俺は、年始から神社でちょっとしたバイトをしている。
俺の叔父は近所で小さいながらも由緒ある神社の神主だ。
近年外国からの観光客が増え、神社の人手が足りないことに加え、俺が大学で英語を専攻していることもあり「お年玉弾むからどうしても頼む」と頼み込まれたのだった。
大学が冬休みのため、俺はほとんど毎日を神社で過ごしている。
仕事は掃除や観光客へのちょっとしたガイドなどだ。
今日はかなり参拝客が少ない。
快晴で寒さもかなり和らいできているため、日光が心地よい。
穏やかに境内の掃き掃除をしている時だった。
「わたしのこえがきこえますか」
急に声が聞こえたような気がした。
いや、聞こえたという表現は正しくない。
正確には俺の耳には届いていない。
頭に直接流れ込んでくるようなイメージなのだ。
俺に霊感といった類いのものは皆無だ。
でも、直感的に嫌な感じはしない。
「わたしは、梅の木の精です。」
再び流れ込んできた言葉は、先程よりもより明確に感じ取ることができた。
梅の木の精…?
「ふふ、あなたには私の声が届いているようですね。
一年の時を経て、蕾たちが芽吹き始めました。
ようやく私も目覚めたところです。
あなたと、もっとお話がしてみたいのです…」
…この声の主はきっと、清らかな梅の女神様だろう。
この感じは…多分…
艶やかな黒髪で、涼しげな流し目の美人だ…
いや、きっとそうだ…
梅の木はたしか、本殿の裏手に一本だけだ。
俺は箒を片付けて浮かれる心を全面に出し、本殿の裏へと回った。
梅の木の前には、神々しい光に包まれた…
艶やかな黒髪の───
厚い胸板の、屈強な男が…
妖艶な…流し目で俺を見ている───⁉︎
3/2 芽吹くとき
ひとりブランコを漕ぐ僕の足元にボールが転がってきた。
少し離れたところから聞こえる、僕と同い年くらいの子達の声に弾かれるように僕はボールを手に取った。
渡してあげようと、ブランコから降りてこちらに走り寄ってきた彼らに近づく。
「これ…」
僕はボールを差し出す。
僕を視認できるところまで来た子供たちは、すぐに顔を青くした。
「おい、あいつだ!」
「うわぁ!また襲われるぞ!」
「バケモノ!」
渡そうとしたボールは行き場を失い、僕のちいさな体に収まった。
バケモノ、と呼ばれることにはずっと慣れていた。
僕には他の人たちとは違う、おかしな力があるから。
僕が彼らに手を伸ばせば、辺りの小石が浮き上がり、彼らを襲う。
さらに叫べば強風が渦巻き彼らの体を持ち上げる。
僕の力は、人を傷つけてしまう。
ひとりには慣れっこだけど、やっぱりさみしい。
ボールを抱えたまま、僕は再びブランコに戻った。
ブランコに座り、うずくまっていると頭上から声がかかった。
「きみ、友達と遊ばないの?」
遊んでくれる友達ができるならどんなにいいだろう。
少し頬を膨らませて顔を上げると、僕よりずっと背の高い、きれいなお姉さんが立っていた。
「僕はバケモノだから、友達なんてできないよ。」
「ふぅん。まぁ、でも友達を作ることが全てじゃないよ。」
ふふ、とお姉さんは笑い、僕の隣のブランコに座った。
大人のお姉さんは友達なんていなくても、ひとりで生きていけるのかな。
僕は友達がほしいけど。
でも、笑ったお姉さんはとてもさみしそうに見えたから、僕は何も言わない。
「バケモノ、か…」
「うん。僕には変な力があるから、この里の大人も子どもたちも僕のことをバケモノって呼ぶんだ。」
空をぼんやりと見ていたお姉さんが、僕を見た。
僕は驚いた。
僕のことをこんなに優しくて、さみしそうに見る人は今までいなかったから。
お姉さんは、僕を見つめたまま静かに口を開いた。
「じゃあ、きみは私と一緒だね。」
そう言ったお姉さんの黒くて大きな目が、一瞬真っ赤に染まった気がした。
どうして、と聞き返す前に、お姉さんはスッと立ち上がった。
ふふ、とお姉さんはまた笑い、僕を振り返る。
「きみが大人になった時に、また会いにくるよ。
きっとその時は、きみは私のことをバケモノだと怖がるかもしれないね。」
お姉さんの大きな手が、僕の頭をくしゃっと撫でた。
ふわりと踵を返し、お姉さんは去っていく。
僕が大人になれば、お姉さんがバケモノであるという秘密を知ることができる、という意味だろう。
