「ばあちゃん、なんで空見上げてニコニコしてるの?」
「ふふ、懐かしいなぁって気持ちになるからよ。」
ふうん、と孫の春子が不思議そうに首を傾げる。
1945年5月27日。目を閉じれば、いつもこの日に私は帰る。
あの日も同じ、青く高く、雲一つない空が悠々と広がっていた。
バリバリと激しくエンジンを鳴らす、日の丸をつけた飛行機。
エンジンは次第に回転を上げ、砂煙を巻き上げながら飛行機が続々と飛んでいく。
当時、私は15歳だった。
みずぼらしいモンペを履いた、おしゃれしたくてもできない、可哀想な女学生。
だから少しでも可愛く見えるように、毎朝いっしょうけんめいにおさげ髪を結っていた。
お勉強をするために学校に行ったのに、そんなことしている場合じゃなかった。
毎日が、がまんの連続。
いちばんきらいだったのは、竹やりを持って叫ぶ授業だった。
そして、そんな私がひっそりと楽しみにしていたのは、近くの基地に兵隊さんのお手伝いをしにいくことだった。
粗暴で退屈な「授業」なんかより、ご奉公しに行くほうがよっぽど魅力的だった。
女学徒隊として、兵隊さん達の服のお洗濯をしたり、お話をしたり。
その基地にいらっしゃった、ある兵隊さんのことは今でも忘れられない。
その兵隊さんの名前は、源二さんといった。
私が源二さんとお話しした時間はとても短かった。
源二さんは、基地に2週間ほどしかいらっしゃらなかったから。
源二さんと初めてお会いした日は、いつものように仲のいいクラスメートのミッちゃんとケイちゃんと3人で
お洗濯した服を干しているところだった。
兵隊さん達が寝泊まりしている、三角形の変なかたちをした兵舎の裏手はちょっとした林になっていて、
そこの木に紐を結んで洗濯物を干していた。
ちょうど、兵舎のほうからこちらに真っ直ぐいらっしゃる兵隊さんが見えたものだから、私達は手を止めてご挨拶をした。
「おはようございます。先日こちらに配属になりました、田中源二と申します。身の回りのことをして下さり、感謝しております。」
優しげに目を細め、源二さんは深々とお辞儀をした。
それからわずかな暇の時間に、源二さんは時間を作っては私とおしゃべりしてくれた。
時間がないときは文を書き、交換した。
話すことは、源二さんの故郷のお話だったり、私の退屈な竹やり授業だったりと色々だった。
源二さんのお話はいつも、とても興味深くて、たまにおかしかった。
源二さんは私のつまらない話でも、とても楽しそうに聞いてくれた。
源二さんがずっとここにいてくれればいいのに、という想いは、いとも簡単に打ち砕かれることになる。
「明日、私は特攻します。」
5月26日。突然の言葉に、私は言葉を失った。
私は、今までにもたくさんの兵隊さんに鶴を折り、旅立つ姿を見送ってきた。
この地にやって来た若い兵隊さんは、飛行機に乗ってどんどんいなくなって、また新しい兵隊さんが次々にやってくる。
心のどこかでは、源二さんも、と気づいていた。
私が泣いたらいけない。
源二さんは、お国のために大空へ飛び立つのだから。
でも、源二さんがあまりにすてきな笑顔でお話しされるものだから、私の小さな鼻の奥がつんとした。
「ご武運を祈っております。」
私は、そう伝えるだけで精一杯だった。
5月27日。雲一つない快晴。
女学徒隊も、今から飛び立つ兵隊さん達のお見送りに出る。
基地の兵隊さんや女学徒隊が見守る中、飛び立つ兵隊さんは各々、ご挨拶をしていた。
静かに様子を見守っていると、頭に日の丸のはちまきを巻いた源二さんが、まっすぐ私に駆け寄ってくるのが見えた。
バリバリというエンジンの振動よりも、私の胸の鼓動のほうがずっと大きく高鳴った。
「アコさん、ありがとう。」
一呼吸おいて、私は口を開く。
「源二さんと、お話しした時間はずっと忘れません。私の宝物ですから。」
源二さんは、初めて会った時と同じで優しくはにかんだ。
「もし、よければ。
アコさんが、この青い大空を見た時に、私のことをたまに思い出してくださると嬉しいです。
アコさんはきっと、ご立派な女性になられます。」
それでは、と太陽よりも眩しいお顔で笑い、
源二さんは自分の飛行機へと駆けていかれたのだった。
バリバリと激しくエンジンを鳴らす、日の丸をつけた飛行機。
