はす

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3/28/2025, 1:54:15 AM

春爛漫

祖父母の家の近くに、桜の綺麗な場所がある。こじんまりとした校舎と校庭の周りを、ぐるりと囲うように桜が植えられている。小学校だったらしい。今はもう廃校になっている。
春休み、よく母や妹と散歩がてらお花見に行ったのを覚えている。校庭の中に入ると視界一杯が桜に彩られて、毎年此処に来ると、今年も春が来たと感じた。
古くはなっていたが、幾つか遊具もあって、妹と遊んだ。昔の子供達も、この遊具で遊んで、この桜の花を見ていたのかと思うと、感慨深いものがある。
よく、日本の桜はどれも同じ遺伝子を持っていて、日本全国の桜は同じだ、と聞くけれど、遠い昔の人々とも同じ花を見ていると思うと、より一層綺麗に目に映った。

3/27/2025, 6:49:33 AM

七色

昼下がり、人気のない神社の社の軒下で少年は雨宿りをしている。突然降り出した空模様を窺っていると、張り出た軒から落ちた大きな雨の雫が睫毛を掠めて、慌てて目を瞑った。
「ごめん、遅くなった」
雨垂れの中からふいに声がした。いつの間にか、白い単衣に赤い耳飾りの少年が欄干に静かに立っている。大丈夫だよ、と返すともう一人の少年は生憎の雨だね、と耳飾りを揺らしながら空を仰いだ。
二人は友人で、よくこの神社で遊んでいる。赤い耳飾りの少年には此処でしか会えないから、神社以外の遊び場所を彼らは知らない。

少年は揺れる耳飾りを見つめた。この子は不思議な子だ。会いに来れば大抵はこの子はいるけれど、たまにふらっと何処かへ行ってしまう。居なくなったと思えばすぐに戻ってくることもあるし、二、三日全く姿が見えないこともある。掴みどころが無くて、ふいに消えてしまいそうな感じがする。でも、この子と此処で遊ぶこの時間が少年は何よりも好きだった。今日はすぐに現れてくれたみたいだ。

「これじゃ遊べないね」
「大丈夫、もうすぐ止むよ」
その言葉通りにだんだんと雨足が弱まり、直ぐに雨は止んだ。
「そうだ、待たせたお詫びに良いものを見せよう」
耳飾りの少年は空を見上げた。それにつられて見上げると、雲間から薄日が差し込み、神社を淡く照らし出した。ずっと見ていたけれど、だんだんと晴れていくばかりで特に何も起きない。
「何も見えないよ」
「あれ、…虹を出したんだけど」
虹?虹なんて何処にも見えない。
「ああ、間違えた。ここがふもとなんだ」
「ふもと?」
「そう。ここが虹の端。この神社から虹が出てる」
「…それは凄いけど、ここからじゃ見えない」
それもそうだ、なんて間の抜けた返事を返された。ごめんね、と謝られたが、虹が見えなくて少年は寂しかった。
「虹を見るには角度が必要だからね。ある程度の距離が必要なんだ。近すぎると見えなくなるから」
よく分からなくて少年は首を傾げた。この子はたまに難しい事を言う。
「離れてみるくらいがちょうど良い。いつか分かる様になるよ」
少年がそう言うなら、きっとそうなのだろう。
「そんなことより、せっかく晴れたんだ。遊ぼう」
二人は雨上がりの中、陽の光の中へ走り出した。

3/25/2025, 12:35:14 PM

記憶

記憶喪失もの、例えば恋人との記憶を忘れてしまったとか、一日しか記憶が持たないとか、テレビやドラマや映画、あらゆるエンタメでよく見かける気がする。実際私も幾つか見たり読んだりしたことがあって、特に小川洋子さんの『博士の愛した数式』という本が印象に残っている。読んだことある方いらっしゃるかな、、
記憶障害の博士と、博士の家に雇われた家政婦とその子供との話で、当の博士は八十分しか記憶が持たない。博士と家政婦さん達が、何を見て何を話していくら笑い合えたとしても、八十分後には博士の記憶は白紙に戻されてしまう。それでも、博士は幸せそうだった。少なくとも私はそう読んだ。限られた時間の中でも、博士は笑っていたから。

記憶が無くとも幸せになれるのか。記憶を持たない人は不幸なのか。不幸だと決めつけて仕舞えば、博士は幸せではなかったと言うことになる。記憶は時に幸せへの足枷にもなりうる。辛い記憶、悲しい記憶はなかなか忘れられない。
私自身まだまだ人生経験が浅くて、到底納得のいく答えなど出ないけれど、刹那刹那を幸せに生きれば良いのか、幸福だった記憶が一つでもあれば良いのか、いつか分かるときが来ればいいなと思う。

3/24/2025, 2:05:44 PM

もう二度と

私の祖父母の家は、山に囲まれた田舎にあった。祖父母は農家だったから母はよく手伝いに行っていて、私が子供の頃は、夏休みになると毎日の様にそれについて行った。小さな山を一つ超えた先にあったから、何処となく都会の喧騒から切り離された様な空気感があるのを今となっては感じている。

私には妹がいて、よく二人で遊んだ。ビニールハウスの影に秘密基地!と称して木の棒やらを組み立てる様な、典型的な子供の遊びもしていたのを今でも憶えている。庭にビニールプールを作ってもらったり、近くの小川に小魚を釣りに行ったり、親戚が集まった時は夜に皆で花火をやったりもした。たまに仕事を手伝ってみたりして、休憩時間に皆でアイスを食べた。スイカ割りもした。手持ち無沙汰に、扇風機をかけてテレビを見る、その時間さえ好きだった。

今でもたまに祖父母の家を訪れる。相変わらず祖父母は元気だし、庭も畑も何も変わらない。それでも、こんなだったか、とふと思う。もう少し木の葉の色が鮮やかだったのではないかと思った。もう少し空気は透き通っていたのではないかと思った。あの頃と何も変わらないけれど、自分だけが変わってしまった様な気がした。
もう二度と子供の頃には戻れはしなくて、記憶の中にはあるけれど、何せ子供だったからあまり憶えてもいなくて、少し霞がかったようにぼんやりとしている。

よく歩いた散歩道をまた、歩いてみた。あの頃はわくわくしながら歩いていたはずなのに、今では何故か寂しさを感じた。

3/23/2025, 11:43:01 PM

雲り

線路沿いの桜並木を二人で歩く。桜の下の斜面には菜の花が植えられていて、桃色と黄色が酷く目に映えた。
「曇ってきたね」
空を見上げると、先程まで出ていた太陽が厚い雲に覆い隠されてしまっていた。花見を予定していた今日は朝から曇りがちで、晴れたり曇ったりを繰り返している。美しく鮮やかだった花々も、薄く灰がかったように輪郭がぼやけてしまった。せっかくの花見だったのに。
「ねえ、花曇りって知ってる?」
「花曇り?」
耳慣れない言葉だった。「桜の花の咲く頃の明るく曇った空模様」という意味だと言う。丁度、今日の様な天気の事だろうか。
「この言葉を作った人がいたなら、きっと、今日の様な空を綺麗だと思って作ったんだろうなって」
春は曇りが多いから、気にも止めていなかったのだけれど。花曇りと言う言葉に縁取られた今日のこの天気が、急に綺麗な輪郭を帯びた。

太陽が厚い雲から抜け出し、薄雲を透過した弱い光が差し込んでくる。辺りが微かに明るくなる。ぼんやりと白く霞んでいる様にも見えた。
何ともなしに見ていた淡い桜の色が、酷く綺麗に目に映った。




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