「――私が死んだら、これに一本ずつ火を灯しなさい」
そう言って、生前父は僕に木製の小箱を持たせた。
見かけによらずかなり重たくて、父の手が離れた瞬間にズシリと腕全体に負荷がかかり、よろめいた。
そんな僕の様子を見て、父は薄く微笑んでいた。
近頃ずっと青白かった顔色が、この時ばかりはほんのり紅く色付いて、いつぞやの健康な父そのものに見えた。
「いいかい。私が死ぬまで、開けてはならないよ」
少し錆びて黒ずんだゴールドの、子供心をくすぐるアンティークな装飾が施された小さい鍵。まるで手品のように、父はどこからか出してみせると、そのまま大事そうに僕の洋服のポケットに鍵をしまった。
思いがけないプレゼントへの興奮のまま、ウンと深く頷くと、父はありがとうと僕の頭を撫でる。
――それから一週間も経たずして、父は他界した。
悲しみに暮れるより先に、僕はあの小箱と鍵を想った。涙で目を腫らす母と親戚を置いて、こっそり部屋に戻る。
テーブルの引き出しにしまった鍵を取り出して、恐る恐る小箱の鍵穴にさし込んだ。ゆっくり回してみると、カチリと気持ちのいい音がして――ついに、開いた。
楽しみを少しでも長く味わいたくて、もったいぶったようにゆっくり蓋を持ち上げる。
「……なんだ」
ガッカリのため息とともに、思わず落胆の声が漏れる。小箱には、ぴっちりと敷き詰められたキャンドル、そして蓋の裏側にライターが付いているだけだったのだ。
しかし、父との約束は一応守らねばとキャンドルを一本取り出して、初めて扱うタイプのライターに苦戦しながら、僕はキャンドルに火を灯した。
ぽぅ……と火が灯る。
揺らめく小さな熱を、じっと眺めていた。
そのうち、眠くなってきて――
「――どこに行ってたの。お父さんにお別れの挨拶は?」
「少し部屋に用事があってね。もう済んだよ」
既に懐かしい我が家。そして妻。
未練がましい限りだが、若くして死んだ私にはまだやりたいことが山程あるのだ。眠りこけた息子の体を借り、私は久方ぶりに健康な体でこの世界を歩いている。
魂を呼び戻し生者の体に入り込む、危険な代物。
火が灯っている間だけの、夢幻のような効果。
それは死者にとって、魅惑のキャンドル。
2024/11/19【キャンドル】
もし古びた記憶に、色彩を取り戻す方法があるのなら。
私は何の記憶に色を付けようか。
「モノクロ写真をカラー化する仕事、あるでしょう」
そう言って、無精髭を生やした男性が写真を二枚、目の前のテーブルに並べた。まー最近はAIだとかで誰でもカラー化できる時代だから、同業者は阿鼻叫喚ですわぁ……と男性は苦笑いを浮かべる。
モノクロ写真と、カラー写真。サンプルとはいえ、モデルの家族の笑顔はカラーの方がより輝かしく見えた。
「僕はこの素晴らしい技術を、記憶に応用したんです」
記憶屋。まだほとんどの人が知らない、新業態。
出先の街中で偶然見かけた看板に惹かれて、吸い寄せられるようにそのまま入店してしまったのだ。
「……あの、来店しておいて恐縮なんですけど……私、宗教とかスピリチュアルとかは、あんまり……」
なかなか失礼なことを申し訳なさそうに言い淀んでいる私に、男性はほのぼのとした笑顔で頷いた。
「大丈夫。うち、初回無料の成果報酬払いだから」
タダほど怖いものはない、と心得ているが――記憶のカラー化というのは、正直かなり気になる。
「じゃあ……お願いしてみようかな」
「本当ですか!」
まだ多少の迷いはありつつも恐る恐る返事をすると、男性の顔が驚きに変わった。まさか、こんなに渋っていた客が承諾するとは思わなかったのだろう。
「そ、それでは簡単なアンケートシートをお持ちしますので少々お待ちいただいて……」
どこにしまったっけな……と呟きながら、男性はガタガタと慌てて席を立った。そのあまりに不慣れな様子に、もしや私が初依頼の客なのではと勘ぐってしまう。
手つかずの冷えた緑茶をひと口飲み、ほっと息をつく。ふと時計を見ると、入店してから既に30分は経っていた。
世間一般でいう「大人」になるまで生きていれば、当然数えきれないほど記憶がある。いいことも、悪いことも、同じように頭の隅に積み重なって――色褪せていく。
何の記憶に色を付けたら、私はこの先も前を向けるか。
そう悩む時間は、これまで生きてきた時間と同じ長さ。
――それは、たくさんの想い出がある証。
2024/11/18【たくさんの想い出】
「ねぇ、このバイトってやっぱ怪しいかな」
昼休み、友人が教室の隅でスマホを見せてきた。
よくあるバイト求人のアプリ画面に、デカデカと広告が掲載されている。クリスマスを意識したような、カラフルで装飾の多いポップなデザイン。
友達の指先で、画面が求人情報までスクロールされる。
✧• ───── ✾ ───── •✧
給料は廃棄予定のお好きなプレゼント5つ。
休憩時にはオーナーからのホットココアを振る舞います。
トナカイの多い職場ですが、人間も大歓迎!