エンジンは次第に回転を上げ、砂煙を巻き上げながら飛行機が続々と飛んでいく。
源二さんは、まっすぐに前を見つめて飛んでいった。
飛行機達は、大きな円を描くように旋回して広大な青空に消えていった。
銀色の鳥達が、矢となり降り注ぐ海に向かって。
12/21 大空
ヒューッ───
ヘンリーは敵軍から放たれた砲丸が空を切る音で、ここが戦場であるという事実を思い出した。
激戦の果てに南の絶対防衛圏を突破されてしまった自軍は、後退せざるを得ず、ヘンリーもその南側に配属されていた兵士の1人である。
出撃当初10人いたヘンリーの所属部隊も、もう、ヘンリーと相棒のガルしか残っていない。
砲撃が止むまで塹壕に身を潜め、こちらの位置を悟られないように息を殺す。
周辺の塹壕にも3部隊ほど身を潜めているため、あのバカでかい砲丸が近くに着弾しようものならもれなく壊滅する。
「おいおい、また砲撃かよ。ハッ、ネズミは一気に潰そうってか。着弾の衝撃波が俺の長い左足に響くから勘弁してほしいぜ。空軍め、先にあのデカブツを叩けってんだ。」
「軽口を叩けるほどには元気なのかい。ガル、装填を頼むよ。ここからじゃ狙えないが、もう少し北上できたら高台から狙撃できるからね。」
ガルはおどけて、はいはい、と二つ返事をした。
そんなガルの様子を、ヘンリーは心配を隠せない面持ちで見つめる。
ガルの失った左足から、出血が止まらない。
昨日、別の部隊に合流するため突破された最前線から北上している途中、運悪くあの砲撃がすぐ近くに着弾した。
ヘンリーはちょうど木の影にいたため無事であったが、ガルの左足は砲弾の破片に吹き飛ばされた。
ヘンリーは直ぐ、持ち得る全てのもので応急処置を施した。
隻脚の兵士とか熟練っぽくてかっこいいだろ、などと額に脂汗を浮かべて笑うガルを支えながら、やっとこの塹壕まで後退できたというのに、無情にも死神は2人に迫ってきていた。
一向に砲撃が止まないため、ヘンリーも大人しく銃の手入れを始めることにした。
少し経ち、なぁ、とガルが手を止めて口を開いた。
「そういや、今日はクリスマスだったな。」
「あぁ、そうだったね。こんな戦場じゃなきゃ、みんな今頃美味いスモークチキンでも食ってただろうね。」
ガルは土煙の奥に見える、高い空を見上げて続ける。
「ガキの頃はいい子にしてりゃ、サンタが来るって信じてたんだぜ。リンリンッてベルを鳴らしながらな。…ハハッ、そんなの信じなくなってもう随分経つけどな…
今、リンリン聞こえてやがるんだよ、俺の耳にさ。」
ヘンリーは、ハッとしてガルに近寄った。
ガルの左足はこんなにも赤く、命を訴えかけているのに、ガルの顔はみるみる色を無くしていく。
ヘンリーは、ガルの力なく投げ出された手を掬い上げるように握った。
引き金のように冷たくなっていく盟友に、自分の熱を分け与えることができたなら、どんなに痛みが和らぐのだろう。
ガルのエメラルドグリーンの瞳が、ヘンリーを捉える。
「ガル」
「…はは…
なぁ、相棒。お前は、必ず、国に帰れよ。
サンタからプレゼント、貰えねえからな…」
その後に続く言葉はなく、ただ数回、か細い呼吸が漏れ、ガルは静かに目を閉じた。
それが相棒の、最期だった。
ヘンリーは相棒との約束を果たすため、北上を続ける。
ガルの亡骸は、弔うこともできなかった。
ヘンリーは彼が愛用していたジッポだけを持ち、激しい砲撃の中、迫る死神からひたすら逃げた。
途中、肉弾戦に巻き込まれた際に一度、ヘンリーは被弾した。
左胸に命中した弾丸に貫かれたかと思ったが、ヘンリーの左胸に走ったのは鋭い衝撃だけだった。
ヘンリーの左胸のポケットには、弾丸の跡がくっきりと残ったジッポがあった。
どうやらまだ俺には、ベルの音は聞こえない。
美しいベルの音は、俺が国に帰り着くまで、
ひょうきんで頼もしい相棒が、鳴らしてはくれないだろう。
ヘンリーは相棒の形見を握り締め、雪の舞う空を見上げた。
右手に握りしめられたジッポが、燻銀に鈍く輝く。
12/20 ベルの音
「H-024、起動。データプログラムを確認。ボックス内圧力、正常。端末制御装置を解除── 」
ぷつりと映像認識装置が稼働し、視界に室内の映像が投影される。
3024年12月19日。
本日の私に課せられたプログラムは7つだが、全て単純なものなのですぐに終わるだろう。
