鯖缶

Open App
3/2/2023, 12:48:33 AM

人気のない薄暗い路地裏で君と僕は対峙する。
「僕は、君に対して抗えないほどの欲望を感じている。」
君はじっとこちらを見つめたまま動かない。
「わかってる…君が話せないにも関わらずこんなことをわざわざ言うのはただの自己弁護のようなものだと。」 
君の目が僕の心の奥を見通すかのように細まる。
「君を初めて見かけてからもう一年以上になるんだ。僕は君に会いたくて、君を見かけた場所に足繁く通うようになったし、君も次第に僕のことを認識して距離は縮まったように思う。」
僕は少しずつ君との距離を詰めていく。君の体がピクリと震える。
「まだ、駄目なのかい。」
君は僕の一挙手一投足を注視しながらも、じりじりと後ずさる。
「僕は君に、」
その瞬間、君の身体はしなやかに躍動し僕の前から姿を消した。
「触りたいだけなんだ…。」
人気のない薄暗い路地裏で、僕は一人項垂れる。
今日も逃げられてしまった。
気品と愛らしさ、そこに鋭さを兼ね備えた僕の運命の野良猫、クイーン(仮)に。

3/1/2023, 8:37:44 AM

駅に着くと、大きな汽車がもうもうと黒煙を吹き上げている。発車の時刻が近いようだ。
「これが君の身分証だ。」
そう言って渡された丈夫そうな小さな紙にはわたしの写真が載っていた。
「リファ、フォークナー…?」
「君は俺の妻ということに…、いや、正式に妻になっている。」
「つま…妻!?」
わたしは意味を理解して瞬時に顔が熱くなった。
そんなわたしを見て、シンは「ははっ」と声を出して笑った。それは初めて見た彼の笑い顔だった。
「移動するための措置としても確かな身分を手に入れるためにも、手っ取り早かったんだ。」
「そ、そうなんだね。」
妙に慌ててしまった気恥ずかしさと同時に、嬉しさが込み上げてきた。紙の上のこととはいえ、自分に家族ができるなんて!
「その身分証と」
言いながらまた小さな紙をわたしに渡してくる。
「この切符。この2つがあれば、かなり離れた遠くの街まで行くことができる。」
「すごい…。」
まさか本当に、この街から離れることができるなんて。涙で視界がぼやけてくる。
「その街に着いたら、」
「うん。」
「その身分証はもう必要ない。」
「え?」
「すぐに捨てて、今からいう場所を訪ねろ。」
「え…捨て、訪ねろって、シンは一緒じゃないの?」
「俺はまだすることがあるから一緒にはいけないんだ。」
その後黙り込んでしまったわたしのことなど気にもせず、彼は訪ねるべき場所とそこで伝えるべきことをわたしに言い含めた。紙には書けないから、しっかり覚えるようにと。
わたしは彼に追い立てられるように汽車に乗り込んだ。涙を堪えるのに必死のわたしに対し、彼は終始微笑んでいた。

「シン。」
汽車の窓を開けて彼を呼ぶ。
「リファ、君はこれから新しい人生を手に入れることができる。だから、遠くへ行くんだ。君のことを知る人のない遠くの街へ。さようなら、リファ。」
彼はそう言って右手を差し出した。
わたしはその手を両手で握りしめる。
「わたし、あなたと…」
「リファ、俺の本当の名前は―――」
発車の汽笛が鳴り響く。
「一緒に連れて行ってくれ。」

汽車が動き出し、わたしとシンの手が離れる。
シンはその場から動くことなく汽車はどんどん彼から離れて行き、そしてあっという間に見えなくなった。

2/28/2023, 12:57:26 AM

英語の授業時間だった。
教室は静まり返っている。
整然と並んで座るクラスメイト。

「ねぇねぇ。…真木君、ねぇってば。」
「…え? 俺? ってかしゃべんなよ。」
「ちょっとだけ。」
「何?」
「現実逃避ってさ、リアルエスケープ?」
「…和製英語感あるな。」
「じゃあ、何?」
「現実から逃げるだから…escape from reality?」
ガラリと音を立て、教室のドアが開く。
「That's right,Sho! 沢木さん、真木さん、おしゃべりして余裕ね。次、当てちゃうわよ。」
「!…先生…。」
「現実逃避はescapeだけでもいいのよ。人間が逃げたくなるのは現実だけなんだから。」
「…はい。」
「ただ、逃げるのは力のない弱者がすることよ。人間は戦うことができるの。自らの理想のために。」

さぁ、静かにしていましょうね。
授業中の私語を諫めるときのように先生は微笑む。
静かだった教室に微かな嗚咽が聞こえ出す。
教室の窓側の床に並んで座る学生。
閉められたカーテン。
集められたスマートフォン。
先生の手には玩具みたいな、でもついさっき教頭先生を撃った小さな銃。
何が入っているかわからない大きなバッグ。

