こっこ

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8/9/2024, 10:22:28 PM

上手くいかなくたっていい


仕事を辞めた。長く大手引っ越し会社で働いてきたが、腰を悪くして治療で通っていた病院の先生にも、「これ以上、無理は出来ませんね。」と。
知り合いのつてで、先月まで飲食店だったお店が閉まり今なら居抜きで安く始められると紹介された。
駅近で立地も良い。
大学生の頃、飲食店で厨房も接客もレジ締めも経験がある俺は、これはチャンスかも知れない…と、妻に相談する前に即決していた。
夜泣きをする長女をあやして、リビングのソファーに腰をおろした妻に冷蔵庫のルイボスティーをグラスに注いで渡した。
「ありがとう。夜泣きも大変だけど…これも成長のあかしらしいね〜あともう少しの辛抱かなぁ。」
実は…と、例の飲食店の話をしたら、少し間があってから「いいと思うよ。あなた昔、自分のお店持ちたいって話してくれたことあったものね。」
倹約家の妻が、コツコツと貯めてくれていたまとまったお金を嫌な顔ひとつせず通帳ごと渡してくれた。
それからが、大変だった。
いくら居抜きとはいえ厨房の掃除やら古いレジの入れ替えや、クロスの総張替え、食器の調達、食材の仕入れ先の確保、スタッフの募集に面接、飲食店に必要な資格は2つとも持っていたのは自分でも幸いしたが、保健所や消防署など行政機関への届け出などでお店のOPENまで、体がふたつ欲しいと何度も思った。
この店が、潰れることになったら…俺達家族は…と不安もよぎった。
青ざめて目にくまもできた顔で、妻に、素直にそのことを話した。彼女は言った。
「そんなに。頑張りすぎなくていいよ。私はいつだってなんとかなると思って生きてる。お店だって繁盛するに越したことはないけれど、上手くいかなくたっていいじゃない!」
ずっと重くのしかかっていたものから、解放されて不覚にも涙を流していた。
妻の優しい言葉が有り難かった。救われた。
この店に人生をかけよう!と意気込んでいたけれど、今は肩の力を抜いて、なるようになるさと失敗を恐れたりしない。
目の前が段々と明るくなる気がした。
最近、ケラケラと大きな声を出すようになった長女の心乃葉がケ・セラ・セラと笑ってるように見えた。
OPENまでは後少しだ。
家族が俺の背中を優しく押してくれた午前3時。
残暑の厳しさからも抜け出して、秋が少し顔を覗かせた。

8/9/2024, 9:15:00 AM

蝶よ花よ


「ママ、いつまでも元気でいてよ。」
常連のハンチング帽がお似合いの、仁さんがお会計を済ませて帰り際、カウンターの和代ママに声をかけた。
駅前からちょっと裏道に逸れた場所にスナックを構えてもう30数年、客足が絶えないのはひとえにママの人柄だと皆口を揃えて言う。
「私なんてね、この土地に流れ着いた正体不明の怪物なのよ〜。」とガハハと笑う豪快な様も、大柄な体型にマッチしていて可愛らしくて憎めない。
初見のお客様には、オーダーが入る前にキンキンに冷えた生ビールや、角ハイボール、焼酎の梅割り、レモンサワー、時には山崎のロック…お客様もびっくりする位、今日の気分のお酒が一杯目になる。
もう、占い師も心理学者も敵わない。神業だ。
ママは決まって、「何か、そういう顔して入ってらしたから。」「ヤマ勘!ヤマ勘!当たったからママにも一杯サービスしてね〜。」とおねだりも忘れない。
ただ、おつまみに関しては決して充実しているとは言えないが、ママが気まぐれに急に作リ出す焼きそばや、キャベツと卵だけのお好み焼き風のそれや、じゃがいもの明太子炒めなんかも、イレギュラーだから、それにありつけた日のお客様は皆、飼い慣らされたワンちゃんよろしく嬉しそうに頬張る。
「私はお料理が苦手だから、男の人はみんな愛想つかして逃げちゃうのよね〜。やっぱりいい女ってみんな料理上手!真逆よ〜。」
「ママ俺、料理上手だから通ってあげるよ~。」
なんて冗談とも本気ともとれる、トラック運転手の城さんには、急に真顔になって
「わたし、もう男はこりごり…ひとりが一番。」
「こんな私でも、子供の頃は蝶よ花よで甘やかされてワガママ娘で大変だった頃もあったのよ〜懐かしいわ~。」
と、お客様がついでくれたサッポロ黒ラベルの冷えたビールのグラスを呑み干すママは、どこか寂し気に見えたりもする。
そんな時ママは決まって大好きな煙草を燻らせて、「煙くない?ごめんね〜、やっぱりハイライトはやめられないわ~。」
そして、「禁煙なんてクソ喰らえ!あ、健ちゃん禁煙中だったわね!失礼〜。うちのお店では煙はお酒のスパイスだと思ってね〜ヨロシク♡」
と、お茶目にウインクをするママは、ヘビースモーカーの怪物だけど、やっぱり憎めない。

