ひとひら
神秘・崇高美
ガーベラの花びらが落ちていく。
茎を切られ、傷を冷水に晒されたあれらは何を思うのだろうか。
ガーベラは群れでは咲かない。
一つ一つ、花の一欠片ずつが崇高に、気高く咲き誇る花だ。
硝子の瓶に差し替えられたガーベラ。
葉は切り落とされ、花だけが顕となっている。
その美しさを女の裸体のようだと言ったものが居る。
サモトラケのニケの様な、損なわれたゆえの美しさであると。
尊く生まれ、花を迎えては胴を切り落とされ民衆に晒される。
その上で、しかし美しさは損なわれていない。
尊厳も命も刈り取られ、ひとひらの儚い姿がある。
まるで朝露のようだ。
醜く雁字搦めにされて尚、貴方は神秘性を保っている。
内に秘められたそれを凪いだまま、
ただ花のひとひらになるまで、
そうなっても貴方はまさしく神秘であった。
塗り替えられることのない崇高美。
ガーベラは、花びらが落ちきった。
風景
曇天の空が広がっている。
今のも泣き出しそうな貴方と空が目の前を占領している。
このクソ寒い冬だと言うのに貴方は半袖で、
しかもシャツ以外は下着だったから驚いた。
涙を堪えて声を出せない貴方を取り敢えず家に上げる。
暖房をちょっと強めて、意味不明な場所にしかないケガの手当てをして風呂に突っ込んだ。
着替えを適当にほん投げて、
すぐにドライヤーをしてやって飯を食わせた。
何があったのかは別に聞かなかった。
なんとはなしに何があったかを察していた。
ご飯を食べ終わった後、貴方は堰を切ったように泣き出した。
嗚咽ばかりで、何を言っていたかは覚えてない。
できる限りの全力で、できる限り優しく抱きしめた。
そんなんがあったのが確かえ3,4年くらい前だったはずだ。
憔悴した貴方は何処へやら、今は私より稼いで家に金を入れてくれている。
そんなに元気になったならもう一人でもいいんじゃないか
とも思うし言うがそれはまだ別問題らしい。
まだってなんだまだって。
まぁ幸せそうならいいか、とあの日と同じ曇天の空に目を向けた。
元気かな
ドアノブに手を当てる。
捻る勇気だけはまだない。
ドアの外にはみんなが居る。
顔を見ることだけが出来ない。
こちらに届く声はみなキラキラと宝石のようで、
どんなことをしているのだろうと思いを馳せた。
毎日同じ言葉が聞こえてくる。
その中で一等多い声。
その声をかけられたならどれほど良いだろう。
きっと有頂天になって、すぐさまドアに飛びつくだろう。
開けることだけは叶わないだろうけど、それでも夢を見た。
声を掛けてくれる夢を。
同じ日々を過ごしながら変化を求めている。
まるで狂気の沙汰だった。
ドアが不意に開かれた。
動くことも出来なかった。
ドアの先を見つめるばかり。
体は竦んで動かない。
喉は怯んで音を出さない。
目は見開いて前を見る。
きっとおんなじくらいの歳の子だった。
慌てて帰っていったけれど、次の日も、そのまた次の日も来た。
日を重ねるにつれて弾むようになった声。
ドアの前で精一杯身振り手振りしているのであろう風を切る音。
こっちに来る足音はだんだん遠慮をしなくなってくれた。
不用心にも、あの子が着るのを楽しみにしている。
いつの間にやら、欲しかった声を自分が吐いている。
あぁ、元気かなぁ。
遠い約束
曇天の夏だった。
そこら中蒸し暑くて、図書館に逃げ込んだ。
エアコンが効いてて涼んだ空間で、適当に本を取って席に座る。
ファンタジーと風刺の効いた良い作品だったと思う。
普段はじっとしてるのが難しくて本なんかを読めなかったけど
その作品だけはグイグイと読み進められた。
続き物みたいで読み終わったあとの僕は必死に下巻を探した。
見つけられないのが泣きそうなくらい悔しくて、蛍の光が流れてるのを聞こえないふりして探し続けようとした。
けれどすぐに閉館時間が来てしまって結局見つけられなかった。
司書のお兄さんにまたおいで、その時に一緒に探そうと何度も宥められ、ようやく帰路についた。
でも次行くまでに、図書館は潰れてしまった。
川の氾濫で本をみんな流されてビシャビシャになっちゃって、綺麗にするのも難しくてなくなってしまったんだと聞いた。
その話を叔父ちゃんからされたとき、体の中から色んなものが駆け巡って思わず家を飛び出して図書館に向かった。
走ってる最中に、駆け巡ったそれらは
悔しさで、悲しさで、寂しさで、怒りだったことに気付いた。
本を見つけられない悔しさ。
もう図書館に行けない悲しさ。
何にもできない寂しさ。
約束を守れない怒り。
ぼろぼろになった図書館には、司書のお兄さんが居た。
泥だらけになりながら、少しでも本を助けようとしていた。
俺を見つけたお兄さんは吃驚して、
その後悲しいような困ったような笑顔をした。
俺は混ざってぐっちゃになった気持ちのまま、
いろんなことをお兄さんにぶつけた。
言葉にもなんなくて、ただただ嗚咽だった。
お兄さんは手を止めて、優しく俺を抱きしめてくれた。
お兄さんはその時に図書館が帰ってきたら、その時にまた一緒に探そう。もう一度おんなじ約束をして、一緒に読もう。
そう言ってくれたから、
だからこれは、お兄さんとまたいつかする遠い約束。
君と
私より幼くて、小さい体が私を引いて行く。
君の顔は見えなかったけど、その背中は自信に満ち溢れていて。
この子なら大丈夫って、この子ならって、私も君を信じた。
私も、君みたいに信じる私を信じてみたの。
君は何処へだって行けると信じたから、私はその背をついて行った。
決して道を違えぬように、迷わぬように。
でも道を違えることはなかった。
君は真っ直ぐな子だったから。
君は前を見ている。
その足で前へ進む。
見守るしかできない私でさえ当てられて自信を持つほどに。
大きくなってもそれは変わらない。
後ろを遠慮がちに振り返ることはなくなった。
私に与えてくれた温かさだけが変わらない。
私はもう一緒には歩けない。
君と私じゃ生きられる時間が違いすぎたみたいで。
ゆっくりとその場に伏せる。
君はすぐに私が伏せたことに気づいてくれたけど、
同時にどうしようもないことにも気づいたみたいだった。
その手を舐める。
君は人で、私は犬。
君を置いていくのは嫌だったけど、
もう私の足は、尻尾は、目は、体は、心臓は動けない。
残りの力を振り絞って、君の目を見る。
涙だろうか、雫が私の頬へと落ちる。
たくさん君と歩けて楽しかったよ。
いつも一緒にご飯を食べられて嬉しかったよ。
ボール遊びも引っ張り合いっこも面白くって。
君の笑顔がいつでもそばにあるのが幸せで。
しあわせにしてくれてありがとう。
君としあわせにしてくれてありがとう。
ばいばい