「会いたい、寂しい」
なんと退屈で平凡な台詞だろう、と私は思う。
仮に、私のこの長いまつ毛を伏せ黒真珠のような瞳から大粒の涙をほろりと落とし、
形の良い、艶やかな唇を震わせ、懸命に彼に伝えたとて、こんな安い言葉は彼を落とし垂らしめる殺し文句になどならないでしょう。
そんなばかみたいな台詞を平気でのたまう甘ったれた女には、私はならない。
ゴールドのラメがきらめくまぶたに、三日月のようなアイライン。
束感・ロング・ぱっちり上向きトレンドまつ毛。
鼻先にもチークを入れ、色っぽさの中に垣間見える幼さを添える。
ぽってりオーバーめに作り上げたリップは、キスが好きな彼にはきっと扇情的に見えてしょうがないの。
とろりとした色香に、一抹の不安定さを忍び込ませた私の顔が乗るは、ピンクでもホワイトでもない、オールブラックのタイトワンピースに縁取られた、わがままボディ。
ただ痩せすぎた小枝のような女に魅力なんて感じない。
スリムな方が服を着こなせる、なんていう人たちは、自分の着たい服を着こなすための努力を怠っているんじゃないかと思う。
細ければいい、なんて安直な考え、ばかみたいで笑っちゃう。
スッと伸びた背筋に、ダークチェリーのような深い赤の後毛をなびかせる。
スリットから覗く脚は、白くしなやか。
長身だから何。
誰にも媚びない厚底のヒールで、近寄ってくる下世話な男なんて踏み潰してやるし、嫌いな女はアスファルトに擦り潰す。
みんな、タバコの吸い殻みたいに哀れ。
悪いけど、小さくてちんちくりんな女の悩みには微塵も共感できない。
そんな私に「寂しい」なんて言わせそうになる唯一の男が、彼。
みっともないほどに、私は彼に夢中。
彼のズルいところは、あなたも私と同じくらい、私という女にハマっちゃってるところ。
そんなの、私もまた、さらに彼にハマってしまうじゃない。
彼と2人、底なしの沼に落ちていくのが至上の快楽。
なんてばかげていて、素敵。
それでも、私、安い台詞だけは吐かない。
私の持つ武器の火力を最大値まで引き上げてくれるオシャレをまとう。
寂しくて吐くのは、ちょっとのため息と紫煙だけって決めてるから。
11/10 寂しくて
何かにつけて「ありがとう」とたくさん感謝を伝えてくれる彼にはふたつの秘密がある。
みんなに優しくて、いつもにこにこと人好きのする笑顔で仕事をこなす彼。
ウケを狙って話すとつまらないけれど、そのつまらなさが面白いと私は密かに思ってる。
かと思えば、客入りが落ち着くと静かに隅っこの席でスマホを見つめてたりする。
「おつかれさまー!」
いつものように職場であるシーシャ屋に足を運ぶ。
出勤でなくとも、家が近い私はついつい立ち寄ってしまうのだ。
昼は彼、夜はオーナーと私で切り盛りしている。
私の首にかかったマウスピースとジャラジャラとつけたマスコットのぶつかる音で、どうやら彼は私が来たと認識したらしい。
カウンター内からスラリとした長身と金に近い茶髪がさらりと揺れた。
「お疲れ様です。いそがしい?」
「いや、ゆっくりよー。だからまだ片付け残ってるけど触んなくていいからね!座ってて」
はあい、とゆるく返事をして私はカウンターに1番近い席に腰掛ける。
刹那、ぱちりと目が合った彼が、ふっと優しく笑った。
彼の秘密、そのいち。
彼と私は最近付き合い始めた。
彼とは以前から顔見知りではあったものの、特に深い会話を交わすこともなく数年が過ぎていた。
