「もしも過去へと行けるなら」
落書きや、絵を、とっておくんだよ。
書いた文章ノート、とっておくんだよ。
音楽機材は、レアになるから、とっておいてね。
感情を、ぶつけてくる人達
ひとり、よく耐えてるね
未来の私が、頭を撫でるよ。
苦しくて、辛い…
確かに、そうだった
言わない選択肢をしてきたから
我慢に、変換してしまったよね。
内側へ、内側へと閉じては
紙に書いた日々は間違いじゃないよ
言葉をもらえなくて、探した新聞紙の中
看板や、漫画や、雑誌や、真面目な本や、教科書や辞書の中
脳の中のノートをパラパラと、めくると
似た言葉が、並んでいたり
音楽とともに、浮かぶ言葉になってるよ。
言わなくて良い
自慢みたいに型に、はめるのは、苦手でしょ?
書いてきた人になら、分かるよ。
伝わらなくても良い
おきざりや、ぼっちが、苦手では無いでしょ?
そうやって、アイデアや想像するチカラが
役に立つ場面も、出てくるから。
合わせるクセは、無意識らしいよ
それは、治せないから、そのままで、たまに休憩をしてね。
もう、私を責める事を、私自身が「違う」って気付くから
あまり、無理はしないで…
きつい時は、分かりやすく、それこそ書いて
時間を、もらい
信頼出来る人に、話してみて。
「私へ」
あの日が、無ければと、思わずに受け入れて良い。
泣いてはダメと、完璧主義は捨て去り
誰かの困ったや、悩みを、あなたが抱える事じゃない。
書きたいなら、書けばいい
書けない日を、乗り越えた先には
今があるから。
誰かの為には、書かなかった、過去のまま
自分の為に、書きなさい。
適当で良い。
自然体で良い。
「True love」
薄くノリをのばして、完成させたのに
気が付くと、いくつかのピースは、落ちている
本棚は、小さめじゃなきゃ
次から次に、たまっていくし、はみ出してしまう
この声は、語らないよ
あの時を、語らないよ
だって、つぼみみたいな「恋」だから。
何となくついてしまうあだ名は
「頭が良い」とか「見た目理系」だの「子犬…」
「子犬」は、当たりだなと、思ったよ。
本当にっていう、定義やら、公式やら、イコール何?みたく
なりそうになる。
本当って、枠が無いし、スライムみたいに柔らかいから
原型すら無い?みたく
なる。
もはや年齢、性別なんぞや関係無いとの事だし
もう分からない箱に入れとくか案ずる僕はまた、取り出した
なんせ、まだ地元しか歩き回ってないなと靴が言うし
何やらとりあえず、自分の好きな事に夢中な時期なんだな
「(置いといて…)」の身振り手振りで
愛の隙間に好きなPIECEはめこむ
「(置いといて…)」の身振り今度は左下にしといて
その隙間とやらにはまだ「正解」を導き出せずに固まらない
水を、積み重ねている
たまに、その水の中で泳ぎたいが、今はちょっと
水族館みたいで、良いかと
イコールのトンネルの中に、僕は隠れ、フードをかぶり
まさに、「子犬」だなと
「愛」はたまに雨になり凍えさせるが、今はまだ
色んな人から、勉強中。
「またいつか」
秒針が、波音になり刻む、あの風景
砂時計に閉じ込めて、ボトルinしてバイバイ
ふざけあっても、近付かないし
もうラストSummerに、机と椅子とダラケたい気分
色白でしょ?私より
髪もサラサラでしょ?私より
夏の紫外線に、凱旋したのに…また帰省に規制されてく
指で巻き戻したいな…
君で埋め尽くした夏だったな…
弾いてく水も、もう雨すら振り向いてくれずに
裸足にあたる砂も暑いから、ボトルにはバイバイ
いつか、素敵な人になったら…
いつか、互いに必要ならば必然はあるよね?
またね…
波にのって、返ってきませんように
またね…
もう時計すら気にしないように
駅を何駅も、ボーッと眺めていた
山が流れてく景色に、またね
いつかね
また、いつか
また、いつかを未来に放り投げた、君との夏に
バイバイ、また、いつか。
「星を追いかけて」
実際に、「よし、あの星に近付こう」
と、歩いたのは
私です。
「今を生きる」
(凄く、長文になっていますので、スルーして下さいね)
「今を生きる」
あんまり、先見的にならず
あんまり、過去に囚われず
「ご飯美味しいな」
(思ってなくても、たまに、思ってみたり)
「お風呂入ってスッキリしたな」
(たまに、湯船で3分ボーッと、してみたり)
具体的に「今を生きる」と、良いかもしれないですね
そして
長年、生きていくと分かる部分なのですが
「褒める」「褒めてもらえた」
のうち、「褒める」事が増えていく事でしょう…
たまには、自分を…
や、毎日
自分を、自分で褒めてみる。
(「自分を大切に出来た」イェー)
(「うん、30%上手く行った」イェーイ)
(「To Doリスト用意したぞ」オッケー)
(To Do「出来る事」次は「出来そうな事」がコツです)
多角的
柔軟に
「はて?色々な方法があるのかもしれないな…」
「や?むしろ、必要ないかもだし、寝かせるか…」
一番大切なのは「他者」じゃなく「自分」がどうするか
どうしたいか
どうすれば、どんな感情か
どれが、最適で「安心」するか
無理をしないとは、自分の程度を知っているから出来る
「今を生きる」とは
過去に、培ってきた、重ねてきた経験と
これから、どんな場所で、どんな気持ちで
どんな自分を生きたいか。
親元を離れたり、自立する日は来ます
看護や介護をしながら共に生きている人もいます
なかなか、「変えれない」と思う人もいます
なんなら、独自性を持ち、努力して進む人もいます
最初から、恵まれた環境の人もいると思います
(この「人」を「例える」のは、キリが無いですし)
(まだ、出会えていない「人」もいるのです。)
たかが、ここにいる
たった1人が、書いている文章です。
たった1人の「全て」「人生」を書いても
それは、「物語り」になる事でしょう
「文章」とは、現在進行形で、まとめられずに
本を「閉じる」、画面を「閉じる」と、それぞれの時間へ
戻るものだと、思っています。
余韻が残る。
映像に浮かぶ。
なんなら、画角にしてみる
なんなら、こういうエンドロールが良いなと想像したくなる
良い「文章」は、流れ流れ誰かに辿り着きます
ですが、それは他の方に任せたいです。
今、あなたは生きていて
あなたは、もう、今を、生きている。
(本当ならば、なぜ、こういう文章なのかを)
(本来ならば、どんな、人なのかを)
(述べるべきかもしれませんね。)
(ただ、ひとつ言える事は、本を読む事が好きですね。)
長い文章になりました
目が、痛くは無いですか?
ゆっくり、休まれて下さい
ご自分のペースで、大丈夫です。