えていった。もう二度と味わうことはないのだろうな。そう思いながら、そっと写真を棚の中に戻した。
『変わらないものはない』