まずは昨日、アンティグア星系の汚染区画内で拾い上げたヒト、アルを安全圏の星へ降ろすのが先決である。
アルのいる保護専用区画へと向かう間に、昨日のアルとの出会いを記憶媒体から再生する。
【記憶媒体 再生 3024年12月18日】
医務室に向かい、医療端末 U-09に問う。
「ナイン、このヒトの情報を。」
医療端末により開示される情報は、生命誕生時に人体に埋め込まれたチップより全て自動認識されたものであり、確実性が非常に高い。
本人から口頭伝達で聞き出すより、合理的だ。
「おはよう、24。オッケー、もう調べてあるよ。生体識別名アル・ノーブルネージュ。彼は無性別で、識別年齢は19歳だね。出身星はハルト小惑星帯だそうだよ。」
「ありがとう。じゃあポット出庫を頼むよ。ここからは私が引き継ぐね。」
「了解。確かに、彼とのコミュニケーションは人型端末の24が適任だろうね。じゃ、よろしく。」
シューという音と共にポットが出庫し、蓋が開く。
数秒の後、アルが目を開けた。
「ここ、は?」
「おはよう。視覚認識、発語、いずれも問題ないみたいだね。ここは生命保護船ルーナ。君は昨日、アンティグア星系の汚染区画内で倒れていたからこちらで保護したんだ。」
アルはむくりと体を起こし、星雲のように鮮やかな色彩の双眼で私を捉えた。
「きみは…」
「私はH-24。ここの維持をしている。呼びにくい場合はセレネ、と呼んで。」
アルが立ち上がるのをサポートし、その後は保護専用区画へと案内した。
船内施設の説明や、食事の出し方などひとしきり説明して去ろうとしたところでアルが口を開いた。
「あの…セレネは…セレネはずっとここに?」
「この船に乗る前のことは記憶してないんだ。だから、申し訳ないけど正確な返答ができない。」
「…そうなんだ…ありがとう、答えてくれて…」
人型とはいえど、端末である私に対して感謝をするヒトに少し驚いた。
「構わないよ。それともう一つ。明日、安全圏に君を降ろすけど、君の希望する星はある?」
少し間を置いて、アルは答えた。
「…僕は、やっぱりアンティグアがいいんだけど、駄目だよね…」
「そうだね。安全確認が取れない以上、アンティグア星系に君を送り返すことはできない。」
「…それじゃ、ザグに降ろしてもらえたら助かるよ。」
【記憶媒体 停止】
保護区画に着き、アルの部屋の扉をノックする。扉はすぐに開いた。
「おはよう、アル。ザグの宇宙港に着いたよ。」
「セレネ、おはよう…荷物はないから、もう下船準備、できてるよ。」
アルを見送るため、船内のハッチへ2人で歩く。
重々しい足取りのアルが、意を決したかのように口を開いた。
「…ッ、セレネ…!あの!」
歩みを止め、アルを振り返り、続く言葉を待つ。
「きみも、君も一緒に来ない…?」
想定外の言葉に驚き、端末の私が言葉に詰まってしまった。
「…どうして?私は、この船の、この船の端末だから…保護本部へ指示を仰がないと」
「僕は!僕はずっと君を探してたんだ…君は端末じゃない…いや、今は端末だけど…でも君は確かに、ヒトだった!名前はセレネ…君がいなくなったあの日と変わらないよ…」
状況がうまく把握できない。
エラー、error表示がerrorrrrrrrr
美しい瞳に涙を溜めたアルを奥に捉え、緊急シャットダウンの表示を最後に映像認識装置が消えた。
【医療ポット内圧力:正常 】
「24。君の記憶媒体の核に深刻なダメージを確認したよ。今は聴覚装置のみ正常に作動してる。だから、即座に言語認識できるかは分からないけど、伝えるね。
君は、アルと同じハルト小惑星帯のヒトだった。
だが、ハルト小惑星帯は7年前に汚染区画になってしまったんだ。だから君を、ハルトの人類をこの船が保護した。しかし、大半のヒトは深刻な汚染でね。
身体は手遅れだったから、精神のみを人型端末に移植した。
残念ながら、保護したヒトのうち、延命できたのは君だけだった。
アルの身体も、保護してすぐに精神移植済みの端末であることが判明していたよ。運良く別の保護船に拾われていたのだろうね。
そして彼は、彼の端末にサーチできる君──セレネの痕跡をアンティグアに見つけた。
この保護船は何度かアンティグアに降りているからね。
きっとその痕跡からセレネの生体反応をサーチしていたと推測される。
