人類が宇宙を開拓し、地球外の星々にも文明が根付いてもうかなり経った。
科学技術は大きく発展し、太陽系から遠く離れた星にさえも国がある。
そんな今、宇宙史に残る未曾有のパンデミックが宇宙全体で巻き起こっているのだ。
私は、宇宙軍第7部隊に属する軍人である。
軍の指揮系統は、パンデミックのせいで長らく混乱状態にあった。
よって私は、半年前に現地調査のため派遣された、このカナル星雲でひたすら指示を待たねばならないという状況に陥っている。
パンデミックという呼び方は、前例のない症例だからそう呼称されているだけである。
“それ”に感染した者は、人間もアンドロイドなどの機械も自我を失い、全てを破壊したいという衝動に駆られる。
周りに破壊できる人間や物がなくなるまで、感染者は暴徒と化す。
そして、最後には自己破壊行動に走る───
ただのパンデミックならば直ちに収束しただろう。
しかし、全くもって未知のアルゴリズムで引き起こされる破壊衝動は、どうやら軍上層部にも及んでしまったようだ。
軍人といえど、指揮がなければ末端の我々は機能しない。
数日前の連絡を最後に、司令部からの連絡が途絶えた。
基地にいても安全とは限らないし、何より情報が遮断されていては困るので、私は市街地に出てみることにした。
カナルの中心街はいつもの活気をなくし、閑散としている。
通行人はまばらに見えるが、人々の噂話の声は不安や焦燥感といった物悲しさに震えていた。
近隣の星系は全滅、隣の星は血の海、仕事のために別の星系に行った息子が帰ってこない───
国も、軍も、もはや打つ手がない。
このままこの宇宙は砕けたガラスのように散っていってしまうのだろうか、という無力な寂しさが私の足を止めた。
街路樹にもたれかかり、しゃがみ込んでいると頭上から声をかけられた。
「ねぇ。君、軍人なんでしょ?」
男性にしては高めの、透き通った声だった。
白衣を纏ったその人は、肩上で切り揃えられたオリーブ色のボブヘアーをさらりと耳にかけ、輝かしい青色の瞳で私を見つめている。
アンドロイドと見紛うほどに中性的な美しい人だった。
否、アンドロイドかもしれないが。
「あぁ…そうだよ。私は第7部隊所属のシュガー。」
助けを乞うために軍人と思しき私に声をかけたのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
彼は、ちょうどいい、と満足そうに頷いた。
「僕はソルト。カナル軍第3研究室で医学研究をしてる。ここ数年あのパンデミックについて研究していたんだけど、どうやらこの非常事態、現代技術じゃ収束させることは不可能らしい。」
ソルトは自己紹介をしながら、彼の首にかかっている社員IDを見せた。
カナル軍の第3研究室は、宇宙の叡智と呼ばれるほどの優れた研究者が集う軍付属の研究チームである。
ソルトの社員IDには、その中でも特に優れた功績を残したエリートの証であるバッジがついていた。
軍付属チームであれば、軍の話をしても許される。
私は立ち上がりながら、こちらの状況を告げた。
「あぁ、残念だけどその通りだろうね…本部の指揮系統も潰えたんだ。もう収拾がつかないほど、アレは宇宙に拡大している…」
そこで、だよ、とソルトは楽しそうに笑い、グッと私の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、シュガー。
僕と君、2人で一度、未来に行かない?」
突拍子もないことを言う人だな、と思いつつ、ソルトの言葉を反芻する。
彼は「現代技術では収束は不可能」だと言った。
「つまり、ソルト…君は未来でこのパンデミックを収束させる術を見つけて、その上で過去に戻って…」
ソルトが目を輝かせて大きく頷く。
「その通り。未来の技術なら、アレの原因を探り、収束させることができるかもしれないからね。
ただし、ある程度の科学技術の発展と文明変異の予測論文は発表されているけど、正確な未来の世界なんて誰にもわからない。
だから未来の世界で、僕の身を守ってほしい。」
ま、未来に行ったところで宇宙滅亡しちゃってるかもしれないけどね、とソルトはまたもや楽しそうに笑い、
私の手を握りしめた。
その美貌のあまり、初めはアンドロイドかと思ったが
私の手を握る彼の手は確かに、あたたかかった。
もし、私が今後も基地に滞在したとしても正直なところ何もできることはない。
私が未来の宇宙へ同行しなければ、ソルトはこの混沌とした世界にたったひとりで立ち向かうつもりなのだ。
そしてその彼はこの宇宙の未来を変え得る力を持つ、
未来への鍵である。
私はソルトの手を握り返し、応えた。
「私の命に代えても、君を守ろう。」
嬉しそうに目を細めたソルトは、エメラルドのように麗しく輝いた。
1/10 未来への鍵
1/10/2025, 2:02:32 PM