ここ1年ほどでようやくまともな会話をするようになり、いつの間にか好きになってしまっていたのだからしょうがない。
3ヶ月間の私の猛アピールにより、今に至る。
1度はぬるっと振られた。
仲も良かったし、毎日顔を合わせた上で毎日欠かさず連絡をくれていたものだから、あちらもその気があると思って気持ちを伝えたら「えー!俺全然そんな意識してなくて…!いや、待って、まずは1回遊びに行こうよ!」という回答をもらった。
そしてその通り、1度きりのデートではあったが「居心地いいし楽!めっちゃいい!」と言い始めてようやく付き合ってもらえることになったのだ。
いまだ彼の誠実だけど気まぐれ感があるという面に関しては何も分からないので、本当に何も考えてないのだろう。
まだ付き合っていることは私たちだけの秘密。
お客さんのシーシャを作りながら、咳き込み、一旦トイレへと向かう彼の背中を見て、彼のもうひとつの秘密が私の心にひたひたと忍び寄った。
それは黒くドロドロとした嫌なもののように感じる。
彼には、難病がある。
そしてその合併症である腫瘍を脳に抱えていた。
2年前に腫瘍は摘出したようだけれども、いつまた再発するかは誰にもわからない。
週に1度の通院と、朝晩には出なくなってしまったホルモンを補うための多量の薬。
毎朝必ず喘息の吸引をする。
こんなにも彼は素敵でいい人なのに、なぜ彼は痛みを抱えて生きていかねばならないのか。
しかし、私が彼に恋してしまった大きな理由は、不謹慎ながらもそこにあるのかもしれない。
180センチはある彼の背中が不自然に華奢すぎることに気づいてからすぐに、みるみる彼の綺麗な頬も痩せこけていった。
時折、彼の体調を心配していた当時の私は、まだ彼がそんな大きな秘密を抱えていることなど露も知らなかった。
咳き込んで、肺をさする彼の手に急激に増えるイボ。
前は気にも留めていなかったのに、今では一目でわかるほど斜視になった色素の薄い左目。
斜視は脳腫瘍の影響であると聞かされたのは、つい昨日のことだ。
すべてが心配で仕方なかった。
単純な心配から、気がついたら彼を探してしまう癖がついてしまったのかな、なんて思う。
それでも、ここ1ヶ月は調子が良さそうに見える。
彼自身も調子はいいと言うのでやはりそうなのだろう。
慌ただしい日常で、明るく気丈に仕事をこなす彼。
私の頭をまるで犬を愛でるみたいに撫でる彼。
公園に行って一緒にゆっくりしたいとせがむ彼。
ほっそいくせに、腹筋が割れてないからさらに痩せたい!もっと魅力的になりたい!と訳のわからないことを言う彼。
斜視になってイケメン枠じゃなくなったと悲観する彼。
好きで、たまらない。
彼との会話はいつもありがとうに溢れている。
私だって彼に感謝しているのに、それ以上に彼がありがとうと言うから少しもやっとする。
どのくらい一緒に居られるか分からない。
それでも、このガラス細工のような日々に彼が楽しそうにたくさん装飾をつけていくものだから、私は超合金で補強していってやると密かに心に誓っている。
自分のことで精一杯ってふと漏らしたあなたが、私をパートナーに選んでくれた。
それだけで私は幸せですよ。
私が告白してから、調子良さそうだね。
こっからまじ健康に、幸せにしてみせるから覚悟しろよおじさん。
いつも、どんなあなただって、私は大好き!
