「――あれ、違法調査ですよね」
昼下がりのカフェバーで待ち合わせよう、と一方的に約束を取り付けられた僕は、開口一番に上司を問い詰めた。
とある探偵事務所の、事務バイト募集。
将来司法の道に進みたい僕は、これからの実務経験に期待していたのだが――待ち合わせのカフェバーまでの道中、偶然見かけた上司の現行犯を目撃した。
「おぉ、新人ちゃん。初出勤から飛ばすねぇ」
テーブルの上にはワインボトルとナポリタン。おまけに、彼の食べ方に問題でもあるのか、ワインの染みやケチャップが付着したペーパーナプキンが散乱していた。
昼間から、仕事中であるにも関わらず飲酒を隠そうともしない上司に、この先が思いやられると頭を抱える。
「さっき、市の総合病院の医師にカルテらしきものを見せてもらってましたよね――しかも警察官を装って」
まさに犯罪のオンパレード。彼の倫理の崩壊具合は、このテーブルの散らかりよりも酷いものだった。きつく睨む僕を見て、ニヤニヤとしながら彼はワイングラスを傾ける。
「いいねぇ、青いねぇ。まっすぐな新風が来たねぇ」
不思議と通報する気は起きなかった。
司法を志す者としては、不適切な犯罪の黙認。
それでも僕は、彼の魅力に取り憑かれてしまったのだ。
――ひと夏の終わり、僕の母が轢き殺された。
発見時は道路で一人流血して倒れていたのだと、目撃者の証言を警察から聞いた。轢き逃げ事件。犯人は行方知れずのまま、捜査は難航していた。
「……僕、自信がありません」
普段はうざったいくらいお喋りなのに、彼は黙って僕の言葉を待っている。きっと彼が待つのは、ありふれた不安の吐露ではない。僕の「決意表明」だと、思った。
腹を決めて、彼と向き合う。
彼もまた、僕をまっすぐ見据えていた。
「――母の仇は、僕が討つ。手段は選ばない」
季節が必ず移ろうように。
僕の正義に固執した青い信念は、色を変えた。
「新人ちゃん、変わったねぇ――嫌いじゃないよ」
「……必ず犯人を見つけ出します」
それは冷ややかな、秋風。
2024/11/14【秋風】
――ゴルディアスの結び目。
誰も解決することが出来ないような、難題のたとえ。
「彼女」との関係性は、まさにこの結び目である。毎晩のように、僕は彼女と『初めましての再会』を果たす。
「こんばんは、初めまして」
「初めまして。良い夜ですね」
池のほとりに華奢な女性がひとり佇んでいたところへ、臆することなく僕は彼女に声を掛けた。ほんのり照れくさそうに微笑んで、彼女も挨拶をしてくれる。
「……ここ、私の一番好きな場所なんです」
「奇遇だなあ。僕も一番大切な場所です」
顔を見合せて、少しはにかんで、また顔を逸らす。
焦れったい両片想いの、それ。
「なんだか私たち、すごく気が合いますね。まるで初めましてじゃないみたい。――ふふ、私ったらおかしいわね」
そう言って、彼女は溶けてしまいそうな笑顔を向けた。
互いが恋に落ちた瞬間だった。
認知症による徘徊。
それが始まったのは、僕が定年退職をして、さあこれから君とのんびり余生を過ごそうという時だった。
「問題になる前に、早く施設にお世話になった方がいい」
僕も若くないこと、子供などの頼れる親族がいないことから、周りにはずっと苦言を呈されてきた。
この固い結び目が、自然に解けることはないのだろう。それでも僕は、このわずかな繋がりを、彼女との唯一の結び目を、乱暴に断ち切ってしまいたくなかった。
これは、僕の弱さが生んだ『馴れ初め』なのだ。
そう思いにふけっていると、彼女が何か伝えたい様子でこちらをチラチラと窺っていた。
言葉を促す意思で首を傾(かし)げると、仄暗い月光でも分かるくらいに頬を染めて、彼女はおずおずと口を開いた。
「あの……また会えるかしら」
――残酷だ。
僕が君をずっと愛し続けても、君が僕に繰り返し惚れてくれても、この想いが交わることはこの先ない。
