誰しもが小さな思いを心に抱えて生きていると思う。
あいつがいなけりゃ、あの子のために、自分だけが。
そういった小さな思いで済めばいいものたちは時として爆発してしまうんだ。
赤く染まった足元を見る。
冷静に俯瞰する必要がある。
俺は何をしたのか。
目の前の彼を殺した。
ここはどこなのか。
別棟の教室だ。もう使われていない。
凶器は何か。
机の角だ。突き飛ばして、あたりどころが悪かった。
彼は何者なのか。
俺の親友で、好きな人。
なぜここに二人でいたか。
俺が来てほしいと言った。
なぜ呼んだのか。
告白しようとしたんだ。
なぜ殺したのか。
逆上だ。怯えた目で見られたことが耐えられなかった。
そうだ、小さな思いだったんだ。
少しの恋心。大きな信頼。俺は思い上がったんだ。
彼はそういった話を意図的に避けていた。
分かるはずだったろう。それが何故なのか。
ひそかな思いと隠してしまえばよかったんだ。
それならば、いつまでも笑いあえていたろうに。
まだほのかに温かい彼を抱きかかえる。
血が流れ出て、俺を染めていく。
このまま俺も、後を追ってしまおう。
幸い別棟は六階建て。下はコンクリートだ。
このまま、彼を抱いたまま、それくらいは。
またひそかな思いが生まれてくる。
それだけはしてはならない。
償うんだ。俺が殺したんだ。
失敗しただろう、その小さな思いのせいで。
ひそかな思いを殺せ。今、彼にしたように。
警備員が来る。現場を、彼を、俺を見つけるだろう。
ひそかな思いだったものを見つけるだろう。
ここは薄汚れてて、何にもなくて、つまんない部屋。
だからぼくはここに「もの」をつくることにしたんだ。
たとえば、いつでも助けてくれるとても大きなカッコいいお魚さん。
いろんな質問に答えてくれる頭のいいフクロウのおじさん。
小さくて、たくさんいて、カラフルなうさぎさんたち。
たまにはこの部屋自体も変えてみたんだ。
広い駅のホーム。
キラキラ光る結晶のある洞窟の中。
海の底の王国。
どこまでも広がる草原。
みんなはどこに行ってもぼくのところに来てくれて、遊んでくれた。
そのうちに、知らない子が隅っこにいるのに気づいた。
まあるく縮こまって、俯いてる子。
でも、少しだけこっちを覗いてたり、音楽が流れてたらそれに合わせて少し体を揺すったり。
みんなと遊んでるうちでも、少しだけその子に気をかけるようにした。
他のみんなは気づかなかったみたいだし、キノコのおじさんに聞いても知らないって言ったから、遊びには誘わなかった。
みんなから来てくれるから誘い方も知らないし、あの子がどんな遊びが好きかも知らない。
だからせめて、あの子のことを考えることにした。
しりとりとかの言葉遊びの時にこっち見てることが多いかも。
音楽も好きかもしれない。
体を動かすのはあんまり好きじゃなさそうかな。
まあるいうなってるのは落ち着くからかも。
みんなのいないときも、あの子のことを気にかけるようになった。
そうしていたら、みんなはそのうち来なくなっちゃった。
・・・来ないんじゃなくて、いるんだけど声をかけてこないんだ。
無視してるんじゃないかと思ったけど、
フクロウのおじさんは話しかけたら普通に話してくれるし、うさぎさん達は遊びに誘ったら、一緒に遊んでくれるし、カッコいいお魚さんは見守っててくれるし。
もう、遊びの誘い方も覚えたし話すのもちゃんとできる。
みんなが見守ってくれてるのもきっとそういうことなんだ。
思い切って、きっと僕の想像じゃないあの子に声をかける。
「あなたは誰?」
いつからか、顔も姿も知らぬ貴方と文通をするようになりました。
出会いは覚えてはおりません。
きっと些末のことだったのでしょう。
貴方との文通には、決まりがありました。
一月に一回であること。
お互いの手紙に、同じ言葉を出すこと。
そして、お互いの土地の花を贈り合うこと。
贈られる花から、貴方の住む土地は厳しい寒さの土地であることは大いに伝わってきました。
それでも送り続けられる小花たちに顔を緩ませ、
こちらからは大輪の花を贈っていました。
まるで、夜の輪郭を溶かして綴ったような貴方の文。
いつの間にやら惚れ込んでいたのでしょう。
あなたの言葉に一喜一憂したものです。
温かな貴方は、私の文を陽だまりで育てたようだと言ってくれましたね。
それが何よりも嬉しかったのを、今でもよく覚えています。
貴方の姉上には感謝をしなくてはなりませんね。
貴方が死んだ後暫くしても、彼女は文を綴って下さった。
その上、愛しくて仕方がないはずの貴方を送ってくださった。
今になって、小さな灰になって、ようやく会えた貴方。
今度は私が出向きましょう。
最後の手紙を、貴方へ。
たくさんの宝物があった。
他の人達にとっては他愛もない様なものたち。
それでも私には一つ一つが輝いて見えた。
日に日に増えていく宝物たちに、私は頬を綻ばせる。
あの日君がくれたチョコの包み紙。
あの日彼が買ってくれた簪。
あの日彼女が手に入れるのを手伝ってくれた本。
貰った経路も相手もみんなバラバラで、
だからこそ、尚の事みんなが輝いて見えた。
でも、みんなとももうお別れをしよう。
宝を、宝となった思い出を与えてくれた彼らはもういないのだから。
私だけが縋っていても仕方がない。
みんなは笑顔で私の先に行った。
なら私はその笑顔に報いるべきだと思ったんだ。
それらを一つ一つ丁寧に処理していく。
包み紙をアクセサリーにして、
簪をまた誰かに渡して、
本を寄贈して、
他の宝物たちも、それぞれが役立って行けるように
送り出した。
私だけの輝きだったものたちが
今や誰かの輝きになっている。
どうかその輝きが続けば、増えていけば。
私にとってそうであったように、
渡した誰かが輝きになれば。
そうなったら、悔いはないなぁ。
俺は誰彼にもあまり興味を持てない人間だと思っていた。
彼に初めて会ったのは高校の入学初日だった。
同じ作家が好きで、
同じインドア派で、
同じ部活に入って。
そのうちに親友と呼べるようなものになった。と思う。
高校を卒業しても偶に連絡を取り合って、その延長線で実際にあって酒を飲んだりもした。
上司の愚痴を言い合って、彼女の話をしたりして。
それが何よりも楽しくてしょうがなくて。
ずっとずっとこのまま時間が進まなければいいのに、と思いながら終電に乗って帰ることを繰り返していた。
家に帰るのが辛かった。
帰ったところで労いの言葉はない。
あるのは罵倒と暴力だけだったから
会社に行くのが辛かった。
何をしても批判ばかりで、成果を上げても上司に掠め取られていったから。
食べることが辛かった。
味もわからない、ゴムのようなそれを延々咀嚼することに意味を感じられなかった。
それでも、彼からの連絡があるたびにその日を待ち通しにした。
彼からの連絡がなくっても、それが来るのを待ち通しにした。
このままでいい。生きるのが辛くっても、彼がいる。
初めてなんだ、なあなあにしないで関わり続けられたのは彼が初めてだったんだ。
本当に初めてなんだ、俺の話を聞いてくれたのは。
馬鹿にしなかったのは。愛してくれたのは。
止まれ。時よ止まってくれ。もういい。
彼が生きたこの時代で終わりにしてくれ。
彼と一緒に終わりにしてくれ。
時間よ止まれ