10/29 tiny love
1年半付き合った彼女に「半年前から恋愛感情がなくなった」と別れを告げられたのは1週間前のことだった。
同棲しているため、別れたから即他人というわけにはいかず、自分の社宅が決まるまでの間はシェアハウスの友人だと思って生活している。
別れても互いに同じ趣味であるシーシャを楽しめる人生の良き友人になれるほどには気が合っていたことが、救いであり少し虚しい。
半年ほど前からレスになった。
このまま結婚するものだと思っていたため、気にも留めていなかった自分が恨めしい。
彼女は日々楽しそうに仕事に向かっていた。
自分も常連であるシーシャ屋のバイトをしている彼女もまた、元はこの店の常連だった。
誰もが彼女を一目見て「綺麗だけどとっつきにくそう」だと答えるであろう、ミステリアスかつ気の強そうなアイラインが特徴的な長身の女性。
しかし話しかけてみると案外柔らかく、親しくなるにつれて天真爛漫に振る舞う彼女のギャップに店の常連やスタッフも自分と同じくやられていたと思う。
同じゲーム好きということで意気投合して、付き合えたことは奇跡に近かった。
ここ数ヶ月の彼女はスタッフとしても慣れてきて、常連達やスタッフともより親しくなったことで毎日鼻歌混じりにバイトをしていたし、楽しそうに常連やスタッフと連絡を取り合っていて安心していた矢先の別れだった。
「今日はどうだった?」
別れてからも、日課の会話は変わらない。
自分が店に行かなかった今日のシーシャ屋の様子を帰宅して薄明かりで夕食を食べる彼女に問う。
「タニとかカナエとか浩介とか来たよ。馬鹿みたいな会話で今日も笑ったー、タニもネットミームめっちゃdmしてくるし、ジョーさんも寂しいおじさんだから今もdmうるさい。てかジョーさん相変わらず体調悪そうだから病院行けって送ろーっと」
「たしかに、ジョーさん最近ずっと咳き込んでるよね。めっちゃやつれてるし、疲れてんのかな。てか、タニ来たなら僕も行けばよかった」
別れる前と何ら変わらない談笑の隅に、少しだけ違和感を覚えた。
ここ3ヶ月ほど、シーシャ屋のスタッフであるジョーさんと彼女はかなり親しい様子だった。
ジョーさんは天然そうで、とても優しい人のため、彼女と仲良くしてくれている様子をみて1人ほっこりしていた。
2人の人柄を考えるに、浮気など全く疑ってもなかったし、今も同じである。
しかし、特定の親しい人物をほとんど作ろうとしない彼女がかなりジョーさんに対して心を開いているとは感じていた。
それはジョーさんも同じで、彼も必要以上に他人に干渉しないスタイルを貫いていたが、よほど職場の後輩である彼女が気に入ったのか、毎日会話をした上で毎日dmを送っているようだった。
そこで、ひとつの仮説が自分の中に浮かび上がった。
「りんちゃん、最近ジョーさんと仲良いね。2人ともそんなに仲良くなるなんて珍しいじゃん」
「そうだねー、ジョーさんも私もマジで他人に興味ないから逆に何で仲良くなったのか不思議」
本当に不思議そうに、少し嬉しそうに彼女が答える。
そこに嘘は感じられなかった。
であるとするならば、次第に自分の中で仮説が確信へと輪郭を浮かび上がらせる。
少し躊躇ったが、この朧げな考えを彼女にぶつけてみることにした。
「ジョーさん、もしかして君に好意があったりとかするんじゃない…?あの人が毎日dmしたりとかしないじゃん普通」
彼女は少し間を置いて、静かに口を開いた。
「わからない。ジョーさんがこんなに関わってくるのって珍しいな、とは思うけど。面白いから絡み返してるけどさ」
後半は可笑しそうに答える彼女をしげしげと見つめたが、やはり嘘はなさそうだった。
明日常連のタニにネタとしてこの仮説を提唱してみるか、と自室に戻った。
内心少し複雑だが、あのジョーさんが…?という面白いネタを1人で抱えておくわけにはいかない。
翌日、いつもの店で煙を燻らせていると、仕事終わりのタニが暖簾をくぐって入ってきた。
「お、お疲れ様です」
大きな体躯が冬眠前のクマを彷彿とさせるタニが自分の横に腰掛ける。
「お疲れ。ねぇ、聞いてほしいネタがあるんだけどさ」
自分達が別れるという話と、ジョーさんの様子のおかしさをなるべく面白く、ネタとして伝えた。
