君は写真が下手くそだ。
奮発してご馳走したフレンチは残飯みたいだし、旅行先の景色はモチーフが悪くて特別感がないし――そうだ、いつの日か隠し撮りした私の寝顔なんて最低の出来だった。
下手くそでも、楽しそうに撮っていたのに。
君はいつも、肌身離さずカメラを持っていたのに。
――ある日突然、君は写真を撮ることをやめた。
「なんで撮らなくなっちゃったの?」
「……もう、撮る意味がなくなっちゃったから」
私が尋ねると、君は寂しそうに微笑んだ。
目を合わせてはくれなかった。
「未練タラタラじゃん。うける」
「……そうだね。君に未練タラタラだよ」
私は死んだ。
そして退屈な私は、君に憑きまとっている。
「フィルム越しでしか君を見れなくなって、気付いたんだ――君のこと、どれだけ僕はこの肉眼で見ただろうって」
だからこれは自戒なんだと。
そう言って、君は俯く。
反則でもいいから、もう一度私を見て。
君の好きなカメラで、いくらでも。
――次はフィルムじゃなくて、脳裏に焼き付けてよ。
2024/11/09【脳裏】
例えばそう、小麦粉を特効薬として飲ませるような。
嘘。偽物。紛い物。そして、プラセボ(偽薬)。
ヒトの思い込みというのは、実に不確かなものである。
「騙し騙し生きていく人生に、如何程の価値がある?」
君の瞳に映る世界に、眩(まばゆ)い真実は無いのだろう。
疑心暗鬼に唆(そそのか)された、哀れな男。
「人生に意味を見出すのに、君は幼すぎるのさ」
そう、君は幼い。
だから「私」というプラセボに、依存する。
希死念慮を患う人々に、定期便で「毒薬」を渡す仕事。
そこに勤める私が派遣された先、それが君。
週に一回、私は君に「毒薬」を送り届ける。
有難がって「服毒」する君は、滑稽とも言えた。
そんな物で、死ぬわけないのに。
「いつになったら死ねるんだろう」
虚ろな目で、君はそう呟いた。
時の流れは早く、君が「服毒」し続けてもう半年。
そろそろ気付いても良いはずなのだが。
「……そのうち死にますから。ほら、今週の分」
意味がないこと。
それは「服毒」であって、「服毒し続ける人生」ではない。
そう伝えるにはまだ、君にプラセボが足りない。
2024/11/08【意味がないこと】
「――あなたの心臓(heart)に、時限爆弾」
そう言って、戸惑うあなたのグラスに乾杯した。
一気に飲み干すと、度数の高いアルコールが喉を焼く。
埃被ったカウンター、黴(カビ)臭い空調機の風。
廃れたbarの隅に、あなたとふたり。
「恋(love)には寿命があるのよ。ご存知?」
まるで宣戦布告。
そうだ。これは不条理極まりない戦争なのだ。
この一夜で、わたしはあなたをオトす。
「……つまり、私の恋は今から殺されるのか。貴女に」
「人聞きの悪い言い方ね。……間違ってないけど」
恋する乙女の観察眼とは残酷だ。
それは想い人の恋心さえ見抜いてしまう。
「日本語の上手い貴女にひとつ、教えて差し上げよう」
「なにかしら(What?)」
「恋は別に、心臓(シンゾウ)でするわけじゃない」
だから私の恋は、殺されようとも終わらない、と。
そう言って、あなたは得意げに笑ってみせた。
「ジョークの上手いあなたにひとつ、教えてあげる」
あなたの口振りを、表情を、そっくりそのまま真似る。
曇った顔すら愛おしい。なんて可愛いの。
「――恋心(love)と心臓(heart)は、また別物よ」
眠るように、あなたがカウンターへ倒れ込んだ。
惜しいことに寝息は聞こえない。
「言ったでしょ? 心臓(heart)に時限爆弾、って」
心のheart(ハート)。臓器の心臓(heart)。
それは日本語で言う、言葉の綾、というやつ。
「一目惚れなの。アメリカにあなたみたいな人はいないわ」
英語と日本語。アメリカ人と日本人。
それらの差は大きいようで、案外どうでもいい。
「あなたを手に入れるためなら、どんな罰も覚悟する」
死者と生者。
それはあなたとわたし。
2024/11/07【あなたとわたし】
雨が降る中、傘もささずにアイスキャンディを齧る。
晴れわたる青空と穏やかな降雨は、ちぐはぐで。