彼は君の痕跡を今一度調べたくて、もう一度汚染の強いアンティグアに降りたいと希望したのだろう。
僕から君に全ての情報を開示することは危険だと判断したため、一部のみの開示にしていた。
彼は、既にザグに降りたよ。
あとは、君が回復して決めることだ。」
ナインの情報を機体に取り込むことに成功し、記憶媒体が徐々にヒトであった頃の記憶を取り戻していく。
生まれ育った星がウイルスに汚染されてゆく恐怖と、それに感染した人間がバタバタと倒れていく絶望。
こわい。死にたくない。
少しずつ、ヒトであったという証拠の精神に感情が宿されていく。
阿鼻叫喚の星で、幼馴染のアルと共に逃げた。
ウイルスの感染から逃げて逃げて、ついにアルが倒れた時に、とうとう追いつかれたと悟った。
寂しい。死なないで。君のいない世界は、寂しい。
そうして、アルが意識を失う直前に絞り出した言葉は
「僕は必ず君を見つけ出す。」
そうか、アルは生きていたんだね。
安堵。喜び。
しあわせ───
途切れ途切れの言語認識の中、少しずつ触覚が戻り始めて目から溢れ出た頬に伝う液体に気付いた。
12/19 寂しさ
濃紺に染まりかけた空に雪が舞い出した頃、千代若はかじかむ指先を温めようと火鉢に擦り寄った。この江戸にも雪が降り始める時期になったのも風情か。庭師によって整えられた千代若の父の屋敷が雪化粧を纏う姿は圧巻である。
屋敷の障子がカタカタと寒風にあてられ、音を立てる。
こんな夜冷えするのなら下女に火鉢をもう一つ仕込ませるべきだったな、と千代若は悔いた。
寒くて書を読もうにも火鉢から離れられないでいると、外の木戸が開く音がした。
こんな時間に誰だろう、と障子を少し開け庭に目をやると、千代若のよく知る少年が寒さに凍えながら庭をかけてくる。
千代若は障子を開けながら彼に声をかけた。
「与次郎じゃないか。こんな時間にどうしたんだい。」
与次郎は息を弾ませ駆けてくるなり、草履を脱ぎ捨て縁側に駆け上った。
「いやぁ、今日そこの神社の冬祭りだっただろ?お前の顔が見えねぇもんだから、土産にと思ってさ。悪ぃ、ついでにさみぃから少し温まらせてくれ。」
千代若と与次郎は身分こそ違えど、この夏同じ十四になったばかりの良き友であった。
自室に招き入れ、二人火鉢の前に並ぶ。
「与次郎、きみがこんな時間に屋敷に忍び込んだと父上に知れたら」
「わーってるって。ばれねえように上手くやるからさ。そんなことより、ほら土産だ。どうせ"若様"は、いいもん食ってるんだろうけどさ。」
与次郎は袂から金平糖の入った袋をひとつ、千代若の手に握らせた。
「その呼び方、気に入らないからやめろと言ってるじゃないか。」
ふん、と千代若は鼻を鳴らし金平糖を一粒、口に放り投げる。
千代若は続けて三粒ほど、与次郎の口に捩じ込んでやった。
12/18 冬は一緒に
タバコの煙がぷかぷかと空を揺蕩う様を、彼女は静かに眺めていた。
たった今、彼女自身が吐き出した煙だというのにも関わらず、まるで他人事のように虚ろな目で煙の行方を追いかける。
彼女の真っ黒な髪と真っ黒な目が、銀河の青白銀を反射して輝いていた。
彼女はこの宇宙船の中でも、特にガラスドームの展望デッキがお気に入りらしく、よく夜にひとりで座り込んでいる。
タバコ片手に座り込んで、哀しげな歌を口ずさんでいる夜もあったし、喫煙していないときは緩やかで優しい曲に合わせてまるで花びらのようにダンスを舞っていることもあった。
ガラス越しに見える膨大な小惑星帯の星の数を楽しそうに数えている夜もあった。さすがにその時は、なんて無意味な行為をしているんだ、と彼女の思考能力を疑った。
毎晩、特別に何か話したいことがあって彼女を訪ねるわけではない。
だからといって、とりとめのない話なんて生産性のない会話、僕はするつもりはない。
じゃあなぜ、僕は彼女のもとへ来てしまうのか。
この僕の行為に意味はあるのか。
人間は思考をやめた時に全てが終わる。
僕は、他のどんなことだって解けてしまうのに、彼女のことになると訳がわからなくなってしまう。
分からないことは、僕にとって実に不愉快だ。
眉をひそめた僕も、また、彼女の横顔とタバコの煙をただ静かに眺めている。
これが「とりとめのない話」というものか、と腑に落ちた。
12/17 とりとめのない話