この寂しさを悟られぬよう、月明かりから顔を背けて。
何度でも君と約束しよう。
君が忘れてしまっても、返事は最初から変わらない。
「ええ――また会いましょう」
2024/11/13【また会いましょう】
「もし人間に余分な部位があって、それが何度でも再生可能なら――人間はその部位を切断して遊ぶだろうか?」
何言ってるんだ、と口を挟む余地すら無い様子で、彼は眼球を激しく動かし言葉を探している。かなり興奮しているのか、瞳孔が開き、涎が顎を伝っていた。
「子供の頃、退屈な時に例えば手遊びをしなかったか?――つまり、動物のする遊戯の原点は『体』を使った遊びだということだ」
「……それで君も例外なく、『体』で遊んでいるのか?」
半ば強引であったが、やっと僕が口を挟めた。
――注射痕。
僕は医師ではないので、この見立てが正しいのか分からないが……同じところを決まって刺しているのか、彼の左腕の皮膚が赤黒くただれている。
先ほどからの異様な興奮も、薬物によるものと考えれば説明がつく。問いたださずにはいられなかった。
「……スリルだよ。別に薬物が好きなわけじゃない」
形相がガラリと変わる。
今にも首を絞められそうな、殺意に近い気迫を感じた。
「いかにも薬物中毒者の言い訳に聞こえるな」
彼の神経を逆撫でしすぎないよう顔色を窺いながらも、あえてはっきりと指摘した。
皮膚の変色具合や注射痕の数から見て、かなり大量に薬物を摂取している可能性が高い。このままでは、捕まる前に彼の体が限界を迎えてしまうと思ったのだ。
「いいやスリルだ。お前らが俺にしたことと何が違う?」
ガリッ、と彼の奥歯が軋む音が聞こえた。
彼の醜く歪む顔の皺には、激しい憎悪が詰まっている。
吊り橋効果で恋に落ちるように。
陰口で共感し合って友情を深めるように。
社会の目を掻い潜って罪を重ねてみるように。
人間にとって、スリルとは娯楽だ。
数年前、僕たちは彼を利用してスリルを楽しんでいた。
それがある日突然、彼は行方をくらませたのだ。
心配なんて誰一人せず、死んだとかパクられたとか散々馬鹿にして、卒業する頃には全員綺麗さっぱり忘れた。
その彼が、目の前にいる。
「……そもそも、僕は君に会いに来たんじゃない。【当時同じグループの一人】からの連絡でここに来たんだ」
アイツはどこにいる?
そう尋ねる前に、彼はふらりと物陰に消えた。
そして腕が飛んできた。――腕が、飛んできた。
その手首には、ギラついたブランド腕時計。
数ヶ月前にアイツから自慢された物と酷似している。
鈍い金属音を立てながら、彼が斧を引き摺って現れた。
……なるほど。体を切断という最初の比喩は、ドラッグの使用で出てきたうわ言などではなく、『事実』から想起されたものだったのか。
「まぁ、過去のことなんか忘れて楽しもうや」
人間のする、カラダアソビ。
いじめ。ドラッグ。暴力。
――そしてそれらの先に待ち受ける、冷たい死。
「待って待ってくれ僕は嫌々従ってただけ――」
そのスリルの代償はいつも、『体』。
2024/11/12【スリル】
自由の羽を広げること。
それは、両翼の先にいる誰かを傷付けうること。
あの澄みきった大空に思いを馳せ、人々は謳う。
自由を求め、自由を愛そう、と。
長く監獄にいた。
それはきっと、誰が犯人でもよかったであろう罪。
「僕がこの世に生を受けたことは、きっと罪なのだろう」
そう言って、自分を、この世界を呪った。
僕の姿に同情こそすれど、救おうとする者はいない。
僕をめぐって、世界中が議論した。
それでも僕の今日は、明日は、その先は、檻の中。
羽の生えた赤子。
そのニュースは、たちまち世界を震撼させた。
鳥でもない。人間でもない。
どちらの種からも仲間はずれの僕。
これは祝福を受けて生まれた天使か?