8/8/2024, 2:12:00 AM


最初から決まってた


歌声には自信があった。町内会の盆踊り大会の、のど自慢では子供ながらに、いつもトロフィーを手にしていた。
カラオケで友達の前で歌う度に「瀬奈!絶対歌手に向いてる〜」と言われた。
その時々に流行する、特に若い世代に響く歌を好んで歌った。家で寛ぐ時などは、EDMもクラシックもJAZも耳障りが良くて聴いている。もちろんロックも。
母のお腹の中にいた時から、音楽は私の側にあり、まさにノーライフ、ノーミュージック。音楽に恋している高校1年生の女子である。
歌姫にも憧れがあって、母の影響か海外アーティストではホイットニーヒューストンやリアーナ、シャーデーの歌声が好きだ。日本でも、UAや椎名林檎、宇多田ヒカル、昭和歌謡の80年代アイドルも大好きだ。
解散してしまったBiSHのアイナ・ジ・エンドの歌声は親子で虜になってしまった。
たまたまTVで観ていた、カラオケの採点で王者を決める番組に「出てみれば?」の、母の一言で出演を決めた。
選んだ曲は、Adoの新時代だ。
駅前のカラオケ店に通い詰めて、99点を何度も叩き出した。歌はずっと自己流だったので、アルバイトで貯めたお金でボイトレにも通った。
本番当日。控室に通された私は、同じ高校生の出演者を目の当たりにして、少し緊張していた。
仕事だった母も会場には来れなかったので、付き添いなしは私ひとりだけだった。
歌う前は、がんばれ!わたし!と自分を鼓舞した。
出場者の中でも、取り巻きというのだろうか…スーツ姿の男性と世話役の母親らしき人総勢5人に囲まれた女子がいた。制服姿が多い出場者には珍しく、どっしりと構えた着物姿が印象的だった。
本番がスタートした。皆90点超えの接戦となった。
司会のタレントが、その着物姿の女子にだけ妙に馴れ馴れしい感じがしたのは、私だけだろか…。
その娘は、堂々とした歌いっぷりは良かったものの、抑揚があまりなくせっかくの演歌なのに少し残念な歌声だった。その娘の後に歌った爽やかな男子の、スキマスイッチの奏の方がとても響いた。
トーナメント制で勝ち抜き一騎打ちになったのは、私とその娘だった。
先発で歌ったその娘は音を、置きにいくような単調な歌声に感じたけれど、安定感というやつなのか、99.78という高得点を叩き出した。
負けたくない。私も決勝では勝負曲の宇多田ヒカルのFirst Loveを熱唱した。会場の拍手が嬉しかった。
しかし…結果は惨敗…。97.58という点数だった。
これが現実なのかな、と肩を落として帰り支度をしていた。TV局のトイレで私服に着替えて廊下に出たその時に見てしまった。
今日はありがとうございました〜とその番組のお偉いさんに、菓子折りと封筒を渡すスーツ姿の取り巻きの姿を。
控室からのそのトイレ前は丁度死角になっていた。
最初から決まっていたんだ!
なんだ出来レースだったのか…。TVの裏側と権力を見せつけられた気がした。
後で噂で聞いたが、あの娘はTVの関係者の親戚で地方の地主らしく県庁にも顔が利いて、子供の頃からのど自慢荒らしと言われて有名だったらしい。
私はどこ吹く風で、今もオーディションに通う日々だ。
返って反骨精神が宿ったらしい。
もし、この先夢が叶って有名なアーティストになった暁には、「あのタレントとエラが張ったプロデューサーの番組はNGで!」と声高らかにマネージャーに宣言するつもりだ。
がんばれ!わたし!

