部屋を片付けていたら、一冊の日記をみつけた。ペラペラとめくってみると確かに私の字だ。自分で言うのも何だが、綺麗な癖字というか達筆というか。幼少期に書道を習っていたおかげだろう。
数ページほどざっくりと目を通しつつ読んでみる。今、こうして読み返してみると文章が拙かったり脱字があったり。「今はこの字をもっと上手く書けるな」など色々ぼんやり考えた。
はらり、ともう一ページめくる。途端。
───Ring ring…
真っ先に蘇ったのは聴覚だった。
物理的にも精神的にも、必要なときほど追い風が吹かない。体育祭のリレーのときには不必要すぎる向かい風、部活の大会のときには梅雨の生暖かいような風。後者は心の持ち様の問題でも、時期の問題でもあった。
兎角追い風にいい思い出などないということだ。あぁ、でも音楽を奏でるときの彼女にはよく追い風が吹いているなぁ、髪が邪魔にならないよう意図的に向かい風にしてるなぁ。
なんて、気がつけば彼女のことばかり考えるようになってしまったようだ。
初めて君の音色を聞いたとき。
ひどくまるくてあたたかいと思った。よく響いて、心のどこまでも見透かされそうで。君の思うほど優しくて、どこか憂いていて切なくて。でも、底抜けに優しくて温かくて。過去を哀しむような、未来を明るく想うような。彼女に抱かれた金属の奏でる音楽は、とても感情豊かだった。
君と一緒に、君と一緒なら。どれだけ辛いことがあっても耐えられる気がする。だから──
二日くらい前のこと
〝しぶんぎ座流星群〟が見頃なようなので、彼女を連れて二十三時を廻る少し前に家を出た。目的地に近づくにつれ街灯は少なくなり、いずれ無くなった。ハイビームにしなければ真っ暗で、暗闇とはこのことなのだと思った。
「ここなーんもないのに星は綺麗だよね」
「なーんもないからねぇ」
雲一つない星空だ。息を呑むほど美しい。
「あ、流れ星!」
何も知らない無邪気な声。でも今更「今日この時間は流星群のピークなんだ」なんて言えるわけがない。
最後に流星群を見たのは、八月のペルセウス座流星群だった。夏と比べるとやはり、冬は空気が澄んでいる、星が綺麗なんだなと身を持って体感できる。
冷えた空気を、肺いっぱいに。
身体の芯から凍てつきそうだ。
一緒に住む前、りずちゃんからはいつからか線香の匂いがした。少しカラオケへ行くときも、東都へショッピングに行くときも。百円ショップで売っているようなチープなものじゃなくて、白檀の香りがするような。それこそ、会って初めの頃は一種の香水なのかと見紛うような。
それが一緒に暮らし始めてからはパタリと無くなった。ついに私の鼻がおかしくなった可能性は否定できないが、ルームシェアしているこの部屋に仏具の一つも見当たらないのでは鼻が慣れたという考察は見当違いだろう。
私はその時〝幸せ〟を感じた
私が線香を手向けられた人の代わりになった、私がこの子の特別なんだ、と。
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帰宅した彼女から揺蕩う、線香の匂い。
そうか…今日は。
「お墓行ってきたの?」
「なんでわかるのー?」
「線香の匂い」
「そんなに匂うかなぁ」
線香の匂いが、彼女から消えたとき。私は確かに幸せを感じた。でも、それと同時に寂しさも。彼女自身のものかもしれないし、私のものかもしれない。でも今は、年に一度、線香の香りをつけて私の元へ帰ってくる、このときだけは。