はす

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4/28/2025, 3:11:25 AM

ふとした瞬間

ふとした瞬間、死にたいと思うことがあった。そういう時期が昔あった。決して自殺願望があったとか、鬱であったとか、そういう訳ではない事は、はっきりと明記しておく。
ただ、難病と戦う人々のテレビ特集を見た時、私の寿命を分けてあげられたら、と思うとか、近所の誰々さんが亡くなったと聞いた時、悲しいと思うと同時に少し羨ましいと思うとか、そういう事であった。死にたい、というより、生きたくない、と言った方が正しい。生きたくても生きられない人からしたら、贅沢な悩みだろうけれど。
幸せではない訳では無い。ただ何かが足りない気がした。足りない何かをずっと探しているようだった。それが人なのか、物なのか、場所なのかは、分からなかった。そして、その何かを埋めるように、言葉へ救いを求めた。知らない事は減ったが、分からない事は増えていった。死とは救済だ。この憂き世を抜け出せる唯一の手段だ。厭世的な考えだと、自覚はしていた。

今は、やりたいことも見つかって、日々の楽しみもあって、前ほど死にたいとは思わなくなった。あの頃は目先の辛い事ごとに囚われて、本当に目をやるべき未来が見えなくなっていた。ただ、好きなこと、没頭できる事ができただけなのだが、自分は案外ちょろい奴だと思っている。
でも、今でもたまにふと、死にたいという言葉が頭をよぎる事がある。あの頃の名残か、それとも、習い性になってしまったか。本当に死にたい訳では、ないのだ。
死とはやはり救いなのだろうかと思う。そして、それはいずれ必ず訪れるものである。約束された終わりなのだ。この憂き世も結局いつかは終わるのだから、だったらほんの少しばかりは、楽しんでやろうかと、好きに生きてやろうかと、今ではそう思っている。

4/26/2025, 10:25:53 PM

どんなに離れていても

ベッド際の窓辺に立って、夜空を見上げている。今夜は月が出ていた。月の光は実際思ったよりも明るくて、庭の木々が微かに白々として見える。李白の漢詩にも、そんなのがあったなと、何となく思ってみたりする。
月は東西南北、古今を貫くものだ。人々は皆、等しく同じ一つきりの月を見上げている。どんなに離れていても、どんなに過去でも、どんなに未来でも。月というものが無くならない限り。

長らく会っていない人達がいる。その人達の元にも、月はあまねく平等に光を降り注いでいるのだと思うと、しみじみとする。水面に映る月を取ろうして水底に沈んだ李白も、きっと寂しかったのだろうか。

4/26/2025, 2:58:42 AM

「こっちに恋」「愛にきて」

恋と愛の違いは何なのだろう。そう彼に聞いてみた。
「花に恋をしたら僕はその花を摘むだろう。花を愛したら僕はその花に水をあげ、肥料をやり、慈しむだろう」
どこかで聞いた様な言葉、と私は言った。そんなものさ、と彼は笑う。
「この世にある恋と愛とが全て同じ形をしている訳がないだろう。同じ言葉で定義できるわけもない」
「だったら、私達は?」
少し彼は口をつぐんだ。私は彼が話し出すのを待っていた。
「もし君が遠くへ行ってしまったら、僕は君の所へ会いに行くよ」
「それは愛?」
「恋ならきっと、僕は君を呼び寄せるだろうね」
ふうん、と何となく頷いた。

「こっちにこいなんて言わないでね」
「うん、あいにいくよ」
こういうこと?と二人で笑い合った。

4/25/2025, 9:24:50 AM

巡り逢い

今年も春がやってきて、そしてまた終わっていく。春の蕾の芽吹きはとても儚くて、気づけば新緑の青葉が太陽の光を受け青々と照り映えていた。川沿いの、桜並木だった小道を歩いていく。春の終わりに足を止める人は少なくて、皆足早に私を追い抜いて行った。皆何かに追われた様に先を急いでいる。そんなに急いで、何があると言うのだろう。
木漏れ日がアスファルトに映り、影模様を残していた。背の高い葉桜の木を見上げると、鮮やかな若い芽の青が綺麗だった。
前に歩いていくと、一人、同じ様に佇んでは木々を見上げる人がいた。その人も私に気づいて、こちらを向いた。目線があって、会釈をして、お互いに笑い合った。
「綺麗ですね」
「はい。本当に」
春の終わりが運んできた、春の名残の巡り逢いだった。

4/19/2025, 1:36:30 PM

影絵

「影を見てる」
夕暮れの神社に一人うずくまる少年を見つけて、何をしてるの、と声を掛けたらこう返って来た。夕陽を背に受け、少年の影がぼんやりと地面に伸びている。
「どうして?」
「どれだけ逃げても、ずっと追いかけてくるんだ。だから見張ってる」
子供らしい素直な発想だ。思わず頬を緩め、同じ様に隣に座り込んだ。
「追いかけてくるのは当然だ。影は君の真似をしているから」
「そうなの?」
「そうだよ。だから、こんな遊びもできる」
こうしてご覧、と中指と薬指をくっつけ、親指と合わせた。少年も素直に真似をする。地面に少年の手の影が浮かび上がった。
「狐?」
「うん。正解」
すごい、と少年は目を輝かせた。もう片方の手でも狐を作って、色々と手を振って遊んでいる。少年は立ち上がって、満面の笑みを向けて来た。
「すごいね君。君は誰?どこから来たの?」
少年と同じ様に立ち上がる。風に着物の裾が揺れた。
「僕はその影みたいなものだよ。この神社にずっと昔からいるんだ」
狐の影を見つめる。少年は首を傾げた。

夕焼け小焼けのチャイムが鳴った。あたりがだんだん薄暗くなってくる。
「早くお帰り」
ただ一つ、少年の影だけが石畳に落ちていた。少し日の伸びた、ある夏のことだった。

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