「うん、はい」とか「うぇー!?」とかいいリアクションをタニから引き出せて、満足した。
面白いネタが好きな店だから、こうもいいリアクションをもらえると少し嬉しい。
ひとしきり話し終えた後で、タニが言いづらそうに口を開いた。
「いや…それ僕も思ってたんすよ、実は。最近ジョーさん様子おかしいよなって。やけにりんさんと親しげだし、りんさんがいる時テンション高くて珍しいふざけ方するしなって思ってたっす」
「やっぱタニもそう思う?いやー、仮説が確信に変わりつつあるねーこれは」
やはりか、という野次馬的な面白さが湧き上がってニヤけた。
僕としては彼女のこともジョーさんのことも好きだからこそ、どちらにも幸せになってほしいという気持ちが、複雑な心境に勝った。
彼女にこのことを伝えてみるかと意気揚々と帰路に着いた。
自宅に帰ると、彼女はアイスを頬張っていた。
どうやら僕の分も買ってきてくれているらしく、彼女は無言で冷蔵庫のある方向を指差した。
知覚過敏で歯が痛むのだろう、頬を抑えながら渋い顔で僕に声をかけた。
「おかえりー、どうだった?誰か来た?」
「いろいろ来たよ。てかさ、タニと話したんだけど、やっぱ絶対ジョーさん気あるよ」
彼女はすぐに昨日の件だと理解したらしく、目線をこちらに向けた。
「えー、タニも同じ見解なの?私はそんなことないと思うけど」
「うん、タニもほぼ確信だってさ」
ニヤニヤと答えた自分と同じく、彼女も面白がると思ったが、彼女の表情は動かなかった。
彼女は「ふうん」とだけ返し、またアイスを食べ始めた。
昨日とはまた別の些細な違和感に、僕は首を傾げた。
風呂から上がると、彼女はまだソファの上にいた。
珍しくゲームもせず、ただ彼女の好きなアーティストの音楽を流している。
「お風呂上がったよ。りんちゃん、入らないの?」
もう夜も更けてきたため、彼女に風呂へ入るよう促しつつ、彼女へと近づいた。
彼女の頬は濡れていた。
「え、どうしたの?何か嫌なことあった?」
彼女の涙のわけがわからず、狼狽える僕に、静かに彼女が口を開いた。
まず、ジョーさんはただ彼女を可愛がってくれているだけだということ。
ジョーさんからではなく、少し前から彼女がジョーさんへ片思いをしていたこと。
そして、その恋心については、誰にも、ジョーさん本人へも打ち明ける気はなかったということ。
また、ただ体調を崩していると思っていたジョーさんには難病指定の病気があり、彼女には打ち明けていたこと。
ぽつりぽつりと言葉を紡いだ彼女は、最後に「嘘はつけなかった、みんなのこと好きだから誰にも傷ついて欲しくないんだ」と呟き、ごめんね、と続けた。
謝罪は、僕に対しての申し訳なさからだろう。
やはり、ジョーさんが全く何の気無しに彼女にここまで気を許しているわけではないのでは?という仮説がまた浮上したところで、複雑だった心境がよりクリアになった気がした。
さて、僕が彼女の家に引っ越す時にジョーさんに引っ越しの手伝いを依頼したからには、別れたから社宅に越すための手伝いも依頼しようか。
少しずつ、優しく歩み寄り始めた2人の良き友人として。
9/27 涙の理由
俺は、年始から神社でちょっとしたバイトをしている。
俺の叔父は近所で小さいながらも由緒ある神社の神主だ。
近年外国からの観光客が増え、神社の人手が足りないことに加え、俺が大学で英語を専攻していることもあり「お年玉弾むからどうしても頼む」と頼み込まれたのだった。
大学が冬休みのため、俺はほとんど毎日を神社で過ごしている。
仕事は掃除や観光客へのちょっとしたガイドなどだ。
今日はかなり参拝客が少ない。
快晴で寒さもかなり和らいできているため、日光が心地よい。
穏やかに境内の掃き掃除をしている時だった。
「わたしのこえがきこえますか」
急に声が聞こえたような気がした。
いや、聞こえたという表現は正しくない。
正確には俺の耳には届いていない。
頭に直接流れ込んでくるようなイメージなのだ。
俺に霊感といった類いのものは皆無だ。
でも、直感的に嫌な感じはしない。
「わたしは、梅の木の精です。」
再び流れ込んできた言葉は、先程よりもより明確に感じ取ることができた。
梅の木の精…?
