友人たちの姿が見えなくなると、千沙都は振っていた手を力なく落とし、項垂れるようにバス停のベンチに座り込んだ。
(わたし、何してたんだろ…。)
高校生活も残り半年となり、一緒に遊んでいた友人たちが次々進学や就職へ向けて人生の駒を進めていく。
(みんな、まだ何にも考えてないって言ってたのに…。)
一人になると、さっきまで一緒にいた友人たちとの会話が勝手に脳裏に流れ始める。
『実は結構前から試験対策始めててさ。』
『あたしもお兄ちゃんに面接の話とか聞いたー。』
『あー、やっぱ流石に心配になるよね。』
『チサは? やっぱり成績いいし、進学するの?』
『うん、そう、ね…やっぱり進学かなぁ。』
『山下さんは国立大目指すんだって。』
『へぇ、そうなんだね。』
いつも一緒にいて、同じ気持ちや時間を共有していたはずなのに。
(普段、山下さんとなんか話さないじゃん。)
焦りといらだちと情けなさがごちゃまぜになって胸や頭をざわめかせ、それを振り払うように目をギュッと閉じたときだった。
「無為に過ぎ去った日々を取り戻したいとは思いませんか?」
千沙都はベンチから飛び退いた。
ベンチの真後ろにはにこやかな表情をしたスーツ姿の男性が立っていた。
千沙都は通学バッグを胸の前で抱きしめるように持つと、いつでも走り出せるよう身構える。
「何…何ですかあなた。」
トキナガと申します、と男は紙を差し出したが千砂都に受け取る気がないのを見て取ると「ではこちらに置いておきますね」とそれをベンチの隅に置く。
「過ごした日々を後悔されていたご様子でしたので、お声を掛けさせていただきました。」
千沙都は何も言わず男を睨みつける。遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえた気がした。
男はニコリと笑い、話を続ける。
「私共は皆様が人生に悔いのないよう、より良い時間を過ごせるよう、その手助けをさせていただいておりまして。方法は簡単です。こちらの」
男は先程ベンチに置いた紙を手で示す。
「QRコードからアプリをインストールいただきまして、あとは案内に従って戻りたい年月日をご入力いただけば、そこからの人生をやり直すことができるのです。」
千沙都はちらりとベンチの上の紙に目を向ける。足が一歩前に出る。また誰かが呼ぶ声がする。
「お支払い方法ですが、お客様の現在の残りの寿命から、戻った年数×1.3倍の年数を引かせていただくことになっております。」
1年前に戻るとしたら1年3ヶ月と17日ほどになります、と男がベンチの上の紙を取り上げ千沙都に改めて差し出す。
それは“時間屋 時永 智”という文字と見慣れたQRコードだけが印字された名刺だった。
千沙都の右手が、身を守るように抱えていたバッグから離れおずおずと名刺に近づく。
名刺を凝視している千沙都は男の口元に今までと違う笑みが浮かんでいることには気づかない。
千沙都の手が名刺に触れる。
「チサ! チサ!」
肩を揺すられ目が覚める。
「あ…?」
「こんなとこで寝て、風邪引くよ! ってか危ないよ! ヤバいおじさんとか来たらどうすんの!」
ここで手を振ったはずの友人の真顔が目の前にあった。千沙都はバス停のベンチに座っている。
「え? スーツの人、いなかった?」
「スーツ? 誰もいなかったけど…何かされたの!?」
友人は千沙都の両肩を掴み、鬼気迫る顔を近づける。
「ううん、何でもない。大丈夫だよ。でも、どうしたの?」
「何が?」
「だって、さっき別れたばっかりなのに、戻ってきてくれたんじゃないの?」
友人は一瞬、間の抜けたような顔を見せると、千砂都から体と目を離し「なんか変だったなぁと思って。」と呟いた。
その言葉と表情に千沙都の心がふわっと軽くなる。
日々は無為に過ぎ去ったわけじゃない。
「ごめん、心配かけて。」とはにかんだ笑顔で話し出した千沙都の足元では小さな紙が風に巻かれて飛んでいった。
3/10/2023, 3:34:05 AM