「レオナルド・ダ・ヴィンチは、鳥を空へ放つために鳥を買ったらしいよ」
目が潰れるくらいに澄んだ空を見上げると、かつての親友の話を思い出す。
彼はよく、屋上で空を飛ぶ鳥たちを見上げながらその話をしていた。
いろいろ諸説はあるが、一人の天才がかつて鳥籠の鳥を解放した話を。
いわゆる偉人の美談というやつを、彼は何処か期待に満ちた目で語っていた。
「とっても慈悲深い人だったんだろうね」
話の最後で彼は決まってこう言った。
でも僕は、いつも決まってその話に嫌悪感を感じた。
鳥は、かの天才のエゴを押し付けられたんじゃないかと思わずにはいられない。
その鳥は、もしかしたら人に飼われることが前提で育てられたのかもしれない。
それなら、人々にとって自由の象徴であったあの広い空が、その鳥にとっては厳しい現実になる。
今でも空の鳥を見てると、そういう考えばかり浮かぶ。
そもそも何故、人間は空を自由の象徴だと思うのか。
僕にとって、あの無限の空は恐怖の対象でしかない。
永遠に広がり続けて、何処へだっていけるのに、何処にも正解なんてない。
そんな空が怖くて仕方がない。
正解のないものが怖い。
……目的地くらい教えてくれれば良いのに。
今までだってそうだった。
手塩にかけられて、
期待されて、
躾けられて、
急に何もない世界へ放り出される。
……僕らもあの鳥と案外似ているのかもしれない。
実際のところ、僕にはあの鳥が幸せだったのかわからない。
僕にとっては恐怖でしかない空も、
あの鳥、または他の生き物にとっては自由の象徴かもしれない。
かつての親友だって、
いつも、何処か悲しい目をした彼だって、
空に焦がれてたのかもしれない。
だから彼は飛んだのだ。
一人で、
正解なんて求められない空へ。
彼にとって、空は自由な場所だったのだろうか。
……これは、僕のエゴかもしれないが、
彼が、僕らの頭上で無限に広がる遠くの空へ
無事に飛んでいけたことを願う。
それが飛べない僕に、唯一できることだから。
「『竜宮城に来てみれば
言葉にできない美しさ』」
「見たことあるのかい?」
「ないよ」
「じゃあなんで知ってるの?」
「知らないから言葉にできないんじゃないか」
「そもそも」
「ん?」
「歌詞が違う。“言葉”じゃなくて“絵”だ」
「なんで知ってるの?」
「そりゃあ、僕は歌詞を見たことあるから」
「じゃあさ」
「なに」
「“絵”ってなぁに?」
「何って、描かれたやつだよ」
「なんでそれを知ってるの?」
「見たことある」
「嘘だ。君は“絵”を見ることはできない」
「なぜそう言える?」
「だってここには言葉しかないじゃない」
「確かに」
「言葉しかないここは、想像でしか見ることができない」
「否定はできないな」
「絵も、竜宮城も、歌だって想像に過ぎない」
「そうかも」
「そして話している人だって」
「二人じゃ無いかもしれない」
「そもそも話している人はいるのかな?」
「いなかったら、僕は何になる?」
「そりゃあ、“文字”だろ」
「冷たいな」
「所詮、会話は文字でしかない」
「じゃあ、僕たちは話し続けないと消えてしまうのかい」
「そうさ、言葉にできなかったらここには存在しない」
「世知辛いな」
「まあ、言葉にすることは大事ってことだよ」
「急に適当だね」
「適当でいいじゃない」
「ねえ」
「ん?」
「言葉にできないと存在しないと君は言ったね」
「言ったとも」
「それは僕らも例外じゃないんだね?」
「そうさ。そもそも今この瞬間ですら、存在しているか怪しい」
「その理論だったら、沈黙はどうなる?」
「黙ってみたらわかる」
「黙ったら、僕は消えちゃわないかい?」
「試せばいい」
「どうだった?」
「壁と同化した」
「壁なんてあったのかい?」
「言ったもん勝ちだろ」
「おっと、一本取られた」
「ところで」
「うん」
「もうすぐ言葉のストックがなくなりそうだ」
「ああ、そう」
「焦らないのかい?」
「本と同じさ。読み終わったら終わり」
「僕たちだって?」
「君たちが一番下まで来たから、もう終わり」
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」
爛漫と咲くこの花を見るたびに、俺の頭ん中はその言葉で埋め尽くされる。
とある男が、美しい桜を信じることができず、苦肉の策でこの結論に至ったのだとか。
俺の目の前には、桜がある。
よく見る、花見会場に咲くような奴らじゃない。
一本の、それはもうでっかい枝垂れ桜だ。
たまに来る人間どもは、この花を見て「綺麗」だとか、「美しい」だとかいう安っぽい感想を並べて、酒を交わしたり、写真を撮ったりしている。
俺だって、前はそうだったさ。
しかし、毎年、昼も夜もこいつが咲くところを見ると、どうも嫌悪感というものが湧く。
ろくに明かりもない、だだっぴろい草原。
その中で、アイツは首を垂れながら堂々と立っている。