それとも人間に擬態したおぞましい悪魔か?
これまでの人生の半分を実験体に費やして
もう半分は見世物として世界中で展示された。
今日はサーカスの一幕に呼ばれたらしい。
観客の歓声や悲鳴を聞くたび、心底感情が冷えた。
劇団長にマイクを向けられた。
インタビューに答えろ、という無言の圧力。
「……『今まで皆さんは散々、この翼を作り物だ、飾りだと言ってきた。でもそれは違う。僕のこの姿は、自由を求め、自由を愛するためにある“本物”なのです』」
台本通りのセリフ。芝居がかって大袈裟に泣く劇団員。
全てが嘘で塗り固められた、この舞台。
唯一“本物”であるのは、この憎い立派な翼だけ。
「――自由の羽を広げること。
それは、両翼の先にいる誰かを傷付けうること」
舞台裏で、どよめきが聞こえた。
従順だった僕が突然台本を無視したのだから、当然だ。
僕はお構い無しに、勢いよく両翼を広げた。
ほんの瞬く間に、近くの団長と劇団員の首が飛ぶ。
観客は演出だと思ったのか、席を立たなかった。
劇団員が血相を変えて逃げる様子でようやく異常事態に気がついたようで、一拍遅れて大パニックに陥る。
研究施設から解放されて以降、僕は足先に生えている猛禽類に似た鋭い爪を集めて、大量に羽裏に縫い付けた。
未練がましくとも、望みがどんなに薄くとも。
僕もあの澄みきった大空に、思いを馳せていた。
長年しまい込んできた、この翼。
今この瞬間、反逆の咆哮をあげている。
無駄な賭けかもしれない。
それでも自由を求めずにはいられない。
――僕のこの愛おしき体は、飛べない翼じゃない。
2024/11/11【飛べない翼】
ススキを花束にして渡したら、グーで殴られた。
「殴ることないじゃんかよぉ」
痛む頬を手で擦(さす)りながら、俺は文句を垂れる。
目の前には、俺よりもずっと小さい女の子。
「やかましい! 戯言(たわごと)を抜かす元気があるのなら、もっと可愛い花を持って来ぬか!」
この可愛らしい風貌で、なんて横暴なヤツなんだ。
俺も負けじと声を張り上げる。
「お前こそ、文句言う前に礼が先だろ?! 失礼なヤツめ!」
「失礼は汝(うぬ)じゃ! 稲穂ばかり寄越す人間らに飽き飽きした故、汝に別の花を持って来いと申したのじゃ!」
クラスでよく声がでかいと叱られる俺。
しかしその倍の声量で反撃されて、ちょっと泣きそう。
「ススキを舐めんじゃねえよぉ……花言葉いっぱい持っててさぁ……縁起もいいのにさぁ……」
後半は鼻声でぐしゃぐしゃだった。
俺の「男泣き」というより「マジの号泣」を見せられて流石に困惑したのか、女の子はバツが悪そうにたじろぐ。
「ふん……まぁ、こうして見ると悪くないのぅ」
散らばった束のうち一本を手に取り、女の子が呟いた。
未だべそをかく俺にそっと近付いて、顔を覗き込む。
「……はて、何やら甘い匂いがするが」
そう言われてやっと、俺は二つ目の目的を思い出した。
泥まみれのランドセルから、キャラメルを取り出す。
「これ……お前にやる」
恐る恐る、女の子は包み紙を剥がして口に含んだ。
不安げな顔が、瞬く間に輝かしい笑顔になる。
「…………悪くないのぅ」
自分の顔が緩んでいることに気が付いたのか、すぐに元の顰め面に戻ってしまった。素直じゃないなぁ。
「――なんだか今年は、やけに豊作だね」
「……もしかして、ススキが効いたのかなぁ」
「ススキ?」
「ううん、何でもねぇや」
2024/11/10【ススキ】