声が出ない。ガラガラだ。昨日愛を叫び過ぎたのだ。迎え酒で喉を潤す。つまみも食い尽くしたので食塩を舐める。うはあ。ジャーキーにも鱈チーズにも劣らないこの脳天を突きつけるこの塩気。塩だもんな。塩気しかないよな。
「、、、…」
愛、
と呟いたはずが、ボロボロになった声帯は音を成さず、枯葉の擦れるような息が喉から漏れるだけだ。
スマホの小さな画面でニュースが流れている。一人のアイドルの引退を報じている。大好きな、いや大好きだった彼女が、画面の向こうで最後の笑顔を浮かべていた。
【お題:愛を叫ぶ。】
忘れられない、いつまでも。
あの時貸した300円、いつになったら返してくれるんだろう。
「久しぶりー! 中学卒業以来じゃん、元気してた?」
成人式後のご飯会に顔を出したら、リカはへらっと笑って私に手を振った。
あっ300円、と口から出そうになり、慌てて口に手を当ててごまかす。さすがに昔のクラスメートを名前ではなく300円呼ばわりするのはダメだ。
「ヒサシブリー」と無難な言葉を選ぶ。
いくつかのテーブルをくっつけて作られた長いテーブルの、入り口から一番遠いところにリカはいた。彼女が空いている隣の席を指し示したので、私はそこに座る。
「髪染めたの?」
「染めた。えへへーいいでしょ」
リカはショートだった髪を茶色に染め、さらに毛先を遊ばせている。遊んでんなあ。
【お題:忘れられない、いつまでも。】
一年前に埋めたタイムカプセルを掘り出そう。と誘われた。
一年前?
さすがに早すぎない?
子供ならまだしも、一年前なんかついこの間な気がしてしまう。その割に昨日食べたものが思い出せなかったりして、あるいは十年前の何気ない景色をふと思い出したりして。
「ほんとに一年前のを掘り出すの?」
「うん。ちょうど去年の今日だったんだよ」
「なにしてたの? その時」
「大学サボってソフトクリーム食べた」
「おい」
「あなたは?」
「えー。覚えてない」と、僕は頭を掻く。
長い付き合いになる幼なじみだが、彼女が一年前にそんなものを埋めたという話は聞いていなかった。ソフトクリームを食べてから埋めたのか、埋めた疲れからソフトクリームを食べたのか。
「ここだよ」
彼女につれられてやってきたのは、街中にある小さなライブハウス。雑居ビルの地下一階にあるタイプの。
「ここって、確か」
経営難で閉業した。
そうだ、去年、ちょうどこの日に。
「行こう」
彼女は躊躇なくライブハウスの扉を押した。
鍵は、と声をかける間もなく、扉はすっと開いた。
驚いて目を見開く。
中から音がする。録音ではなく生音の。平成くさい古いロックの音がする。
「はじまるよ」
彼女は振り返り僕に笑いかけた。
【お題:一年前】
刹那、話してみようと思ったのだ。
僕の頭の中に、それを話した後の未来がフラッシュのように瞬いた。驚いたきみの表情。その唇は震えるに違いない。目は見開かれ、声は上ずり、もう一度聞き返すかもしれない。
「本当だよ」
僕は想像した未来のきみにそう話しかける。
「本気できみを殺そうとしていた。そういう仕事をしていたからね。いつも通り依頼を受けて。まあ簡単だと思ったよ。あまりに無防備すぎる。いつでもその手をひねってくるりときみをダンスさせることだってできた。その後首にナイフを突き立てることもね」
——「どうしたの? 黙っちゃって」
その声に、僕の想像はふわりと紅茶の香りに溶ける。
今目の前にいるきみはきょとんとして僕を見ている。そのあまりに無防備な瞳で。
「何でもないよ」
いつも通り口角を上げて、カップの紅茶を飲み干す。
もう少し黙っていよう。きみのせいで僕の人生プランが狂ってしまったことは。
【お題:刹那】
(※フィクションです)
蛇口の締まりが悪かったらしい。今まさに外に出ようとドアノブに手をかけた時、キッチンの方からぽたり、と雫が落ちる音が聞こえた。
しかし私は急いでいた。7:14発の電車に乗らなければ会社に間に合わない。迷う間もなく、私はそのまま外に飛び出した。
ぽたり。
電車に乗り、吊り革につかまりほっと息をついたその時、急にあの水漏れが気になりだした。たかが数秒に一粒の雫が漏れるくらい、水道代には影響はないだろうし、あの程度では床が濡れることもない。
しかし、毎週洗濯を欠かさないラグマット、塵ひとつ立てまいと毎日掃除しているフローリング、今朝起きた時にシワひとつ残さず整えたベッドシーツ。全てを整えているあの部屋に、まるでシミのように、水漏れの音が一日中続くのだ。
ぽたり。
思えば昨日から異変は感じていた。皿を洗った後、蛇口を締めたときに感じた、取手の内側に何かが挟まっているかのような手応え。
誰かが仕向けたのかもしれない。蛇口に異物を挟んで水漏れするように。誰かが私の部屋に忍び込んだのではないか。あのまま水漏れを放っておくことが、部屋の外にいる誰かへの合図になるとしたら。何の合図? 私の秘密を暴くために。
ぽたり。
遠く離れた部屋で続いているであろう水漏れの音が、私の頭の中で不穏に響く。
電車の窓に映る自分の顔が蒼白になっていることに気付く。
次の駅で降りなければ。
完璧にこなしてきたつもりだった。疑われる要素は徹底的に排除した。ばれることはないと確信して今まで平穏を装って過ごしてきた。それを打ち崩すほどに、雫の音は私の頭をうがつ。
ばれるわけにはいかない。
部屋のクローゼットに、私が愛した男の死体が入っていることを。
【お題;雫】