「ふふ、あなたには私の声が届いているようですね。
一年の時を経て、蕾たちが芽吹き始めました。
ようやく私も目覚めたところです。
あなたと、もっとお話がしてみたいのです…」
…この声の主はきっと、清らかな梅の女神様だろう。
この感じは…多分…
艶やかな黒髪で、涼しげな流し目の美人だ…
いや、きっとそうだ…
梅の木はたしか、本殿の裏手に一本だけだ。
俺は箒を片付けて浮かれる心を全面に出し、本殿の裏へと回った。
梅の木の前には、神々しい光に包まれた…
艶やかな黒髪の───
厚い胸板の、屈強な男が…
妖艶な…流し目で俺を見ている───⁉︎
3/2 芽吹くとき
ひとりブランコを漕ぐ僕の足元にボールが転がってきた。
少し離れたところから聞こえる、僕と同い年くらいの子達の声に弾かれるように僕はボールを手に取った。
渡してあげようと、ブランコから降りてこちらに走り寄ってきた彼らに近づく。
「これ…」
僕はボールを差し出す。
僕を視認できるところまで来た子供たちは、すぐに顔を青くした。
「おい、あいつだ!」
「うわぁ!また襲われるぞ!」
「バケモノ!」
渡そうとしたボールは行き場を失い、僕のちいさな体に収まった。
バケモノ、と呼ばれることにはずっと慣れていた。
僕には他の人たちとは違う、おかしな力があるから。
僕が彼らに手を伸ばせば、辺りの小石が浮き上がり、彼らを襲う。
さらに叫べば強風が渦巻き彼らの体を持ち上げる。
僕の力は、人を傷つけてしまう。
ひとりには慣れっこだけど、やっぱりさみしい。
ボールを抱えたまま、僕は再びブランコに戻った。
ブランコに座り、うずくまっていると頭上から声がかかった。
「きみ、友達と遊ばないの?」
遊んでくれる友達ができるならどんなにいいだろう。
少し頬を膨らませて顔を上げると、僕よりずっと背の高い、きれいなお姉さんが立っていた。
「僕はバケモノだから、友達なんてできないよ。」
「ふぅん。まぁ、でも友達を作ることが全てじゃないよ。」
ふふ、とお姉さんは笑い、僕の隣のブランコに座った。
大人のお姉さんは友達なんていなくても、ひとりで生きていけるのかな。
僕は友達がほしいけど。
でも、笑ったお姉さんはとてもさみしそうに見えたから、僕は何も言わない。
「バケモノ、か…」
「うん。僕には変な力があるから、この里の大人も子どもたちも僕のことをバケモノって呼ぶんだ。」
空をぼんやりと見ていたお姉さんが、僕を見た。
僕は驚いた。
僕のことをこんなに優しくて、さみしそうに見る人は今までいなかったから。
お姉さんは、僕を見つめたまま静かに口を開いた。
「じゃあ、きみは私と一緒だね。」
そう言ったお姉さんの黒くて大きな目が、一瞬真っ赤に染まった気がした。
どうして、と聞き返す前に、お姉さんはスッと立ち上がった。
ふふ、とお姉さんはまた笑い、僕を振り返る。
「きみが大人になった時に、また会いにくるよ。
きっとその時は、きみは私のことをバケモノだと怖がるかもしれないね。」
お姉さんの大きな手が、僕の頭をくしゃっと撫でた。
ふわりと踵を返し、お姉さんは去っていく。
僕が大人になれば、お姉さんがバケモノであるという秘密を知ることができる、という意味だろう。
生まれて初めて、他人に怖がられずに話すことができた。
人の温かさを知ったのも初めてだった。
バケモノ、と罵られるよりも、お姉さんとまた会える日がずっと先になることのほうがずっと、かなしかった。
2/3 やさしくしないで