鯖缶

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3/12/2023, 2:44:17 AM

久しぶりに重なった休日、ソファに並んで座り、それぞれスマホでわたしはインスタチェック、彼はゲーム。ローテーブルには色違いの大きなカップで、わたしは砂糖がたっぷりのコーヒー牛乳、彼は薄めのブラックコーヒー。お互いスマホの音は出さないのでカチカチという時計の音と、時折アパートの外を通る車の走行音だけが聴こえている。
インスタ巡りに一段落し、わたしは目を閉じてぽてんと彼の肩にもたれ掛かる。
「なんか、」
ぽろりとこぼれた言葉に「ンー?」と彼が応える。
肩からぬくもりとスマホを操作する小刻みな振動が伝わってくる。
「平穏な日常って感じで、幸せ。」
肩から伝わる振動が止まる。
「たった今、平穏じゃなくなった。」
思いの外はっきりとした彼の返事に「へ?」と、
頭を起こし掛けるが、肩を押され背中からどさりとソファに倒される。
そのまま覆い被さるように、彼の顔が目の前に迫る。
「君が誘ってくれたから、穏やかな気分じゃなくなった。」
「や、さ、誘ってないし!」
「でももう誘われちゃったから。」
彼の手が、するりとわたしの腰を撫でる。
「も、もう、仕方ないなぁ!」
頬が熱を帯びるのを感じながら、わたしはできるだけ不本意に見えそうな顔をして彼の首に腕を回すのだった。

3/11/2023, 5:56:17 AM

「メグミさん、ちょっとお話があるんですが…。」
名前にさん付け、下手に出た話し方、つまり悪い話だ。メグミは「は?」と不機嫌丸出しになりそうな返事をぐっと堪え、「なあに? カズヒラくん。」と今できる最高の笑顔を向ける。結婚式まであと2日、こんな時に揉めたくない。
「結婚式で参列の人たちに配るプチギフト、頼んだじゃん?」
プチギフトはメグミが体型に気を使いながらも自ら食べて、吟味に吟味を重ねようやく決めた焼き菓子の詰め合わせだ。メグミは血の気が引いた。
「え? まさか手配できてなかったの? 申し込みしたって言ってたよね?」
「いやいやちゃんと参列者に行き渡るだけ、すっごい美味しそうなお菓子が届いたよ!」
「じゃあ、何?」
メグミは訝しげに首を傾げる。
「パッケージの名入れが、ね…。」
カズヒラがスマホを操作し、画面をメグミに向ける。
《ありがとう》
《LOVE & PEACE》
「はぁ!?」
先程堪えた言葉が、更に勢いを増してメグミの口から飛び出す。
クッキーが整然と収まった、サイコロ状に作られたプラスチック製のケースの表面に貼られたシールにそれは印字されていた。
「なんでこうなるのよ!確認のメールも届くでしょ!?」
「うん、届いてたんだけどね…その手違いというか…」とメグミの剣幕に圧倒されたカズヒラはビクビクしながらまたスマホを操作し「ここなんだけど」と画面を指差す。注文フォームの備考欄にパッケージシールのメッセージと二人の名前が入力されている。
「ん?」
《愛と平和 ローマ字でお願いします。》
「その後、確認のメールが来てたんだけど、色々忙しくて、ちゃんと見てなくて…。」
メグミはがっくりと肩を落とす。これは手違いではなく完全にこちらの説明不足と確認ミスだ。
メグミは『愛』と、カズヒラは『和平』と書く。
「どこの音楽フェスか、感動系長時間生放送で配るのよ…。」
打ちひしがれる愛に「まあ、ほら、全然的外れって訳でもないし。」と励ますように言った和平は、「あんたが言うんじゃない!」と早急にシールの手配を言いつけられるのだった。

3/10/2023, 3:34:05 AM

友人たちの姿が見えなくなると、千沙都は振っていた手を力なく落とし、項垂れるようにバス停のベンチに座り込んだ。
(わたし、何してたんだろ…。)
高校生活も残り半年となり、一緒に遊んでいた友人たちが次々進学や就職へ向けて人生の駒を進めていく。
(みんな、まだ何にも考えてないって言ってたのに…。)
一人になると、さっきまで一緒にいた友人たちとの会話が勝手に脳裏に流れ始める。
『実は結構前から試験対策始めててさ。』
『あたしもお兄ちゃんに面接の話とか聞いたー。』
『あー、やっぱ流石に心配になるよね。』
『チサは? やっぱり成績いいし、進学するの?』
『うん、そう、ね…やっぱり進学かなぁ。』
『山下さんは国立大目指すんだって。』 
『へぇ、そうなんだね。』
いつも一緒にいて、同じ気持ちや時間を共有していたはずなのに。
(普段、山下さんとなんか話さないじゃん。)
焦りといらだちと情けなさがごちゃまぜになって胸や頭をざわめかせ、それを振り払うように目をギュッと閉じたときだった。

