幸楽苑のラーメンはやっぱりうまい。澄んだ醤油スープ、麺の喉越し。これぞザ・ラーメン。
「あれ、もしかして、ラーメン研究家の」
後ろで囁き声がする。俺のことを話していると分かったが、構わない。今はこの一杯に集中する。ずぞぞぞぞ。
「こだわりの一杯を追い求めて北は稚内、南は波照間島まで駆け抜けた、あの伝説の」
薄いチャーシューは噛みしめるたびに旨みが増し、ナルトの渦巻きは一度入ったら出られないラーメンの沼を表しているといわれる。いわれてない。今思いついた。
「冷静沈着、クールな評論家だと思ってたけど。あの人、あんなに美味そうに食べるんだ」
そして何より、この寒い中ですする熱い一杯!
「ッハーーーー!」
幸せは白く熱い息となって冬の空へのぼる。
【お題:幸せとは】
今年も実家からみかんが送られてきた。
一抱えもある段ボールはずしりと重く、開ける前からみかんの香り。
『今年はいっぱい美味しいのできたからね。これを食べれば風邪知らずだよ』
三日前に母から電話がかかってきた。電話口で母は自慢げだった。
そこで私は聞いてみたのである。
「お父さん、まだ怒ってる?」
『あー』
しばしの間。母は振り返って父の様子を伺っているようだった。
『大丈夫じゃない? お父さんもびっくりしたんじゃないの。あんたが急に彼氏を連れてくるから』
「その節はご迷惑をお掛けしました」
『本当は嬉しいんじゃない? 分かんないけどさ。なかなか良い人だったじゃない。まためげずに連れてきなよ。今度は一緒にご飯でも食べよう』
「……ありがと」
みかんの箱を開けると、薄暗い玄関に橙色の灯りが灯るようだった。
【お題:冬は一緒に】
「ミナ」
「なに」
「どうでもいい話して」
「どうでもいい話?」
「なんでもいいから」
「えーと」
萌乃の真剣な眼差しに戸惑う。私は彼女の冷えた手を温めるように包む。彼女は震えている。それは寒さだけじゃなくて。
「じゃあ、うまい棒が値上げした話とか」
「それは一大事だよ……」
「だよねえ」
「もっと。話して」
凍てつく風が、私たちの隙を吹き抜ける。
「えーと、私あの、めんたい味が好きだな。うまい棒なら。変だよね、本物の明太子は苦手なのにさ。萌乃は何味が好き?」
「……こんぽた」
今にも消え入りそうな声で、萌乃が会話を繋ぐ。
「そうなんだ。こんぽたも美味しいよね」
「いくらでもいける……」
「分かる。ね、いくらでもいけるよね。こないだラジオでさ、うまい棒一年分プレゼントとかやっててさ、一年分なら365本? でも一日一本で我慢できるとは思えないよね。一週間くらいで食べきっちゃったりして。食べ飽きちゃうかな。でもちっちゃい時から食べてたから、今さら飽きるなんて」
「飽きられたのかな、私」
私の手の上に涙が落ちる。萌乃の。
「なんでなのか、全然分からないの。なんでって聞いても、答えてくれないの。何でも話せる人だと思ってた。でも、そう思ってたのって、私だけだったのかな」
萌乃の胸のきしむ音が聞こえるようだった。
たまらなくなって、私は彼女を抱きしめる。糸が切れたように彼女は泣き出した。
「ずっと一緒にいられるって思ってたのに……!」
幼馴染に振られた彼女をなぐさめる言葉も見つからず、私はただ、彼女を抱きしめて温めることしかできなかった。
言い出すことなんてできなかった。
その幼馴染が昨日、私に好きだと言ってきたことなんて。
【お題:とりとめのない話】
よくあるよね、恋愛漫画とかで。
一人が風邪を引いちゃって、もう一方が家に来て看病して、そこでイチャイチャしたせいで結局もう一人の方に風邪移しちゃうやつ。
風邪なめんなって。
なんで熱出てるかって、体が危険を感じてウイルスを追い出そうとしてるからであって、それを恋愛のトキメキにすり替えてもらっちゃ困る。
熱だぞ。出てんだぞ熱。辛いんだよ。一刻も早く治したいんだよ。本当に恋人のことを思うならイチャついてないで放っておくでしょうよ。引いてる方だってこんなもの移したくないし。
なんてことを前に言ったせいで、理解のある彼は全く見舞いに来ない。LINEもよこさない。
「お大事に。これ以降連絡は控えるから、しっかり休んで」
今朝このメッセージが来て、それきり。
気絶のような眠りを細切れに繰り返しながら、起きたら夕焼け小焼けのチャイムが流れていた。冬の弱々しい日差しが、閉め切ったカーテンを鈍く光らせる。38℃。ぜんぜん下がらない。
もうちょっと連絡くれないかな。
弱りきった心でそんなことを思ってしまい、そんな自分に嫌気がさす。彼は私の希望に沿ってくれた。なのに今さらやっぱり寂しい、連絡が欲しいだなんて、自分勝手にもほどがある。
学校はホームルームが始まる頃だ。彼はいまどんな顔で、誰と、何を話しているんだろう。
もし愛子と話していたら? 私が学校に戻った時、彼と愛子が仲良くなっていたら。悪い子じゃない。でも。
彼と愛子が手を繋いで帰り道を歩いている姿を想像して、急にぼろぼろ涙が出てきた。
弱りすぎだろ、私。あほか。
茶化してみようとするも涙が止まらない。連絡がないのは、もしかして私を気遣ってるからじゃなくて、愛子に心が傾いたから? だめだ。自分の妄想で自滅してどうする。
着信音。
はっとしてスマホを手に取ると、メッセージが一件。
『ごめん。やっぱお見舞いに行ってもいい?』
心のうちで花が咲いたようだった。
ふふふ、へへへ、と笑いながらスマホに頬擦りする私は、ハタから見たら変人だ。
早く風邪を治して彼に会いたい。
【お題:風邪】
冷たい空っぽのタンブラーと、それからカフェの回数券。それらを私に差し出して、大男の彼はにこりと笑った。鼻と耳は赤く、外の寒さがうかがえる。
「いつものですか?」
彼はさらににっこり笑ってうなずく。
私は回数券をもぎる。
一枚一枚デザインが違うその回数券は、今はクリスマス仕様になっている。今日は赤いマフラーがリボンのように踊っていて、その両端には雪だるまが。二人で一本のマフラーをシェアしている。
マフラーの真ん中からちぎって、一方は店の、もう一方は彼の控えとなる。
ひんやりと冷たいタンブラーに、エスプレッソを注いでお湯で割る。
寒い冬には熱々のアメリカーノがよく合う。
【お題:愛を注いで】