「レオナルド・ダ・ヴィンチは、鳥を空へ放つために鳥を買ったらしいよ」
目が潰れるくらいに澄んだ空を見上げると、かつての親友の話を思い出す。
彼はよく、屋上で空を飛ぶ鳥たちを見上げながらその話をしていた。
いろいろ諸説はあるが、一人の天才がかつて鳥籠の鳥を解放した話を。
いわゆる偉人の美談というやつを、彼は何処か期待に満ちた目で語っていた。
「とっても慈悲深い人だったんだろうね」
話の最後で彼は決まってこう言った。
でも僕は、いつも決まってその話に嫌悪感を感じた。
鳥は、かの天才のエゴを押し付けられたんじゃないかと思わずにはいられない。
その鳥は、もしかしたら人に飼われることが前提で育てられたのかもしれない。
それなら、人々にとって自由の象徴であったあの広い空が、その鳥にとっては厳しい現実になる。
今でも空の鳥を見てると、そういう考えばかり浮かぶ。
そもそも何故、人間は空を自由の象徴だと思うのか。
僕にとって、あの無限の空は恐怖の対象でしかない。
永遠に広がり続けて、何処へだっていけるのに、何処にも正解なんてない。
そんな空が怖くて仕方がない。
正解のないものが怖い。
……目的地くらい教えてくれれば良いのに。
今までだってそうだった。
手塩にかけられて、
期待されて、
躾けられて、
急に何もない世界へ放り出される。
……僕らもあの鳥と案外似ているのかもしれない。
実際のところ、僕にはあの鳥が幸せだったのかわからない。
僕にとっては恐怖でしかない空も、
あの鳥、または他の生き物にとっては自由の象徴かもしれない。
かつての親友だって、
いつも、何処か悲しい目をした彼だって、
空に焦がれてたのかもしれない。
だから彼は飛んだのだ。
一人で、
正解なんて求められない空へ。
彼にとって、空は自由な場所だったのだろうか。
……これは、僕のエゴかもしれないが、
彼が、僕らの頭上で無限に広がる遠くの空へ
無事に飛んでいけたことを願う。
それが飛べない僕に、唯一できることだから。
4/12/2026, 3:54:26 PM