✧• ───── ✾ ───── •✧
「……なにこれ」
「やばくない? 応募するの勇気いるよねぇ」
闇バイト求人にしては分かりやすすぎる、ウケるよね、と友達はケラケラ笑って画面を閉じた。
サンタのバイトみたい、と呟けば、友達は目を丸くして「ほんとだこれサンタか! ブラックだ!」とはしゃぐ。
やっぱ大手の求人アプリにも普通に怪しい募集ってあるんだね、怖いね、とひと通りの会話を交わして、あっという間に5限のチャイムが鳴った。
――眠れない。
いつもなら真っ先に船を漕いでしまう数学の授業で、私はノートもとらずに黒板をじっと眺めながら、サンタのバイトのことばかり考えている。
ついに我慢ができなくなり、わざとらしくペンケースや教科書で隠すようにして、こっそりスマホを取り出した。
『冬 短期 トナカイ』
着ぐるみとか、イベントスタッフの求人に埋もれて――何スクロールかして、ようやくさっきの求人を見つけた。
馬鹿げている。危険かもしれない。
それなのに。
✧• ───── ✾ ───── •✧
気が早いですが、メリークリスマス!
サンタのクリスマスはもう始まっております(最高だ!)
冬になったら、お待ちしております!
✧• ───── ✾ ───── •✧
冬になったら。
トナカイに囲まれて仕事をするのもいいかもしれない。
2024/11/17【冬になったら】
「馴れ合いなんかやってられねえ。俺は部屋に戻る」
「……私も。付き合いきれない」
不思議である。どうしてこうも、彼らは私のような殺人鬼に好都合な単独行動を取ってくれるのだろう。
仲間割れして散り散りになり、そして順番に一人ずつ殺されていくという、ミステリのセオリー。
全員でひとところに固まってさえいれば、これ以上事件は起きないし、自分も安全だというのに。犯人という立場ながら、呆れてものも言えない。
次々と生存者たちが部屋から出ていく流れに便乗して、私も素知らぬ顔で仲間たちから離れた。犯人はその殺意を悟られぬよう、自然に単独行動を取る必要がある。
さて次のターゲットは誰にしようか、と思った矢先――
「――誰か!! 人が……人が死んでる!!」
……は?
嫌な予感に騒ぎ出す心臓を抑え、悲鳴の聞こえた現場に駆けつける。物陰に隠れて様子を窺うと、そこにはすすり泣く気弱そうな女性の傍らに、血みどろの人間が一人。
そして、瞬く間に女性も殺された。助けを求める彼女の口を塞ぎ、大型カッターで首筋をザクリとひと裂き。
――予定外の死体が、二つ。
目深に被ったフードから見えたのは、間違いなくさっき初めに出て行った男の顔だった。
「なんで別の奴の事件が被るんだよ……」
ややこしいことしやがって、と小さく悪態をつく。
男に見つからないよう気配を殺して後ずさった。
ドンッ、と何かにぶつかる。
振り返るとそこには、息を潜めてナイフを握る女。
目が合う。ニィ、と女が笑った。
「お前も、まさか……」
はなればなれ。
――目的は、皆同じ。
2024/11/16【はなればなれ】
【※エッセイ回】
子猫と聞いて、書かずにはいられない。
うちの可愛い猫様を……!
今年の春に生まれて、梅雨に我が家へ。
元野良猫の保護猫で、初めは本当に怖がりで。
そんな猫様が、最近少しずつ歩み寄ってきてくれる。
私も含め、家族一同、涙……。
くんくん匂いを嗅いできたり、
本当に直近だとくっ付いて寝そべってくれるように😭
これからも末長く健康でいてほしい🍀︎
2024/11/15【子猫】