「1人、私に付いて来てもらうわね。」
おしゃべりしてたSho Mano、と俺は名指しで呼ばれる。話しかけた沢木はうつ向いて震えていた。
「大丈夫よ。ちょっとみんなの前で、私たちの代わりにお話してもらうだけだから。じゃあ、みんな静かに待ってるのよ。」
先生に伴われ教室を出る。出てすぐに足先が目の端に入ったが、赤い水たまりに無造作に投げ出されたその先を見る気にはなれなかった。

先生に背中を押されて歩きながら、俺は廊下の床がだんだん柔らかくなっていくように感じていた。
ふわふわ ふわふわ
足が重くて、何にも見えていないような、見えないはずの先生の顔も見えているような。
あぁ、そうか。これはきっと夢だ。
たぶん先生に撃たれたときがこの夢の終わりだ。

2/26/2023, 12:55:21 PM

君は今、どこへ向かっている?
がさりがさりと落ち葉を踏み分ける音がする。

君は今、何を見ている?
近くの木から、鳥がピィと鳴き飛び立つ音がする。

君は今、何を聞いている?
頭の中に心臓があるみたいにドクドクと音がする。

君は今、何を感じている?
いつもは気にもならない、僕の呼吸の音がする。

君は今、僕に気づいてる?
体がブルリと震えると、チリリと熊鈴の音がした。

熊は今、どこにいる?


2/26/2023, 5:50:01 AM

今にも泣き出しそうな空だ。
駅から待ち合わせ場所の喫茶店へ向かう足が気持ち早まる。
その物憂げな空に、昨日の彼女の表情が重なった。
『いいなぁ。』
見るともなしに点けていたテレビに映ったのは結婚式。女性は白い着物で、頭がすっぽり隠れる白い大きなフードのようなものを被っている。ちらりと目をやって『んー? そうかな?』と言った瞬間、しまったと思ったがもう遅い。彼女は「ん?」と笑顔を見せたが、その一瞬前、僕の目には何かを堪えるように引き結んだ彼女の唇が確かに見えていた。

喫茶店に着くと待ち合わせの相手はすでに来ていたが、ぼんやりと空を眺めており、こちらに気づく様子はなかった。
「美里。」
声を掛け、向かいの席に座る。
「蒼斗君、早かったね。降られなくて良かった。」
彼女は僕に微笑みかける。昨日の片鱗は垣間も見えない。
「うん、降るかと思って早足になった。こういうのを物憂げな空っていうんだろうなぁ。」
「降るか降らないか悩んでる感じね。ところで今日はどうしたの? わざわざ…」
店員さんが注文を取りに近寄ったので、会話が中断する。僕はブレンドコーヒーを、彼女は小腹が空いたと言ってホットサンドとアメリカンコーヒーを頼んだ。
僕が口を開こうとすると「あ。」と彼女が話し出す。
「さっきの物憂げな空、青空かも。」
「え? 何で?」
「ほら、気分が落ち込んでることをブルーな気分って言うじゃない。マリッジブルーとかマタニティ、ブルーとか…ウィンターブルーとか」
話しながら彼女の表情が歪んでいき、声が小さくなる。泣き笑いのようになった彼女の顔。
「美里、昨日はごめん。」
僕は心を決めて話し出す。
「昨日、僕の返事が悪くて…。僕は、その、着物じゃなくてドレスの方が似合うと思ったんだ! それで、君が着物を見ていいなって言ったからついそうかなって言っちゃって!」
僕は一呼吸入れてから、改めて彼女を見据える。
「島本美里さん!」
「はい!」
彼女は返事と共にピッと姿勢を正す。
「僕と結婚して下さい!」
僕はポケットから素早く小さなケースを出し、蓋を開ける。キラリと輝く一粒のダイアモンド。
「は…はい! よろしくお願いします! ふ、ふふふ…蒼斗君、こんなことするキャラじゃ…。」
僕は何も言えないまま、指輪をケースをから指に持ち、彼女の左手を待つ。
そして彼女の薬指に…入らない。サイズが小さかったようだ。
「…入らないね。」
僕に気を遣ってか、唇を噛み締めて笑いを堪える彼女。
そう、昨日の失態に焦った僕はすぐにでも彼女にプロポーズをと焦るあまり、店頭ですぐに持ち帰ることができる指輪を買ったのだ。
タイミングを見計らって注文の品が彼女と僕の間に並ぶ。
それを境に、彼女は堪え切れなくなり笑い出す。

彼女の言う通り、キャラじゃないことはするものじゃない。でも彼女が笑っている。何の憂いもない笑顔。
彼女がホットサンドを食べ終わったら一緒に返品交換に行こう。

Next