8/6/2024, 8:02:41 PM

太陽

結婚して、中々子供が授からなかった私達夫婦に念願の赤ちゃんが誕生した。
太陽のように明るい女の子に育って欲しいと、名前を陽菜子と名付けた。
陽菜子は活発な女の子で、男の子に混じって外遊びが大好き、スポーツ大好きで健康でのびのびと育ってくれた。
お転婆だったから、ボール投げした先のお宅のガラス戸を割って、菓子折りを持って謝りにいったこともある。
相撲で相手の大輝くんを投げ飛ばして、打ちどころが悪く捻挫になり、これまた親子で謝りに出向いた。
とにかく体を動かすことが大好きで、小学校ではミニバスケ、高校ではサッカー、大学ではハンドボール…どうも球技が得意らしい。
そんな娘の活躍を、夫はいつもそっと見守ってくれていた。ひとりっ子だからと、甘やかすことはなく礼儀に厳しかった。アメフト部でキャプテンを務めた体育会系の血筋は陽菜子に遺伝したのかもしれない。
そんな似たもの親子の夫が、倒れたのは陽菜子が大学1年の冬。くも膜下出血だった。夫の死はあまりにもあっけなかった。
泣いている暇も無いほど、葬儀の準備に追われた。
初七日も済ませ、抜け殻のように沈んだ様子のわたしを見て、「お母さん、大丈夫だよ。窓の外を見て、太陽があんなに輝いてる。空もこんなに広い。お父さんがいなくなってどうしようもないほど寂しいけれど…私がいるじゃない!一緒に生きていこうよ…お父さんの分まで。泣きたい時は思いっきり泣いていいんだよ。お母さん。」
そう言って笑顔を見せた陽菜子は、太陽のように眩しく頼もしかった。
冬から春に近づく気配がした。太陽が高く高く昇っていた。

8/5/2024, 9:48:04 PM


鐘の音


娘が高校生の時、取っ組み合いの喧嘩になった。今では理由はわすれたが、仲直りの後に「ママとどこか行きたい。」と言われ、選んだ場所は小江戸と呼ばれる川越だった。
駅から歩いてすぐに、タイムスリップした街並みがあった。面白いお店屋さんも並んでいた。
埼玉名物のお芋を売るお店で小腹を満たし、お昼はちょっと贅沢して鰻を食べた。
一杯のかけそばってあったけれど、一人前の鰻重を半分ずつ頂いた。さすがに飲み物は2つオーダーして。
ひとり親で育ててきたけれど、旅行など連れては行けず、お給料日後の映画館が一番のイベント。
そんな生活だった。
だから娘の真美は川越のサプライズをとても喜んでくれた。
露天のおじさんが売っていた、オレンジの針金で器用に作られた手のひらサイズの自転車をお土産に買った。
大人になっても、大切に机の本棚に飾られていた。
川越から帰る頃、夕方になって鐘の音が響いた。
時の鐘と言って一日のうち4回鳴るらしい。腕時計は6時を指していた。
情緒溢れる小江戸を後にして、電車に揺られた。
窓を見ながら私は、これから先、鐘の音を耳にする度に時の鐘を思い出すのだろうか…。そんなことをふと思った。
窓に映る娘の横顔も微笑んでいるようにみえた夜の西武線。
頭の中で小さく鐘の音が鳴っている気がした。

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