生まれて初めて、他人に怖がられずに話すことができた。
人の温かさを知ったのも初めてだった。
バケモノ、と罵られるよりも、お姉さんとまた会える日がずっと先になることのほうがずっと、かなしかった。
2/3 やさしくしないで
仕事を終えた私は、その足で行きつけのシーシャ屋に向かった。
今日は最高にツイてない。
朝のメイクノリは最悪だったし、今日の会議のために用意していた資料はPCトラブルにより全部消えた。
おかげで会議では上に詰められ、後輩の担当業務であった取引先へのメールも終わっておらず泣く泣く残業する羽目になったのだった。
大きく吐いた溜息が、冬の夜空に白く浮かんでは消えた。
私のマンションの近所まで帰ってくると、都会の喧騒は遠のき、住宅街が広がっている。
澄んだ空気にどこからともなく、入浴剤の香りが漂ってきた。
大通りから住宅街に入ってふたつめの路地を曲がると見える古民家の軒先に柔らかな暖色の灯りが灯っている。
「シーシャ処 檸檬」と書かれた、見慣れた看板が私を出迎えた。
古民家の扉を開けると、ふわりと軽やかなリンゴの香りが私を包んだ。
エントランスには、オーナーの趣味である観葉植物たちが、冬の寒さなんて知らないといったようにいきいきと茂っている。
程なくして真横のカウンターからオーナーが顔を出した。
私の顔を見るなり、にやりと笑い出迎えてくれる。
「うぃーすリンちゃん。そろそろ来ると思ってたよ。」
「お疲れ様です…もう21時まわってるよね…」
「死にそうな顔してんじゃん。で、今日何にする?」
「うーん…なんか疲れがふっ飛びそうなやつでお願いします。」
おっけ、おまかせね、とオーナーはまたもにやりと笑った。
上着を脱ぎながらフロアに入ると癖の強い常連たちがちらほらと既に来店している。
それぞれが私を見て、おつかれー、と手を振った。
私も挨拶を交わしながらソファーに腰掛ける。
先ほどのリンゴの香りは、ちょうど真横に座っている常連から香っていることに気づいた。
私は上着と鞄を置き、話しかける。
「コウノさん、今日もダブルアップル?」
コウノさんはいつも決まってダブルアップルという名のリンゴのフレーバーのシーシャを吸っている。
彼はシーシャの吸い口をこちらに渡し、頷いた。
シーシャは、数種類のフレーバーを混ぜて吸うと味の幅がより広がって美味しい。
しかし、このダブルアップルというフレーバーは単体で吸うことでより作り手の力量や、作り手によって味が変わるといったデリケートなフレーバーなのだ。
それゆえに、コウタさんのように根強いダブルアップルファンが多くいる。
「はは、そうだよ。まぁ、吸いなよ。なんか今日はいつにも増して疲れてそうだね。」
コウノさんから吸い口を受け取り、ガラスで出来た黄色の私のマウスピースを付けて、一服させてもらう。
リンゴの甘くまろやかな風味が口に広がる。
「死ぬほど疲れた。もう働きたくないですよ。」
コウノさんと私の会話に、他の常連たちも割って入ってくる。
一際声の大きい、坊主頭がトレードマークのスケさんが少し離れた席から私を呼んだ。
「まぁー、リン、ほら俺のも一服しなよ。愚痴なら聞くぜ。」
スケさんに礼を言い、一口もらう。
こちらは形容し難い複雑な味で、何が入ってるのかわからない。
フレーバーが複数ブレンドされているのだろう。
「美味しいけど、何味か分かんない。今日の、何?」
「忘れたー。」
ほぼ必ず、スケさんは自分の注文したフレーバーを忘れるので、彼は今日も通常運転である。
「今日のお前の注文は、コニャック・シガー・バニラ」とカウンター越しにオーナーのツッコミが聞こえた。
みんないつも通りだなと笑い、自分の席に戻ろうとした時にまたも別の常連から声をかけられる。
「リンさん、元気少ないね。僕のも吸っていいよぉ。」
「ありがとう、サクラちゃん。それじゃあ貰おうかな。」
サクラちゃんはゴテゴテに装飾のついたネイルの手でピースして笑った。
今日の彼女のシーシャは、桜餅と何かをブレンドしたものだろう。
若々しい彼女らしい、甘くて華やかな香りが広がる。
美味しさに口元を綻ばせていると、サクラちゃんがまんまるの大きな目で私の顔を覗き込んだ。
「よかった。リンさん、笑ったぁ。」