「――目を凝らしたら、雫のかたちが見えそうな雨」
それが、君がこの天気を好む理由。
初めてそれを聞いたときの、ロマンチストな表情をする君の横顔に伝う、細やかな雫が目に焼き付いている。
「…………」
この雨は、世界から音を取りあげる。
意気地のない僕が君に愛を囁くには最悪の気候だった。
「…………」
目の前にいる君の乾いた唇が、ほんのわずか開かれた。
僕と同じ口の動きをしたのではないかという見立ては、未練がましい僕の妄想かもしれない。
僕を差し置いて、どこの狐に嫁いだというのだ君は。
そう文句のひとつでも言ってやりたいような。
僕の決意が遅かったのか、君の歩みが早かったのか。
それは未だに分からないままで。
淡く架かる虹と代わるように、君の輪郭がぼやける。
困るのだ。君はいつも奔放で、いつの間にか姿を消す。
まだ伝えたいことが、山ほどあるのに――。
半分も手つかずのアイスキャンディが、滑り落ちた。
咄嗟に掴んだ手に伝わる冷ややかな刺激で、我に返る。
僕の頬を流れるのは、ありふれた涙ではない。
悲恋にあえぐ雫は、とうに枯れてしまった。
美しく、そして憎い。
それはあの日と同じ、柔らかい雨。
2024/11/06【柔らかい雨】
故意に窓ガラスを割った。
バリン、と尖った固い音が鳴り響く。
近所にある、洋館めいた装いの一軒家。
親に酷く叱られた挙句、家を閉め出されて苛立っている時、ふと目に入った美しいステンドグラスの窓が、どうにも気に入らなかったのである。
そこは人気(ひとけ)のない寂れた町に突如として現れた家で、敷地の周りだけまるで死の国のような、どこか仄暗い空気をまとった静穏さに、何をしても良いと思った。
「――『神は光である』」
ヒュ、と声にならない悲鳴をあげる。
見知らぬ年老いた男が、隣に立っていた。
怒られる前に殺されるのではないか、と思わせるような生気のない不気味な男は、青白い顔で洋館を眺めている。
「ご……めんなさい……」
震える喉から絞り出すようにして、か細い声で謝った。
窓ガラスを割ったことへの謝罪というよりも、どうか命だけは助けてくださいという懇願のようだった。
聞こえたのか、聞こえていなかったのか。
男は僕に見向きもせず、口を開いた。
「ここは無人だ。良かったな」
「え、でも……ここは少し前にできたばっかじゃ――」
そこまで疑問を口にしてから、慌てて口を噤んだ。気軽に口答えしていい立場ではないことを今さら思い出した。
「ここの家主は死んだ。建設工事も打ち切られた」
言われてみれば、立派な外観に対して室内はガランとしているし、床も土が剥き出しのままである。
庭の草木が乱雑に生い茂り、おまけに表札も無い。
「……じゃあ貴方は、その家主さんの親族なんですか」
男は何も答えず、頷きもしない。
先ほどからの妙な無視に、違和感を覚える。
そういえば、神は光とか言ってなかったか。
まさか、怪しいシュウキョウの信者だったりして――
男の右手が僕の肩を離れ、ゆっくりと洋館の割れた窓ガラスの向こうに指先が向けられた。
無言で責めているのだろうか。それともやはり恨まれていて、殺されるのだろうかという恐怖が駆け巡る。
「君の行いが善いとは言えないが――救われた命もある」
男の指差す方向を見やると、色彩豊かなガラス破片に囲まれるようにして、小さな緑が芽吹いていた。
僕の悪事によって室内に生まれた、微々たる陽だまり。
生命(いのち)を照らす、一筋の光。
2024/11/05【一筋の光】
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[注釈]
作中の「神は光である」という台詞は、決して「怪しいシュウキョウ」などではなく(ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ございません)、キリスト教の聖書に記されていたという言葉です。
ステンドグラスのルーツもキリスト教の信仰にあり、その歴史は初期キリスト教時代にまで遡るのだとか。
皆様も、よろしければぜひ調べてみてください。
ご覧いただきありがとうございました。
Sweet Rain