鯖缶

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駅に着くと、大きな汽車がもうもうと黒煙を吹き上げている。発車の時刻が近いようだ。
「これが君の身分証だ。」
そう言って渡された丈夫そうな小さな紙にはわたしの写真が載っていた。
「リファ、フォークナー…?」
「君は俺の妻ということに…、いや、正式に妻になっている。」
「つま…妻!?」
わたしは意味を理解して瞬時に顔が熱くなった。
そんなわたしを見て、シンは「ははっ」と声を出して笑った。それは初めて見た彼の笑い顔だった。
「移動するための措置としても確かな身分を手に入れるためにも、手っ取り早かったんだ。」
「そ、そうなんだね。」
妙に慌ててしまった気恥ずかしさと同時に、嬉しさが込み上げてきた。紙の上のこととはいえ、自分に家族ができるなんて!
「その身分証と」
言いながらまた小さな紙をわたしに渡してくる。
「この切符。この2つがあれば、かなり離れた遠くの街まで行くことができる。」
「すごい…。」
まさか本当に、この街から離れることができるなんて。涙で視界がぼやけてくる。
「その街に着いたら、」
「うん。」
「その身分証はもう必要ない。」
「え?」
「すぐに捨てて、今からいう場所を訪ねろ。」
「え…捨て、訪ねろって、シンは一緒じゃないの?」
「俺はまだすることがあるから一緒にはいけないんだ。」
その後黙り込んでしまったわたしのことなど気にもせず、彼は訪ねるべき場所とそこで伝えるべきことをわたしに言い含めた。紙には書けないから、しっかり覚えるようにと。
わたしは彼に追い立てられるように汽車に乗り込んだ。涙を堪えるのに必死のわたしに対し、彼は終始微笑んでいた。

「シン。」
汽車の窓を開けて彼を呼ぶ。
「リファ、君はこれから新しい人生を手に入れることができる。だから、遠くへ行くんだ。君のことを知る人のない遠くの街へ。さようなら、リファ。」
彼はそう言って右手を差し出した。
わたしはその手を両手で握りしめる。
「わたし、あなたと…」
「リファ、俺の本当の名前は―――」
発車の汽笛が鳴り響く。
「一緒に連れて行ってくれ。」

汽車が動き出し、わたしとシンの手が離れる。
シンはその場から動くことなく汽車はどんどん彼から離れて行き、そしてあっという間に見えなくなった。

3/1/2023, 8:37:44 AM