昼はまだ綺麗かもしれないが、夜はそうでもない。
いかにもな雰囲気が出る。
近づいてはいけないような、引き込まれるような
そうだ、柳だ。
夜の糸桜は柳みたいだ。
樹の陰から、白い服を着た髪の長い女が覗いてこっちを恨めしそうな目で見てたっていう話を聞いても、俺は驚かない。
——とにかく
夜の桜はマトモじゃない
あの男も、桜を疑った。
だから桜を、死体と結びつけた。
今なら、俺もその男の気持ちがわかるかもしれない。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。」
……まあ、あの男もあながち間違っていないかもしれない。
あーあ。
いつになったら俺の身体は日の目浴びることになるのやら。
もう俺の身体はとっくに朽ち果て、この地の栄養になっちまった。
どんなに綺麗でも、毎年同じ景色を一人で見るのは堪えるものがある。
何も知らない奴らが、楽しそうに宴会をしている様を見ると、沸々と湧き上がるものがある。
吐き出せない血反吐が、身体の奥に溜まり、腐っていく。
このままだと、いつか狂ってしまいそうだ。
それでも、
春爛漫
その言葉が似合う時期になると
奴らは桜の下で笑みをこぼす。
——俺の屍体の上で。
『拝啓、空色の貴女へ
私の気持ちを伝えるために、手紙を書いてみることにしました。
こういった手紙を書くのは、あまり慣れていませんし、正直言ってとても恥ずかしいです。
でも、どうしても貴女に伝えたい。
貴女はまさしく空のような人です。
貴女の髪は、優しく広がる夜空のように、
深い黒色。
貴女がよく着る、夕焼け色の服だって、
浅黒い肌にとても似合う。
貴女の目は、夜空に浮かぶ月のよう。
見ていると、なんだか安心する。
そして、貴女の笑顔はまさに太陽。
卑屈で、臆病者の私の心は、
何度も貴女に照らされてきました。
それはもう、目を開けられないほどに。
私の心の雲は、
いつだって貴女が晴らしてくれました。
勝手なのは分かっていますが、
これからもどうか、私の太陽となってくれないでしょうか。
そして、貴女の心に雨が降った時、
私に傘を任せてもらえないでしょうか。
私は太陽にはなれないかもしれません。
それでも、貴女のそばにいたいのです。
私は貴女のことが、誰よりもずっと……』
「おい、何勝手に読んでるんだ」
「きゃあ! びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだよ。勝手に僕の部屋に入ってるんだもん」
「えへへ、机に置いてあったこれが気になって。ロイリーニョが紙をクシャクシャにするなんて珍しいじゃない?」
「はあ、だからって勝手に見るなよ。ほら、それはゴミだろ? 早くよこしなよ」
「えー! いやよ、こんなに素敵なラブレター、捨てるのなんて勿体無い!」
「本当にやめてくれモレーナ、それは僕にとっては黒歴史なんだってば!」
「何が恥ずかしいのよ? こんなに素敵な文なのに!」
「お願いだからやめてくれ! ほら、早くこっちによこしなさい!」
「あ! ちょっと!
もう、相変わらずシャイなんだから」
「ふん、悪かったね。僕は君みたいな性格じゃないからね」
「本当に可愛くないわね」
「それで結構」
「ねえ」
「なに?」
「あの手紙の最後、なんて書いてあったの?」
「は?」
「だって、消しゴムの跡があったもの。バレバレよ」
「……モレーナ」
「……なーに? かしこまっちゃって」
「僕は……僕はね」
「うん」
「誰よりも、ずっと君のことを……」
「……」
「……だめだっ! やっぱり言えないっ!」
「ええー! なにそれ! 今のはいう流れでしょ!?」
「本当に無理だ! ごめん!」
「ほんっとにシャイボーイね!」
「悪かったよ……」
「まあ、いいんじゃない? 可愛いし」
「……やめてくれよ、情け無い……」
「じゃあ、一つ約束して」
「ん?」
「さっきの続き、いつか絶対聞かせてね」
「……うん、約束するよ」
「今度は逃げないでね、待ってるから」
「大丈夫、絶対伝えるから」
「ねえ、やめてよ、こういうの。
アタシ何か悪いことした? 怒らせちゃった?
アタシ、チヒロちゃんが大好きなのになあ。
チヒロちゃんも、そうでしょ?
アタシに嫌な思いさせたくないよね。
だって、優しいもんね。
あ、わかった!
1人にしちゃったから怒ってるんだ。
チヒロちゃん大人しいから、昔はずっと1人だったよね。
でもアタシだけは仲良くしてた、でしょ?
他に頼れる人も、助けてくれる人だって、いなかったよね。
急に1人になってびっくりしたんだよね?
アタシが嫌いになっちゃったわけではないんだよね?
……ね?
大丈夫! ちゃんとこれからも仲良くしてあげるから!
これからも、ずっと親友! ずっと一緒!
約束する! 絶対に、絶対に!
だから――
お願い
お願いだから……
おうちに帰して……」