彼女が僕の首を絞めたのは、仕方の無いことだった。
僕は彼女を虐めていた。今となっては、何故虐めていたのか、何故やめなかったのか、それがわからない。
彼女は自分の事を責めてばかりで、僕の事を責める事は一切なかった。周りはそれを見て、心では僕に批判を送っていただろう。
彼女に首を絞められたのは、暑い夏の日だった。
学校の体育館裏で、いつも見せないクールな表情をした彼女は、僕を壁際まで追い詰めると、首を絞めた。強く、強く、強く。
とても苦しいのに心地良い気がして、僕は抵抗が出来なかった。いつも見ていた彼女とは違う、かっこいい、なんて、やっぱり本心では僕の事を責めたかったんだな、なんて、のんびり思っている僕は最低だ。やがて彼女は、僕が気絶する寸前まで首を絞めると、パッと手を離して立ち去って行った。
翌日、彼女の訃報が耳に届いた。
朝、警察が学校に来ていた。何があったのだろうと単純な疑問を浮かべていた僕は、いつもならこの時間帯には来ている彼女の席を眺めていた。教師が慌ただしく教室を行ったり来たりしていた。
ホームルームで彼女の姿が無いまま始まった話は、僕にとっては必然的だった。訃報と今後の生活について話が進んでいくにつれて、首が痛んでくる。嗚呼、きっと彼女は僕に呪いをかけたんだ、と、その時気付いた。
何年経っても、首にある絞め後は何故か消えなかった。
彼女の10周忌にクラスメイト全員でお墓参りをした。クラスメイトは僕の存在を許してはいなかった。墓参りに来るなとすら言われた。だけど、どれだけ言われてもそれは出来なかった。
夏になると首の痛みが鮮明になる。そうして彼女の事を思い出して、嗚呼、そろそろ彼女の命日だ、と考える。
忘れたくても忘れられないとは、このことなのかもしれない。そう思った、生涯かけられた呪いの話だ。
如何して君が泣くんだ。
感動モノの映画、
動物番組の号泣スペシャル、
切ない青春群像劇の小説、
友の涙。
色んな事に君は泣く。だから昔「泣き虫」と虐められたのに、それを知っていて君は泣く。
如何してそんなにも君は泣いてばかりなんだ。
女は感受性が豊かだと泣くらしい。
でも、男は泣くと周りから恥ずかしいと言われる。
ずる賢い女は、人を寄せつける武器として涙を使い、男は、人から見た自分を守る為に涙を堪える。
そんなの不公平じゃないか。
泣き上戸な同期の世話をして家に帰る。疲れはするけど、何だかもっと自分に信頼を預けて欲しいと思ってしまい、許してしまう。そんなのザラにある。
涙ってものは人間を支配するのだな、というのを、君から教えて貰った。
……それなのに。
顔を殴られ腹を蹴られ腕を捻られ頭を叩かれ、
そんな風に他人から陵辱されている君を助けられない僕は涙を流しているというのに、
如何して君は、泣かないんだ。
僕がそう問うと、君は「ねえ、如何して泣いてるの?涙の理由を教えてよ」と微笑んで言った。
正体も答えも全てを知っているのに、君は敢えてそう言った。
__君は解るかい?僕の涙の理由を。
…夢、か。
そんなもの、私、見た事ないや。
虚空を見つめる少女の瞳に光は宿っておらず、誰1人としてその事に言及する者はいなかった。
言わば、少女の独壇場。少女のみ辿り着ける、境地。
…嗚呼、私は一体、何の為に生きてきたのだろう。
好きな人に告白して、受け入れられて、奪われて、裏切られて。
家族に愛を欲して、貰って、崩れて、消え去って。
友人に秘密を話して、約束して、暴かれて、孤立して。
こんな運命に生きるのなら、最初から堕落者で良かった。
此処には最早、私以外の生等無い。否、元から私だって、生を謳歌していたとは言い難いし、それすらも傲慢な気がするけど。
少女の好きな色は赤色だった。然し、部屋は灰色、否、黒色。明かりを付けていないからだ。敢えてそうしている。少女は今、赤色が大好きだから。
…不意に、足音が聞こえてきた。慌ただしい足音。
__嗚呼、私だけの聖域に、なんと無作法な。
「***!!見つけたぞ!」
「貴様を大量殺人容疑で逮捕す……!?」
「……貴様だと?その台詞は私のものだ。私の聖域に勝手に踏み入って、巫山戯るな。私の安息を壊しやがって…!」
静寂な部屋に、また、赤が飛ぶ。
けれど真っ暗だから、きっと私以外は見れないよね。
嗚呼、私だけの赤色を独り占めなんて、素敵だなぁ。
そうだよ、私は自分の安息を、この赤くて黒くて、静寂な部屋を守りたいだけ。それの何が悪いの?