サクラちゃんの言葉で、続々と他の常連たちも私を励ましてくれる声が上がる。
やっぱりみんなに会いにきてよかった、と思った。
「ほら、リンちゃん座ってー。おまかせ、できたよ。」
ちょうどオーナーがシーシャを持ってカウンターから出てきたので、大人しく席に戻った。
吸い口を手渡され、一服する。
口の中に優しい酸味と甘みが広がった。
もわり、と息を丸く吐き出すと、芳醇な香りが白い煙となって天井に登っていく。
「今日は、梅でーす。」
オーナーが、またにやりと笑って踵を返した。
梅は、私の一番お気に入りのシーシャだ。
元から梅の味のフレーバーではなく、オーナーが複数のフレーバーをブレンドして、自分で編み出した味である。
オーナーのさり気ない気遣いに、心の中で感謝した。
店内には、緩く流れる落ち着いたジャズ調のBGMに、シーシャのぽこぽこという心地の良い水音が響いている。
時折常連たちの笑い声が混ざっては、シーシャの煙のようにふわりと消えていく。
フロアの中心のストーブの火がぱちぱちと揺らめき、
天井から下がるオレンジ色のあたたかい灯りはまるで星のように優しく私たちを照らす。
私は、このあたたかい空間がだいすきだ、と消えゆく煙を眺めながら思った。
1/11 あたたかいね
人類が宇宙を開拓し、地球外の星々にも文明が根付いてもうかなり経った。
科学技術は大きく発展し、太陽系から遠く離れた星にさえも国がある。
そんな今、宇宙史に残る未曾有のパンデミックが宇宙全体で巻き起こっているのだ。
私は、宇宙軍第7部隊に属する軍人である。
軍の指揮系統は、パンデミックのせいで長らく混乱状態にあった。
よって私は、半年前に現地調査のため派遣された、このカナル星雲でひたすら指示を待たねばならないという状況に陥っている。
パンデミックという呼び方は、前例のない症例だからそう呼称されているだけである。
“それ”に感染した者は、人間もアンドロイドなどの機械も自我を失い、全てを破壊したいという衝動に駆られる。
周りに破壊できる人間や物がなくなるまで、感染者は暴徒と化す。
そして、最後には自己破壊行動に走る───
ただのパンデミックならば直ちに収束しただろう。
しかし、全くもって未知のアルゴリズムで引き起こされる破壊衝動は、どうやら軍上層部にも及んでしまったようだ。
軍人といえど、指揮がなければ末端の我々は機能しない。
数日前の連絡を最後に、司令部からの連絡が途絶えた。
基地にいても安全とは限らないし、何より情報が遮断されていては困るので、私は市街地に出てみることにした。
カナルの中心街はいつもの活気をなくし、閑散としている。
通行人はまばらに見えるが、人々の噂話の声は不安や焦燥感といった物悲しさに震えていた。
近隣の星系は全滅、隣の星は血の海、仕事のために別の星系に行った息子が帰ってこない───
国も、軍も、もはや打つ手がない。
このままこの宇宙は砕けたガラスのように散っていってしまうのだろうか、という無力な寂しさが私の足を止めた。
街路樹にもたれかかり、しゃがみ込んでいると頭上から声をかけられた。
「ねぇ。君、軍人なんでしょ?」
男性にしては高めの、透き通った声だった。
白衣を纏ったその人は、肩上で切り揃えられたオリーブ色のボブヘアーをさらりと耳にかけ、輝かしい青色の瞳で私を見つめている。
アンドロイドと見紛うほどに中性的な美しい人だった。
否、アンドロイドかもしれないが。
「あぁ…そうだよ。私は第7部隊所属のシュガー。」
助けを乞うために軍人と思しき私に声をかけたのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
彼は、ちょうどいい、と満足そうに頷いた。
「僕はソルト。カナル軍第3研究室で医学研究をしてる。ここ数年あのパンデミックについて研究していたんだけど、どうやらこの非常事態、現代技術じゃ収束させることは不可能らしい。」
ソルトは自己紹介をしながら、彼の首にかかっている社員IDを見せた。
カナル軍の第3研究室は、宇宙の叡智と呼ばれるほどの優れた研究者が集う軍付属の研究チームである。
ソルトの社員IDには、その中でも特に優れた功績を残したエリートの証であるバッジがついていた。