「無為に過ぎ去った日々を取り戻したいとは思いませんか?」

千沙都はベンチから飛び退いた。
ベンチの真後ろにはにこやかな表情をしたスーツ姿の男性が立っていた。
千沙都は通学バッグを胸の前で抱きしめるように持つと、いつでも走り出せるよう身構える。
「何…何ですかあなた。」
トキナガと申します、と男は紙を差し出したが千砂都に受け取る気がないのを見て取ると「ではこちらに置いておきますね」とそれをベンチの隅に置く。
「過ごした日々を後悔されていたご様子でしたので、お声を掛けさせていただきました。」
千沙都は何も言わず男を睨みつける。遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえた気がした。
男はニコリと笑い、話を続ける。
「私共は皆様が人生に悔いのないよう、より良い時間を過ごせるよう、その手助けをさせていただいておりまして。方法は簡単です。こちらの」
男は先程ベンチに置いた紙を手で示す。
「QRコードからアプリをインストールいただきまして、あとは案内に従って戻りたい年月日をご入力いただけば、そこからの人生をやり直すことができるのです。」
千沙都はちらりとベンチの上の紙に目を向ける。足が一歩前に出る。また誰かが呼ぶ声がする。
「お支払い方法ですが、お客様の現在の残りの寿命から、戻った年数×1.3倍の年数を引かせていただくことになっております。」
1年前に戻るとしたら1年3ヶ月と17日ほどになります、と男がベンチの上の紙を取り上げ千沙都に改めて差し出す。
それは“時間屋 時永 智”という文字と見慣れたQRコードだけが印字された名刺だった。
千沙都の右手が、身を守るように抱えていたバッグから離れおずおずと名刺に近づく。
名刺を凝視している千沙都は男の口元に今までと違う笑みが浮かんでいることには気づかない。
千沙都の手が名刺に触れる。

「チサ! チサ!」
肩を揺すられ目が覚める。
「あ…?」
「こんなとこで寝て、風邪引くよ! ってか危ないよ! ヤバいおじさんとか来たらどうすんの!」
ここで手を振ったはずの友人の真顔が目の前にあった。千沙都はバス停のベンチに座っている。
「え? スーツの人、いなかった?」
「スーツ? 誰もいなかったけど…何かされたの!?」
友人は千沙都の両肩を掴み、鬼気迫る顔を近づける。
「ううん、何でもない。大丈夫だよ。でも、どうしたの?」
「何が?」
「だって、さっき別れたばっかりなのに、戻ってきてくれたんじゃないの?」
友人は一瞬、間の抜けたような顔を見せると、千砂都から体と目を離し「なんか変だったなぁと思って。」と呟いた。
その言葉と表情に千沙都の心がふわっと軽くなる。
日々は無為に過ぎ去ったわけじゃない。
「ごめん、心配かけて。」とはにかんだ笑顔で話し出した千沙都の足元では小さな紙が風に巻かれて飛んでいった。

3/9/2023, 9:43:09 AM

父がツボを買った。
幸せが入っているツボだというが、中身は空だ。
父は嬉しそうに「幸せは目には見えないからな」といった。母も、妹も笑った。
わたしも口角を上げて同じような顔をした。

わたしたちはお金より大事なものを知っている。
でも、なぜだろう。
わたしは、何か大事なことを知らないような、そんな気がするときがある。

3/8/2023, 4:53:11 AM

眩しさに目が覚める。
窓の向こうに白く輝く丸い月が見えた。
少しだけ眠るつもりが、寝入ってしまったようだ。
そのままぼんやり月を見ているとさっきまで見ていた夢の断片が頭をよぎる。
(ラノベみたいな夢だったな。)
銀の狼、迷宮、魔剣、そして月の化身のような女性。
(月明かりのせいだったのか…?)
身体を起こし、ビールでも飲もうと冷蔵庫を開けようとして、昨日の夜に最後の一本を開けたことを思い出す。
外は風もない月夜だ。俺は財布を手に取る。
(公園で月見酒と洒落込むか。)

コンビニで気が変わり、俺は日本酒のワンカップを2本持ちながら公園に向かっていた。
(月と呑む、みたいな漢詩があったんだよなぁ。)
公園には誰もいなかったが、月に明るく照らされているせいか近寄りがたい雰囲気はまるでなかった。
俺は目の前に月が見えるベンチに腰掛けると、ワンカップの蓋を開け、こっそりと月に献杯した。

あまり飲み慣れない日本酒をちびちびと舐めるように飲んでいると、公園に人影が現れた。
影の大きさからして男のようだが、ずいぶん足取りが乱れている。
関わり合いになる前に立ち去りたいところだが、酔っ払いのような人物がいるのは公園の出入り口だ。
下手に動いて存在を悟られるよりじっとしているのが得策と、俺は男の動向を見守ることにした。

「でっさぁ、付き合ってるわけれもないしぃ…」
やはり男だった酔っ払いは俺の隣りに座り、もう一本のカップ酒を飲みながら、女友達に怒られて部屋から追い出された経緯を呂律の回らない舌で語っている。
「その子君のこと好きなんだって! 絶対そう!」
俺は慣れない日本酒でかなり楽しい気分になっていたので、全く知らないその男と普通に話していた。
「いや好きはいいんすよぉでも夢で見た女の子がかあいかったっていっただけでそんな怒りますぅ?」
「夢の子って、どんな子だったの?」
男はちょっと迷って「引かないでくださいよぉ」と前置きをすると「月の女神みたいな子だったんすよぉ。」と恥ずかしそうに言った。
俺は思わず「え?」と男を見つめる。
「それも、その子ってオレなんです。オレがその月の女神ちゃんなんですけど、実はフェンリルっていうでかい狼で。」
「うん、それで?」
「あ、こういう話好きなんすかー。引かれなくてよかった。」と男は話を続ける。真っ暗な場所で苦しかったこと、目の前が開けて男が来たこと、食べようとしたこと、そして女性の姿に変わったこと。
男はふにゃふにゃと話を続けているが、俺は冷水をぶっかけられたように酔いから醒めていた。
「どしたんすか、顔色おかしい色ですけど?」
「夢だ。」
「はい、夢の話って言ったじゃないすか。」
「これも夢だ。」
「え? これ夢なんすか?」
じゃあこれから自分ち帰るのメンドいんでお兄さんち行っていいすかと男が腕を掴んでくる。
そうだ、全部、月夜の夢だ。
そうして俺は公園の酔っ払い男と肩を組み、月の女神について熱く語り合いながら帰路についたのだった。

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