書き留めておかなければ。眠りにつく前に。
枕元のメモ帳とペンをひっつかむ。スマホを懐中電灯モードにすると、まぶしさで一瞬目がくらんだ。
先ほど思い浮かんだアイデアを、半分寝ぼけた頭で書き殴る。別に作家ぶりたいわけではない。自分が天才だなんて思ってない、けれど思いついたものをこうして書いておかないと寝られないのだ。でないと、目を閉じたその暗闇の中でアイデアが無限に膨らみ続け寝るに寝られなくなる。だからメモ帳に書いて預けておく。
遠くで工事の音がする。国道の夜間工事が行われている。ダダダダ、ドドドド、硬いコンクリートに穴があいていく。自分の頭蓋骨も貫かれていくようだ。午前2時。意識と無意識の境界。生まれてこのかた暗闇で満たされていた己の頭の奥底には、何が眠っているのか。あるいはただの空洞か。
それを確かめるために私はペンを走らせる。ミミズの這うようなつたない文字で。
【お題:眠りにつく前に】
ココロオドル、という名前の香水を買った。香水なんて興味なかったし、自分が買うなんて思ってもみなかった。
ハートのような曲線の、逆三角形の瓶。その中に透明なピンク色の液体が入っている。
指ではじいてみる。液面がゆらりと揺れる。
【お題:ココロオドル】
今すれ違ったのって、まさか。
振り返ると、グレーのコートを着たその後ろ姿が歩いていくのが見えた。人混みに紛れてしまいそうで、私は慌てて追いかける。
まさか、雪斗くん?
小学生の時に私がずっと思いを寄せていた、あの人ではなかったか。別々の中学校に進学し、風の噂では国立の有名大学へ進学したらしいけど。
最後に会ったのは小学校の卒業式の時だから、もう10年は会っていない。年末だから地元に帰って来ているのだろうか。
背丈はずいぶん伸びたけど、歩き方や、首のホクロ、髪の毛のはねる形は小学生の頃から変わっていない。
きっと彼に違いない。私は息を弾ませ彼を追いかける。なんだかワクワクして。なんて声をかけようか。ユキくん、って当時の呼び方をしちゃおうか。そしたらきっと、驚いて振り返ってくれるはず。
隣の席にいた時、からかってそう呼ぶと照れて可愛くて。
【お題:巡り会えたら】
(メモ)
巡り合う、とは。
長い時間を経て、思いがけず人や求めていたものと対面する意味、
「たしか、こんな感じで」
山下カナミはそう言って、倒れた俺に覆い被さる。
学校の階段の踊り場。放課後で人気はないとはいえ、他の生徒もいる時間だ。
「待て待て、そこまで再現しなくても」
「で、手はこう」
「聞いてんの?」
山下は床についた手の位置を微調整してうんうん唸っている。
俺の目の前には山下のまつ毛があって、俺の身体に彼女の柔らかいところが当たっていて、とにかくもうどうしていいか分からないので早くどいてほしい。
弁解しておくが、俺たちは別にやましいことをしているわけではない。山下が言う“あの時”の現場を再現しているのだ。
俺が階段を降りていた時、後ろにいた山下がつまずいて、俺もろとも下へ転がったのだ。幸い高さはなく二人とも怪我はなくて済んだが、その時のショックで、山下いわく“能力が覚醒した”らしい。
最近その能力が使えなくなったので、こうしてあの時の状況を再現したいと。そういうことらしいんだが。
「やっぱり実際に転げ落ちないとダメなのかな…」
「ひとつ聞いていいか」
「なに?」
「その“能力”って、一体なんなの」
「えっ」
気を紛らわすために聞いてみただけなのに、意外にも山下は戸惑ったようだった。
彼女は小さな声で、「みらいよち」と言った。
「へえ、何が見えたの?」
山下は急に俺の目を見つめ、それからみるみるうちに赤面した。
【お題:奇跡をもう一度】
「なーに?」
人混みの中、私は声を張り上げる。彼は遠くにいるわけではない。すぐ隣にいる。声が小さすぎるのだ。
電車間に合うかな。もう門限ギリギリなのに。
早く別れたいわけじゃない。授業のグループワークを言い訳にして彼を一日誘い出したのは私のほうだ。
二人で図書館で勉強したりカフェでお話したり、偶然やってた福引きを一緒に回しちゃったりなんかして、一等のちいかわの巨大ぬいぐるみが当たったらどっちが持って帰るか相談したりして、本当に当たっちゃうかもなんてワクワクしてたら結局ただの参加賞で、ポケットティッシュ二袋入りをもらって、彼はちいかわのイラストのある方を私にくれて。
なんだか今日一日だけ、本当に付き合ってるみたいでさ。すごく楽しくてさ。ここで別れたら、今日のことが夢みたいに消えちゃいそうでさ。
でも彼を困らせたくはないし、今日は良い日だったから良い日のままで終わらせたかったし、だから明るく「じゃあね」って別れようとしたら、彼がもごもご何かを言っている。
普段から声の小さい彼が、さらに小声になるものだから、全然聞こえない。
私は片耳に手を当て、背伸びをして、彼の方に耳を近づける。
彼はまた何かを言っている。今度はちょっと早口で。なにか言い訳をしているようだ。しかしやはり聞こえない。
「なにー?」
背の高い彼は身をかがめて、私の耳に顔を近づけた。
「アヤカさん」
彼の声が、近い。
「は、はい」
ちょっとでも動いたら、彼に触れてしまいそうで、私は身を固くする。
「好きです」
えっ。
思わず振り返る。照れくさそうに笑う彼と目が合う。
【お題:別れ際に】