君達は静寂を知らない癖に、さ。
「私、先輩の事好きなんだ。内緒だよ?」
そう言って、いつもクールな彼女は、私に乙女の顔を見せた。
彼女の家は母子家庭で、母親は要介護者だ。彼女は所謂ヤングケアラーというやつで、高校に行き、部活動をし、終わったらすぐ帰る人間だった。
部活に入っているのは、内申が少しでも良くなるように、との事らしい。また、コロナ禍で、彼女が中学の時の部活はそんなに活動出来ていなかった。青春っぽい事をしたい、というのもあるのだと思う。
彼女は非力で、体力を付けたいという理由で今の部活に入った。先輩は1人を除いて全員女子。彼女が体力を付けようとしているのを知った異性の先輩は、「俺で良ければ」と協力してくれるようになった。
きっと、そこから好きになっていったのだろう。
私は彼女の幼馴染だ。だからずっと彼女を見てきているし、これからも1番傍で彼女の事を見ていたい。
だから、先輩にはこの座を譲りたくない。
私と彼女が幼馴染かつ信頼出来る仲間として過ごしているこの時が、永遠に止まってくれれば良いのに。
彼女は明日先輩に告白すると言う。私は只一言、「応援してる」とだけ言った。
今日だ。今日、彼女は先輩に告白する。
嫌とは言えない。けれど、嫉妬と憎悪で胸が張り裂けそうになる。
私が1番彼女を傍で見てきたのに、私が1番彼女の事を理解してきたのに、私が1番彼女に手を差し伸べてきたのに。
どうして、どうして、どうして。
「じゃあ、行ってくるね!」
恋する乙女の顔をした彼女を見た瞬間、ぷつりと何かが切れて。
私は__俺は、咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「__御免、行かないで」
時間よ止まれ。
空が泣くと、空が泣く。
何を言ってるんだ、って思うかもしれないから、()を付けてもう一度言うね。
(人間の)空が泣くと、(地球の)空が泣く。
だから(人間の)空は、神様なんだって言われてた。ずっとずっと小さい頃から、皆にそうやって持て囃されてきた。
もう私も思春期だからさ、一寸位嫉妬とかしちゃうんだよね。
それで、ある日泣かせてみた。上手くいった。空は泣いた。
次の日、怒らせてみた。上手くいった。空は怒った。
更に次の日、喜ばせてみた。上手くいった。空は喜んだ。
次第に私は、神様を操れる人間なんて呼ばれて、チヤホヤされるようになった。
でもね、未だ足りない。私だって『神様』って呼ばれたい。人間を超越した種族へと進化したい。私の中で、ふつふつと、重い感情が蠢いていた。
その日は(人間の)空と喧嘩した。
だって仕方ないよね。思春期なんだもん。喧嘩位しちゃうよね。
でも、(人間の)空は相当頭にきたみたい。御免、って、謝ったらいつも通り仲直り、でしょ?
空は暴れた。
…あれ、此処は、何処?
いつも間にか寝ていたみたいで、私は身体を起こし、周囲を見渡した。まるで異世界の様な、荒廃した終末の様な世界だ。
あ、でも、近くに人がいる。嬉しさと安堵が同時に私を安らげてくれる。取り敢えず状況を把握する為話を聞きたい。そう思って声を掛けた。
すると、その人は私を見るなり青ざめて拝み始めた。深いお辞儀をしたかと思えば土下座もしてくる。…私は直感した。そうか、私は神になったのだと。恐らくこの景色は、私が神へ昇格したから起こしてしまった悲劇の惨状なのだと。
申し訳無い事をしてしまった。けれど、嬉しさの方が強く込み上げてきた。やった、やった。私も人間を超越した存在になれたんだ。るんるん気分で終末を歩こう。私なら世界を再生させる事だって出来るのだから。
…でも、可笑しいな。痛い。痛いよ。私は人間を超越した神様なんだから、痛覚なんて必要無いのに。如何いう事?
あ、空だ。おーい!空ー!!
空は泣いている。
無力さに嘆く一部にもなれずに。
空は泣く。
これが最期の感情になる事も知らずに。
空は泣く。