軍付属チームであれば、軍の話をしても許される。
私は立ち上がりながら、こちらの状況を告げた。
「あぁ、残念だけどその通りだろうね…本部の指揮系統も潰えたんだ。もう収拾がつかないほど、アレは宇宙に拡大している…」
そこで、だよ、とソルトは楽しそうに笑い、グッと私の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、シュガー。
僕と君、2人で一度、未来に行かない?」
突拍子もないことを言う人だな、と思いつつ、ソルトの言葉を反芻する。
彼は「現代技術では収束は不可能」だと言った。
「つまり、ソルト…君は未来でこのパンデミックを収束させる術を見つけて、その上で過去に戻って…」
ソルトが目を輝かせて大きく頷く。
「その通り。未来の技術なら、アレの原因を探り、収束させることができるかもしれないからね。
ただし、ある程度の科学技術の発展と文明変異の予測論文は発表されているけど、正確な未来の世界なんて誰にもわからない。
だから未来の世界で、僕の身を守ってほしい。」
ま、未来に行ったところで宇宙滅亡しちゃってるかもしれないけどね、とソルトはまたもや楽しそうに笑い、
私の手を握りしめた。
その美貌のあまり、初めはアンドロイドかと思ったが
私の手を握る彼の手は確かに、あたたかかった。
もし、私が今後も基地に滞在したとしても正直なところ何もできることはない。
私が未来の宇宙へ同行しなければ、ソルトはこの混沌とした世界にたったひとりで立ち向かうつもりなのだ。
そしてその彼はこの宇宙の未来を変え得る力を持つ、
未来への鍵である。
私はソルトの手を握り返し、応えた。
「私の命に代えても、君を守ろう。」
嬉しそうに目を細めたソルトは、エメラルドのように麗しく輝いた。
1/10 未来への鍵
世界滅亡のニュースが流れて、大切なあの子の街まで飛んで行く───
そんなSFを妄想していた矢先のことだった。
近所の中華屋で炒飯を食べる何気ない昼下がり。
なんとなく窓の外を見た僕は驚愕した。
女の子が空から降ってきたのだから。
やんわりとお姫様みたいに降ってきたわけじゃない。
まさにあれはサイコキネシスといったところか。
高らかに飛翔して───
隕石のように降ってきて轟音を響かせ着地した彼女の一部始終を僕は見ていた。
急いで会計を済ませ、恐る恐る様子を見に近づく。
巻き上がったアスファルトの粉塵で視界が遮られる中、同じくその様子を見ていた通行人の驚きと、彼女を心配する声が聞こえてきた。
粉塵が風で舞い上がり、ついに彼女の姿を視界に捉えた。
あんなに盛大に墜落したかのように見えた彼女は、なんと平然とそこに立っているようだった。
しかもケロッとした顔をして、通行人達に謝っている。
いやー、すみません、という彼女の鈴を転がすような声が聞こえてきた。
僕は好奇心が勝ってしまった。
気がついたら、主人公になんてなれない平凡な僕は、まさに主人公のような彼女に声をかけていた。
「あ、あのー…大丈夫?」
隠しきれない驚きで少し声が上擦ってしまったが、この場面で平常心を保っていられる奴などいないだろう。
彼女は僕を双眼に納め、ぱちり、とひとつ瞬きをした。
「うん!ごめんね、驚かせちゃったみたいで。」
膝丈の青いチャイナワンピースの裾をササッとはたき、彼女は告げた。
「私、ずっと先の未来から来た。
この街は、これから宇宙人に侵略されるの。」
何を言っているのだこの子は、と思えたらよかった。
先ほどの一連の流れを目の当たりにした僕は、彼女が嘘をついているようには見えなかった。
彼女は真っ直ぐに僕を見て、再び口を開いた。
「でも、安心して。私はこの街を守りにきた。」
にっこりと笑い、彼女は踵を返す。
ここで黙っていたら、きっと僕はずっと主人公にはなれない。
僕は彼女を呼び止めた。
「きみ、名前は?」
軽やかに宙に舞い上がりくるりとこちらを振り返った彼女は、浮遊したまま再び僕を見た。
彼女はやはり超能力者で未来人なのだろう。
「私は、リンリン。」
そう告げて、ふわりと僕の前に降り立った。
彼女の名前に呼応するように、どこからともなく鈴の音が聞こえた気がした。
1/9 Ring ring